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思い出さなければよかったのに  作者: 田沢みん
34/35

エピローグ side 彩乃


 銀座一丁目にある有名ギャラリーは、開館直後から大勢の人で溢れ返っていた。

 美術館やギャラリーが多く集まる栄えたエリアにあり、地下鉄駅から徒歩一分。交通の便がよく、集客率抜群の好立地。


 ここは日本トップのフィルム会社が、『クオリティの高い様々なジャンルの作品を展示し、写真文化の向上と普及に貢献する』を謳い文句にして、全国五カ所に設置しているフォトサロンの一つだ。


 グレーを基調としたシックな空間。

 可動式の展示スペースを贅沢にも三部屋分ぶち抜きで使用している広い空間に、色とりどりの写真が飾られている。


 写真は風景だったり動物だったり様々だけど、一番多いのは子供の写真だ。

 ガリガリに痩せ細った赤ん坊を背負い、骨と皮だけの手を差し出して物乞いをするインドの少女。

 お供え物の果物が入った大きな籠を頭に乗せて運ぶバリ島の姉弟。


 すべて、若くして亡くなった不世出(ふせいしゅつ)の写真家、木崎雄大の作品である。



 会場の突き当たり。 メインの一番大きなパネルの前でフラッシュを浴びて微笑んでいるのは、この展示会の主催者の一人であり、このパネルの写真のモデルであり……そして亡くなったカメラマンの恋人でもあった女性……森口彩乃、この私だ。



『――森口さん、木崎さんの遺作であり、小説の表紙にも使用されたこの写真ですが、撮影されたときの状況を教えていただけますか?』


「これは彼が自分のカメラで撮ってくれた、最初で最後の私の写真です。二人で住んでいたマンションで撮ってもらいました」


『撮影者であり恋人であった木崎雄大さんと、撮影時にどのような会話をされたのか。この涙の理由は?』


「撮影時期や、何を話したかは……一生誰にも話すつもりはありません。申し訳ありませんが、私と彼だけの大切な思い出にさせて下さい」


『小説は幻想的な切ない別れのシーンでラストを迎えましたが、これは、もう一度彼に会いたかったという森口さんの願望を文章にしたのでしょうか?』


「それは……私の中では彼が本当に会いにきてくれていたのだと、そう思いながら書いたので……ごめんなさい、これ以上は、もう……」


 薄っすらと涙を浮かべながら微笑むと、「ああ……」とか「おおっ……」という同情と感嘆の声とともに、無数のフラッシュが浴びせられた。


 その後もインタビューに答えていると、遠くから波のようにざわめきが近づいてくる。


 言葉を途切れさせてそちらを見ると、ざわめきの発生源が微笑みを浮かべて立ち止まる。


「森口さん、展覧会の成功おめでとう」


 ブラックのカジュアルスーツにシルバータイ。

 大きな花束を持ってあらわれたのは、成瀬駿先輩。


 若手カメラマンの中では群を抜いた人気と知名度を誇る、今、注目度ナンバーワンの写真家。

 そして新人映画監督でもある。


「ありがとうございます」


 私が両手で花束を受け取ると、その瞬間を待ち構えていたように一層沢山のフラッシュが焚かれる。眩しくて思わず目を細めた。


 ――雄大、見てる? 雄大の作品がこんなに沢山の人に見てもらえてるんだよ。



 長く不遇な時代を過ごし、海外で大きな賞を受賞して、やっとこれからというときに事故で亡くなった悲劇の写真家。

 恋人は人気モデルでタレントの森口彩乃。


 一年前、このニュースは瞬く間に日本中を駆け巡り、切ない悲恋話として大きく取り上げられた。

 そして私は長いあいだ待っていた恋人を失った悲劇のヒロインとして注目を浴び、連日マスコミに追いかけられることとなる。


『幼馴染の恋人を襲った悲劇』

『不遇時代を支えた献身』

『写真にこめた恋人への想い』


 雄大が賞を取った作品は勿論だけど、そのあとで遺作として公開された写真が、日本では大きな脚光を浴びた。


『おかえり、またね』


 私がタイトルをつけたその作品は、朝焼けの空が見える窓を背景に、泣き笑いの表情を浮かべている女性。頬を伝う涙が光を反射して輝いている。



 私が自分達を実名で使用した恋愛小説を執筆したのは、雄大の事故の二ヶ月後のことだ。


 雄大の死後、彼への使命感に追い立てられるかのようにすぐに仕事に復帰したものの、私は上手く笑顔が作れなくなっていた。


 社長に言われて休業した私は、持て余した時間を文章を書く事で紛らわせた。


 彼との思い出を記録に残しておきたくて、思いつくままに書き綴った言葉。

 それがマネージャーの目にとまり、雄大の写真、『おかえり、またね』を表紙にして春に出版されると、たちまちベストセラーとなる。



『思い出さなければよかったのに』

 十万部超えの大ヒットにして、今もなお重版を重ねている私の処女作。

 これほどの話題作を、芸能界も事務所もほおっておくわけがない。

 あちこちから映画化のオファーが舞い込むと、その中の一つに私の事務所が飛びついた。


『テレビ局がスポンサーで半年後に上映。その後すぐにテレビドラマ化の予定。監督は人気写真家、成瀬駿』


 なんでも、テレビ局のプロデューサーに成瀬先輩みずから持ち込んだ企画だという。


 ――雄大がどう思うだろう……。


 大乗り気な事務所社長とマネージャーを横目に見ながら返事をできずにいると、なんと成瀬先輩本人が事務所に説得にやってきた。


『森口さんが戸惑うのもわかるよ。 君に長年恋心を抱いている僕が監督すると、木崎君が嫌がるかもしれないって思ってるんだろう?』


 事務所の応接室。

 社長とマネージャーのいる前で、堂々とそう言ってのけたことには驚いたけれど、その後の彼の言葉は十分納得できるものだった。


『映画を撮るのははじめてだけど、カメラで表現するという意味では同じだと思う。君の小説の世界観を損なわずに映像化する自信はあるんだ』


『君たちの恋は、二人を長年見てきた僕だからこそ表現できると思う』


『自分で言うのも何だけど、僕の初監督作品となれば注目を浴びるし、ヒット間違いない。木崎君の作品を更に知ってもらう、いいチャンスだと思わないか?』


 説得力のある言葉の数々に、拒否する理由なんてなかった。

 何より、雄大の作品を、彼の名前を皆の記憶に残すことができるのだ。


『わかりました……よろしくお願いします』


 こうして映画化の話が進み、クランクインしたタイミングで雄大の写真展が開催されたのだった。



 パシャッ! パシャパシャッ! パシャッ!


「森口さん、成瀬さん、もう少し近づいていただけますか?」

「こっちに笑顔、お願いします!」


 パシャパシャパシャッ!


 次々と瞬くフラッシュの洪水の中、まるで婚約会見のように寄り添い見つめ合う二人。

 この記事も、明日の朝刊やワイドショーで大きく取り上げられ、話題になるに違いない。


『恋人の死を利用した売名行為』

『悲劇の主人公になった自分に酔っている』

『二股女』

『二人の男を手玉に取って成り上がる悪女』


 私が世間の同情を集めると同時に、心ない言葉も続々と耳に入るようになった。

 悲劇の主人公という肩書はまた、それを利用した(したた)かな女という称号も私にもたらしたのだ。


 私は成瀬先輩の映画で、ヒロインの森口彩乃役……即ち本人役に抜擢され、上京してモデルになった十八歳からラストの二十九歳までを演じることになっている。


 クランクインしてから監督である成瀬先輩と過ごす時間が増え、二人で食事に行ったりもするようになった。

 話題は撮影についてのことが殆どだけど、たまに高校時代の思い出話になったりもする。

 先輩から写真部の部室で私を見ていた雄大の話を聞けるのが嬉しかった。


 そんな私たちを交際中だとか結婚間近だと報じるところもあって、成瀬先輩のファンから私のブログに辛辣な書き込みがされたりするし、雑誌で面白おかしく取り上げられているのも知っている。


 それでもいい。

 雄大の作品が注目されるためなら、私は悪女でも何にでもなってやる。


 どんな形でもいい。

 小説でも映画でも何でもいい。皆に雄大を、彼の作品を知ってほしい。覚えていてほしい。


 私の顔を、名前を思い出すときに、一緒に雄大の名前も思い浮かべてもらいたい。

 今、私の隣に彼はいないけれど……せめて皆の記憶に残る私達だけは、いつも一緒でいたいから。


 ――お願いだから、覚えていて……ずっと忘れないで……。


 そうしてずっと願い続けていれば、想いはいつか、天国の彼の元に届くのではないかと思っているのだ。


『仕方ないな。おまえは言いだしたら聞かないからな、また逢いに行ってやるよ』


 そう言ってひょっこり姿をあらわしてくれるんじゃないかな、なんて……雄大、今も私はそう思っているんだよ。



 カメラに向かって悠然(ゆうぜん)とした微笑みを作りながら、右手でそっと左の薬指に触れてみる。

 そこにはもう指輪も歯型もなくて、サラリとした皮膚が触れるだけだけど……。


 痕が消えても、私はずっと忘れない。

 二十九年間、二人で積み重ねた時間を、交わした言葉を、愛し合った日々を。


 私はあなたを忘れない。


 ――雄大、待ってるからね。


 二人で迎えたあの朝を覚えていてね。

 忘れても、ちゃんとまた思い出してね。


『おかえりなさい』

 もう一度、そう言いたいから……。


 サヨナラの代わりに、こう言わせて。


『またね』

 雄大、また会おうね。 逢いに来てね、絶対ね。



『まったく、しょうがないな……』


 カシャッ! カシャカシャッ!


 苦笑いしながら傷だらけのカメラを構える雄大の声が、どこからか聞こえてきたような気がした。


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