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思い出さなければよかったのに  作者: 田沢みん
32/35

32、思い出した男 (2)

 

 それから俺たちは沢山キスをして、抱き合って、いろんな話をした。


 恋心も自覚せずに、ただただ一緒にいた幼い頃のこと。

 異性として意識しはじめときのこと。


 写真部の部室。

 窓から流れ込んでくる軽快な音楽と楽しそうな笑い声。

 見下ろせば彩乃が手を振って、俺も振り返して。

 あの時間が大好きだった。


『ただの幼馴染だよ』

 学校でみんなに聞かれるたびに声を揃えて否定した。

 好きなのに好きと言えずにカッコつけて。

 だけど両想いで付き合えることになって。


 横浜と東京に離れてたまにしか会えなくなって。

 頑張って乗り越えて同棲して。


 喧嘩をしたこともあったけど、夜になって布団の中でどちらともなく手を握りあって。

『ごめんな』、『ごめんね』。同時に謝ってキスをして。それですぐに仲直りできた。


 前に進むために離れることを決めた。

 会えない三年間は辛かったけれど、帰ってきたら今度こそずっと一緒にいられると思っていた。

 そうなるはずだった。


 ――そう思っていたのにな。



 外が明るくなってきた。

 シャッとカーテンを開けて、眩しさに目を細める。

 濃紺と紫とオレンジ色が、空に見事なグラデーションを描いている。

 俺はもう見ることもないであろう景色を、ゆっくりと目に焼きつけた。



「よかった。朝日を浴びても身体が溶けなかった」

「それはドラキュラでしょ」

「ハハッ」


 俺にはわかる、まだ大丈夫だ。


 ――だけど、もうすぐ……。


「俺は……何なんだろうな。地縛(じばく)霊?」

「雄大は雄大だよ。私の彼氏だよ」

「………。」

「雄大は……私の彼氏で、未来の旦那さま。そうでしょ?」


 それに俺は何も答えることができなくて。


「彩乃、写真を撮ってやるよ」

「えっ……」


 テーブルに手を伸ばし、ケーキの横に置かれていたカメラを手に取る。

 N社 D850。俺と苦楽を共にした愛機。


「彩乃がもらってくれたんだな」

「……うん、真理子さんが、私がもらってくれたら雄大も喜ぶだろうって」


「ハハッ、大正解。 彩乃が持ってて。いらなくなったら質屋に持ってけ。 こんな傷だらけの、売れないけどな」

「売らないよ……絶対」


 彩乃は俺の手にあるカメラをジッと見つめる。

 細かい傷がいっぱいついてるけど、これは旅の途中で少しずつ増えていったもの。

 俺の三年間の闘いの証だ。

 

 幸いにも事故のときは無事だったらしい。壊れていなさそうだ。

 手にしっくり馴染んだその重みと硬質な感触を噛み締めながら、俺は生まれてはじめて、そして最期に、愛する女にカメラを向ける。


「俺さ、ちゃんと女性の写真を撮るのは、おまえが一番最初だって決めてたんだよな……」

「うん……そして、私だけね」

「……そうだな」


「彩乃、笑って」


 レンズを覗き込めば、そこに写っているのは泣き笑いの微妙な表情(かお)


「ハハッ、最初で最期なのに、ブサイクな顔してるぞ」

「馬鹿っ……」


「嘘だよ。おまえはめちゃくちゃ可愛い。美人、世界一綺麗。千年に一度のエンジェル」

「ふふっ……もうエンジェルって歳じゃなくなっちゃった」


「おまえは天使だよ。俺の大事な、大好きな……」

「雄大……」


 カシャッ!


 ――うん、やっぱりいいな、カメラのシャッター音は。


 幽霊が撮った写真ってちゃんと残るのかな……そう言いながら俺が差し出したカメラを、彩乃は両手で大切そうに、そっと受け取った。


「雄大、もう一度キスして」


 柔らかくて温かい唇が触れる。

 キスをしながら彩乃の手を取って、薬指から指輪を抜き取る。

 それは関節にちょっと引っ掛かっただけで、少し力を入れたらスルリと抜けた。

 

「雄大?」

「彩乃、この指輪は俺がもらっていくよ」

「駄目っ!」


 彩乃が取り返そうとするのを、手を高く上げて避ける。


「返してっ! お願いだからそれは持っていかないで!」

「駄目だっ! こんなのがあったらおまえはいつまでたっても俺を忘れられないだろ!」


 だっておまえって情の深い女じゃん。

 こんな馬鹿な男を何年も待っちゃうようなお人好しじゃん。


 俺に操を立てて、指輪を外さないだろう?

 そんなことをしてたら、この先ずっと新しい男を作れないに決まってる。


 だっておまえ、俺のことが大好きだろ?

 俺だっておまえのことが大好きだけどな!


「おまえはもうこれ以上、時間を無駄にしなくてもいいんだ。彩乃自身の人生を生きてくれ」

「それでいい! 雄大以外にいらない!」


 駄目だよ。

 おまえみたいないい女はしあわせにならなきゃいけないんだ。

 馬鹿な男に振り回されたぶん、これからは誰よりも最高のしあわせを掴むんだ。


 悔しいけれど、寂しいけれど……おまえはいつかまた、新しい恋をする。そうじゃなきゃいけないんだ。


「彩乃、お願いだから、しあわせになって」

 

 俺がここにくることができたのは、きっとおまえにこれを伝えるためだったんだな。


 今までありがとう。

 愛してる。さようなら。

 絶対にしあわせになって。


 だけど……そうだな。


「彩乃、指を貸して」

「えっ?」

「噛んでもいい?」

「……いいよ」


 彩乃が白い指先をこちらに差しだす。

 俺はそれを両手でそっと掴んで持ち上げると、薬指に唇を押しつける。愛を込めて、想いを込めて。


 長いあいだそうしてから、その付け根に力任せに噛みついた。


 ガリッと歯が肉に食い込む感覚と、コリッと当たる骨の硬さ。

 離れたときには、くっきりついた歯型から、ジワリと血が滲んでいた。


「ごめん……痛いよな」

「ううん、嬉しい。もっと痕をつけて」


 彩乃のオデコに、耳に、頬に口づけて、最後に首筋に吸いついた。ジュッという音がして、赤紫の花びらが散る。


「ハハッ、本当に吸血鬼みたいだな」

「もう、吸血鬼でもなんでもいいよ。ここにいてくれるなら」

「ハハッ」


 彩乃、ごめんな。

 だけどそれは無理なんだ。


 一緒にいられないのに痕を残してごめんな。

 でもさ、俺はわがままだから……これが消えるまででいいから、俺を覚えていてほしいな……なんて思ってしまうんだ。


「これが消えたらさ……俺のことなんて全部忘れて、新しい男を見つけろよ」

「嫌だよ、馬鹿」


 嫌だよ。本当は忘れてほしくなんか、ないんだよ。

 ずっと俺を想い続ければいい。

 一生一人でいればいい。


 だけど俺はカッコつけだからな。

 心にもないことだって言えちゃうんだぜ。


「大丈夫、彩乃はいい女だから、まわりの男がほおっておかないって」

「だったら雄大がそばにいて蹴散(けち)らせばいい」

「ハハッ、そうしたいけど……」


 そう言いながらも、彩乃の言葉に喜んでいる俺がいるんだ。

 この痕がずっと消えなければいいって思ってるんだ。

 俺ってホント、未練がましいな。

 ごめんな、勝手だよな。酷いヤツだよな……。



 ふっ……と身体が軽くなった感覚があった。


 ――あっ……。


 両手を見る。手のひらの向こう側に床が透けている。


 ――ああ、そうか……。


 俺の手が、腕が、脚が透けていく。

 バッと顔を上げて彩乃を見た。

 彼女は両手で口元を覆い、目を見開いている。


 うん、そうなんだ。いよいよその瞬間(とき)がきたんだよ。


 彩乃が駆け寄って、抱きついてきた。

 だけど俺は既に感覚が曖昧(あいまい)で、抱き返せているかもわからない。


 ――うん、最期に会えてよかったな……。


 いや、違うか。最期のそのときに会えなくて、未練がましくここに現れたんだ。

 俺ってやっぱり馬鹿だな。帰ってくるのが遅過ぎたよな。



「彩乃、ごめんな……ありがとう、愛してる。しあわせになって……」


 ゆっくりと目蓋を閉じる、その刹那。

 最期に網膜に焼きついたのは、アイツの泣き顔。


 そして……。


 カシャッ!


 真っ白いフラッシュの閃光に目を瞑ると、そのあとは『無』になった。


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