31、思い出した男 (1)
1LDKのマンション。
電気のついていない部屋のガラステーブルに丸いケーキ。
『29』の数字の形をしたキャンドルに灯りがともり、ユラユラと揺れている。
――ああ、そうか、俺はここに帰ってきたのか……。
布団に丸まって泣いている彩乃を背中から黙って抱き締め続けた。
――なんなんだよ、こうやってちゃんと触れられるのに、抱き締められるのに……。
彼女の嗚咽がおさまるのを待って、顔を覆っている彩乃の手を取ると、薬指に嵌まっている指輪は少し形が歪んで傷ついていた。
「歪んでるな」
きっとポケットから転がり落ちたところを後続車に轢かれたんだろう。
「うん……昔より痩せて指も細くなってたから、歪んでもどうにか嵌められるの。よかった」
彩乃が身体をこちらに向けて、左手をヒラヒラさせながら泣き笑いの顔になる。
「よくないだろ」
本当だな、前から細かったけど、三年間でもっと細くなっちゃったな。
俺が心配かけてばかりだったからな。
挙げ句の果てに帰る途中で死んじゃうなんて、間抜けもいいところだ。
「……箱は?」
「潰れて割れちゃってた」
「そうか……お約束の、蓋をパカッて開けるのができなかったな……」
「馬鹿……っ……」
小刻みに震えている彩乃の頬に触れると、生温かい涙を指先で拭う。
――うん、ちゃんと温かい。
俺が身体を起こして、枕をクッションにしてヘッドボードにもたれると、彩乃も俺にならって隣に座る。
「あの男の子は?」
「助かったよ、擦り傷だけだった。お葬式のときにあの子のご両親が、ありがとうございました、ごめんなさい……って何度も頭を下げてた」
「そうか……よかった」
「よくないよ!」
彩乃が俺の胸をドン! と拳で叩いた。
「真理子さん達は、〝きっと雄大も本望です〟なんて言ってたけど……私は意地悪だから、『本望なはずないじゃん』とか思っちゃって、何も言ってあげられなかった」
「馬鹿だな……高感度を上げるチャンスだったのに」
「ふふっ、本当だ……そんなのすっかり忘れてた」
「俺の中では高感度マックスまで急上昇だけどな」
「やった! だったらいいや〜」
「ハハッ」
今日は葬式が終わって、彩乃だけが実家に帰らずこのマンションに戻ってきたのだという。
「だって雄大が帰ってくるって言ってたから」
「そっか……」
コイツが後追いでもするんじゃないかと、晴人がマンションまでついてきたらしい。
だけど彩乃が案外落ち着いていて、一人で俺を想いながら誕生日を過ごしたいと言ったら、何度も振り返りながら帰っていったそうだ。
今日は彩乃の二十九歳の誕生日で、俺の葬式の日。
信じられないよな。
こうやって触れ合って、じゃれあって、一緒に笑えてるのにさ、俺はもうこの世にいないんだぜ。
俺はここにいるのにな。
「ごめんな……長いあいだ待たせてさ」
「……本当だよ」
「カッコ悪いな……玄関に入ってすぐに花束を渡してさ、床に片膝ついてプロポーズするつもりだったんだ。ベタだろ?」
「すればいいじゃん、プロポーズ……ベタなのしてよ」
「……駄目だよ、もうできないよ」
「してよっ! 今、ここでしてっ!」
肩を揺すって絶叫された。
でもさ、今更プロポーズなんかして、どうするっていうんだよ。
結婚できないじゃん。二人の未来なんて、もうどこにもないんだぜ?
俺はもうすぐ……消えちゃうんだぜ。
そう。 なぜだかそれだけは漠然とわかっている。
俺はもうすぐ本当にいなくなる。
――それでも俺は自分勝手なヤツだから……。
彩乃の左手を取って、薬指の歪んだ指輪にそっと口づけて。
「森口彩乃さん……俺と結婚してください」
これをずっと言いたかったんだ……今度こそようやく言えると思ってたのにな……俺、タイミング外しすぎだよな。
「ハハッ……やっと言えた」
「馬鹿っ、遅いんだよ!」
「本当だな。遅かったな……」
「バカ雄大……」
彩乃が泣きながら俺にキスをした。
そしてそっと唇を離すと、「はい、謹んでお受けします」と呟いた。
俺も泣きながら彩乃にキスをして、それから強く抱き締め返す。
「ごめんな、彩乃……」
ごめん……本当にごめんな。
俺はただ、おまえをしあわせにしてやりたくて、自信を持っておまえの隣に立ちたくて。
ずっとずっと、小さい頃から好きだったんだ。
息を吸うように、瞬きをするように。 おまえといるのがあたりまえで、過去も未来も二人で分け合っていけるものだと思ってた。
好きだと言って、好きだと言ってもらえて。
だけどしあわせなのに苦しくて……俺は自分で大切なものを置き去りにしたんだ。
後悔したってもう遅い。
もうすぐ朝がやってくる。




