27、彩乃の記憶 (1)
「彩乃、とりあえず一度会ってみたら?」
「何言ってるの? お見合いなんて、するわけないでしょ」
――えっ、お見合い?
なんだ、これ?
俺の記憶じゃない。こんなの俺は知らない。
これは彩乃と……彩乃の母親、明美さんの声だ。
彩乃の生温かい涙とともに胸にジワリと沁み込む感情。
喜び、感動、驚き、怒り、哀しみ、恐れ、不安……。
それらは奔流のように勢いを増し、次々と俺の中に流れ込んでくる。
――これは……そうか、彩乃の記憶なんだ。
* * *
「――そうは言っても、あなただってもう二十七歳でしょ。いつまでも独り身でいたら、そりゃあ見合い話だってくるわよ」
彩乃の家のダイニングテーブル。
ひらいて置かれた見合写真。
――見合い……そうだよな。二十七歳にもなれば、そういう話だってくるに決まってるよな……彩乃は可愛いからな。人気モデルだもんな。
彩乃の家には何度もお邪魔させてもらったことがある。小さい頃から、数えきれないくらい。
明美さんが仕事で家にいないときに、朝まで彩乃と晴人と三人でゲームしたよな。
カレーライスを作ろうとしたら彩乃の包丁の扱いが超絶下手くそで指を切りそうになって、結局は俺と春人でカレーを作って、彩乃はサラダ用のレタスを手で千切っただけだったんだ。
そういえば、誰もいないときに彩乃の部屋でエッチもした。
あのときは晴人が修学旅行に行っていて……。
懐かしいな。家具の配置も変わってないや。
そんなふうに懐かしく思っているあいだにも、彩乃と明美さんの会話は続いている。
「うちの病院の師長さんの親戚だって。二十九歳、銀行員。あなたのファンらしいわよ」
師長の親戚……銀行員……ガッチリ安定してるな。フラフラしてる俺とは大違いだ。
「ファンなんて、それこそ嫌よ! 私のうわべを見て憧れてるだけじゃないの! 第一私には雄大がいるのよ。 お母さんだってわかってるじゃない」
明美さんは一つ大きな溜息をついて、彩乃が押し返した見合い写真をもう一度ズイッと彩乃の前に押しやる。
「そんなのお母さんだってわかってるわよ」
もう一度溜息。そして明美さんは伏せた睫毛を上げると、厳しい表情で真っ直ぐ彩乃を見据えた。
「そう、雄大くんね。……あなたが彼を待ちたい気持ちはわかるけど……たまに絵葉書やメールを送ってきただけで、一度も顔を見にも帰ってこない相手をいつまで待ってるのよ」
「だから三年って、私の二十九歳の誕生日までには……って」
「そんな口約束がアテになるの⁉︎
明美さんの声が大きくなる。
「私だって雄大くんが悪い子じゃないのは知ってるし、二人が付き合うのに反対もしなかったわよ。だけど、仕事に就いてもすぐに辞めちゃうし、いつまで経ってもフラフラしていて……母さん、心配なのよ」
先の見えない夢を追いかけている幼馴染よりも、経済力があって安定した男性と一緒になったほうが女のしあわせなのだ……と言われたところで、彩乃が唇を噛んでガタリと立ち上がる。
「私のしあわせを勝手に決めないで! お母さんに心配なんてしてもらわなくてもいい! 私は大丈夫だから放っておいて!」
「彩乃!」
「とにかく見合いなんて、絶対にしないから!」
そう言って彩乃は二階の部屋に駆け込んだ。
ベッドに飛び込んで、枕に顔を埋めて泣いている。
――彩乃、ごめんな。一人で泣かせてごめん。
そうだよな……もっとマメに連絡すればよかったな。
だけど、スマホのバッテリーを節約しなきゃだし、データ容量の上限を超えないように気をつけなきゃいけなくて……。
そもそも、いつも充電できるわけじゃないし、契約内容でカバーしてない国や、電波もちゃんと届かない地域もあってさ。
――って、そんなのただの言いわけだよな。
そこまでの努力を俺が怠っていた。彩乃の母さんの信用を維持するだけの誠意を見せられなかった。それがすべてだ。
銀行員か……お見合いしたら安定した結婚生活が送れてただろうに。馬鹿だな……。
違うな、馬鹿なのは俺だ。
明美さん、ごめん……俺のせいでこいつが嫁に行かないままで……。
――いや、違うだろ!
彩乃は結婚している。だって俺が握った左手の薬指には指輪がはまっていた。
――彩乃はいつ結婚を……?
すると今度は別の声が聞こえる。




