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思い出さなければよかったのに  作者: 田沢みん
24/35

24、旅立ちの日の思い出

 彩乃の二十六歳の誕生日の朝。

 旅館でゆっくりと朝食をとり荷物をまとめていると、彩乃が自分のボストンバッグから何かを取り出して俺を呼んだ。


「私から雄大への餞別(せんべつ)です。どうぞお受け取りください」


 正座してかしこまった彩乃が座卓に並べて置いたのは、三枚の写真。

 一枚目は俺と頬をくっつけて目を細め、とろけるような表情をしている彩乃。これは最近マンションの部屋で撮った写真だ。


 写真の中の俺はさも困ったかのように苦笑しているけれど、腕を組んで胸を押しつけながらスマホを向けられて、本音ではまんざらでもなかったのを覚えている。


 二枚目は彩乃の顔のアップ。花が(ほころ)ぶような華やかな笑顔だ。

 そして最後の一枚は……。


「水着⁉︎ 俺、おまえのグラビア写真はいらないって言っただろ!」


 俺がピンク色のビキニ姿の写真を指差すと、「ん〜、でも、念のため?」と彩乃はヘラヘラしている。


「ほら、やっぱりご無沙汰になるといろいろ溜まるでしょ? 旅のお供だけじゃなく、一人寝のお供も必要かな? ……って」


 二人で写った写真は女避けに、水着の写真は夜のオカズに使うのだと、ご丁寧にも彩乃が使用方法まで説明してくれる。


「……だからね、絶対に浮気しちゃ駄目だよ。街角で美女に声を掛けられてもフラフラついて行かないように!」


 彩乃が俺の手のひらにパシッとビキニ写真を押しつけた。


「俺ってどんだけ信用ないんだよ。知らない奴にはついてかないし、おまえ以外じゃ勃たないから心配すんな」


 そう言いながらも実際問題、夜のオカズはあったほうがいいに決まっているので、ありがたく頂戴することにする。


「それで私の顔のアップはね……雄大が私の顔を忘れないように……いつでもすぐに思い出せるように……」


 言いながら彩乃の声が震えだす。


「バカヤロー……俺がおまえを忘れるわけないだろ」


 俺は泣き顔を見られたくなくて、彩乃の頭を胸に抱え込んだ。


 ――絶対に忘れないよ。おまえの笑顔も泣き顔も、二人で過ごした時間すべて。


 昼前にチェックアウトを済ませると、俺達は俺が運転する車で東京へと戻ってきた。

 出発前の最後の夜は、実家でもホテルでもなく、二人のマンションで過ごそうと決めていたのだ。


 旅行中にスマホで撮った写真をパソコンに落として二人で見て、楽しかった一泊二日を語り合う。

 せっかくの旅行も、殆ど部屋に引き籠もってセックスしかしていなかったような気がするけれど。


「それはそれで、何年後かにはいい思い出話になるよね」


 彩乃がそう言って微笑んだ。


 帰宅途中にケーキ屋さんで引き取ってきたのは、四号サイズのイチゴのショートケーキ。

 ちゃんと俺が電話注文しておいたので、チョコプレートには『彩乃ちゃん、おたんじょうびおめでとう』と書かれている。


「彩乃()()()というところに悪意を感じるんですけど〜」


 俺がお揃いのマグカップに紅茶を淹れて運んできたら、口を尖らせた彩乃にジト目で見上げられた。


「いいだろ、若々しくて。清純派っぽいじゃん」


 ハハッと笑いながら彩乃の隣に座る。


「うわっ、四捨五入したら三十歳への嫌がらせ〜!」

「まだまだ若いって。清純派でオッケー」


「目が笑ってるんですけど〜」

「ハハッ、大丈夫。マジで彩乃は可愛いから」


「同情は結構です」

「同情じゃないよ……彩乃は誰よりも可愛いよ」


 俺が真面目な口調でそう言ったら、彩乃もハッとして真顔になった。


「本当だよ。彩乃は世界一可愛い。綺麗。最高の女。いつだってそう思ってる」

「雄大……」

「俺なんかの彼女でいてくれて、ありがとうな。彩乃がいてくれるから、俺は頑張ろうって思えたんだ」


 今日は彩乃を思いっきり甘やかして、最高の誕生日にしてやろうって決めていた。

 だって最後の夜なんだ。照れたりカッコつけたりせずに、ありのままの気持ちをそのまま伝えておきたい。


「俺の最後の悪あがきに付きあわせてごめんな。許してくれてありがとう。俺の彼女でいてくれて、ありがとう」


『26』の数字のキャンドルをケーキに突き刺し火を(とも)す。


「ほら、ケーキタイムだ。ロウソクを吹き消して」

「うっ……ううっ……雄大……」


 彩乃が顔をくしゃくしゃにして俯いた。おい、鼻水が垂れてるぞ。モデルのくせにブサイクだな。

 ブサイクだけど、最高に可愛くて愛しい。


「ほら、火が消えないとケーキが食えないぞ」

「ゆ……だいも……一緒に……」

「ハハッ、わかった」


 せーの……で一緒にフッと息を吹き掛けると、ロウソクの炎は大きく揺らめいて、呆気(あっけ)ないほど一瞬で消えてしまった。


「雄大も……一緒に……切って」

「……わかった」


 台所から包丁を持ってきて、()を握る彩乃の手の上に俺の右手を重ねて……。


 ――なんだか初めての共同作業みたいだな……。


 そう言って茶化してやろうかと思ったけれど、彩乃はそのつもりなのかもしれないな……と考えたら、笑い飛ばすことなんてできなかった。


 だから俺は黙って彩乃の後ろからもう一方の手も伸ばし、アイツの手の上に重ねた。一緒に包丁の柄をキツく握り締める。


 ――カシャッ! この一瞬を心のカメラに収めておこう。俺達の初めての共同作業。


 ゆっくりと、心を込めて、丸いケーキに刃先を沈めた。

 目の前で、彩乃の肩が激しく揺れる。

『泣いてるの?』なんて今更聞くまでもないから、俺は包丁から手を離し、後ろから彩乃を抱きしめる。


「ふ……うっ……」

「………。」

「雄大……私はやっぱり寂しいよ」

「うん、俺も……」


 ――俺だってめちゃくちゃ寂しいよ。


「私も連れてって」

「それはできないよ」

「どうして?」

「大切だから」


 ――できることならおまえを連れて行きたいよ。でも、それじゃ駄目なんだ。


「馬鹿っ! 大切だったら置いて行くな!」


 彩乃がバッと振り返って抱きついてきた。

 俺はギュッと強く抱き締め返して、それからゆっくりと身体を離して視線を合わせる。


「昨日も言ったよな。俺は、自分の仕事に誇りを持って全力で取り組んでいる彩乃を尊敬している」

「雄大……」

「そんな彩乃を誇りに思っているし、同時に悔しいとも思っている」


 彩乃が有名人じゃなければ。彼女がもっと普通の女の子だったら……俺はこんな気持ちを持たなくても済んだのに。


 人気がなくなってしまえばいいのに。

 芸能界なんか辞めてしまえばいいのに。

 俺だけの彩乃でいればいいのに……。


 何度も頭に浮かんでは、首をブンブン振って掻き消した醜い感情。

 俺がなし得なかったことを叶えている人種への嫉妬や焦り、劣等感。

 仄暗(ほのぐら)い気持ちを抱えながら鬱々としている俺には、画面の向こう側の彩乃は眩しすぎて……。


 それでもやっぱり俺は、彩乃にずっと輝いていてほしいと思う。

 好きな仕事をしている彼女はキラキラしていて、俺はそんな姿をずっと近くで見ていたくて、一瞬たりとも見逃したくなくて……結局は画面に釘づけになってしまうんだ。


(よう)は俺はさ、森口彩乃の一番のファンなんだよ。雑誌で微笑んでいる彩乃もテレビで踊っている彩乃も大好きだし、家で半目(はんめ)を開けて寝てる彩乃も大好きなんだ」

「ふっ……失礼。半目でなんて寝てないし」


 彩乃が泣き笑いの顔になる。


「いいんだよ。俺は小さい頃から見慣れてるから、隣で半目の女が寝てたって驚かない」

「そっか……ふふっ、それなら安心して半目で寝られる」

「うん。そんな度胸のある男は俺くらいだから……絶対に待ってろよ」


 彩乃が唇を震わせながらうなずいた。


「彩乃は半目でも何でも可愛いからな。……そんないい女を独占しようと思ったらさ、それなりの覚悟が必要なんだよ」


 三年間の旅は、そのための自信と覚悟を得るために自分に課した試練だ。

 言葉の通じない見知らぬ土地で、バイトをしながら写真を撮りまくる。

 それをやり遂げることができたなら、たとえどんな結果であろうとも、自信と誇りを持てるような気がするんだ。

 真っさらな気持ちで彩乃との未来に踏み出せると思うんだ……。



 結局ケーキはあまり喉を通らなくて、半分近く余ってしまった。

「こんなの一人じゃ食べきれないよ……」と彩乃がポツリと呟く。


「胃下垂なんだから大丈夫だよ。デブっても可愛いって」


 俺が笑いながら言ってやったら、馬鹿にしてると背中をバシッと叩かれた。


 旅行の疲れがあるはずなのに、その夜は全く眠くならなくて、結局また抱き合って、冗談を言い合って、また抱き合って。

 そうしているうちに夜が明けて、薄っすらと陽が差し始めた。

 カーテンを開けると、窓の外には濃紺と紫と淡いオレンジの絶妙なグラデーション。


 ――カシャッ! この景色もちゃんと覚えておこう。


 振り向くと、ベッドからこちらをジッと見つめている彩乃と目が合った。

 頬を流れる(しずく)が朝日を反射して輝いている。


 ――綺麗だな……本当に。


「彩乃……俺、行くよ」


 彼女の顔がグニャッと崩れて、バッと布団に覆われた。

 俺はゆっくり近づいて、そっと布団をめくって顔を覗き込んで……。


「彩乃、愛してる……行ってきます」


 俺を潤んだ瞳で見上げる彩乃のおでこに、頬に、そして唇にキスをして、バックパックとカメラケースを肩に掛ける。

 小さなスーツケースを持って玄関で振り返ると、ベッドから身体を起こした彩乃が、涙でぐちゃぐちゃの顔で小さく手を振っていた。


 俺も小さく手を振って玄関のドアを開けて……ドアを閉める前にもう一度振り向いたら、アイツは両手で顔を覆って号泣していた。


 パタンとドアを閉めて、鍵をかけて。

 胸ポケットに入っている彩乃の写真三枚をポケットの上からポンと叩いてエレベーターに乗り込む。


 建物の外に出た俺は、最後にもう一度アパートの部屋を見上げて目に焼き付けると、朝焼けの眩しい朝の街へと踏みだしていった。


 十月二十六日、彩乃の二十六歳の誕生日の翌朝だった。



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