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思い出さなければよかったのに  作者: 田沢みん
23/35

23、思い出作りの思い出 (4)

「――美味いな、これ」

「うん、黒糖(こくとう)風味の薄皮の中に粒あんがギッシリ詰まってるね。あっさりした甘味だから二、三個くらいはペロッと食べられそう」


「おっ、おまえ食レポ上手くなったな」

「でしょ? 私はやればできる子なんです」


 最近彩乃は朝の情報番組の食べ歩きコーナーに出演していて、食べ物の紹介をする機会が増えている。

 俺には先見の明があったということだな。


「ほら、俺が言ったとおりだったろ? 家で食レポの練習しといてよかったじゃん」

「あれは練習というより雄大に馬鹿にされただけじゃない」

「彩乃があまりにもポンコツだったからな」

「ポンコツ言うな!」


 そんなふうに喋りながら下駄を鳴らしてお店のある通りを抜け、最終目的地である湯畑に到着する。

 温泉街の中心にある湯畑は夕暮れどきからライトアップをはじめていて、青や紫色の光と白い湯けむりが幻想的な世界を作りあげていた。


 山深い草津の十月末ともなると夜はかなり冷え込む。

 それでも多くの観光客が浴衣の上に冬物の上着や丹前(たんぜん)を羽織った格好なのは、寒くてもカメラ映えと雰囲気を優先させたいということなのだろう。


 かくいう俺達も浴衣に丹前という温泉街お約束の服装だ。更に彩乃は髪をシンプルに後ろで一つに結び、顔には黒縁の伊達メガネをかけている。

 本人的には一応変装のつもりなのだろうけど、俺はこんなのあまり意味がないと思っている。まあ、言わないけど。


「案外バレないもんだな。それとも彩乃って気づいてても、みんな気づかないフリしてくれてるのかな」

「知名度が低いみたいで、地味に傷つくけどね」


 白い息を吐いて小声でコソコソ喋りつつ、彩乃がピタッと俺に寄り添ってくる。


「綺麗だね」

「ああ、綺麗だな」


 周囲の目を気にしないでもなかったが、ムード満点の雰囲気と寒さも相まって、俺は何も言わず、彩乃と肩を触れ合わせたまま景色を眺めていた。


「あの〜、森口彩乃さんですよね」


 突然斜め後方から声をかけられ、俺達は同時にビクッと肩を跳ねさせて瞬時に離れる。

 見ると大学生くらいの若い女性二人組がスマホを片手に立っている。観光客らしく、俺達と同様に浴衣に丹前姿だ。


「私達、森口さんのファンなんです! 握手してください。写真もいいですか?」

「あっ、はい……」

「やった!」


 二人がはしゃぎながらもチラリと俺に視線を移す。


 ――ヤバい!


「私は森口のマネージャーです。よかったら三人での写真をお撮りしましょうか?」

「えっ、いいんですか? やったー! それじゃよろしくお願いします!」


 俺は女性の一人が差し出したスマホを受け取ると、「もう少し近づいて。はい、撮りますよ〜」と、なるべく上品そうな笑顔と言葉遣いを心掛けて、落ち着いたマネージャーを装う。


「放映日はまだ未定ですが、今度テレビで森口がこの温泉の紹介をするので、よかったら見てやってくださいね」


 俺の説明をどこまで信じているかはわからないが、二人組は彩乃と握手してはしゃいでいる。

 咄嗟にかましたハッタリだけど、とりあえずこの場は誤魔化すことができたようだ。


 周囲の人達も徐々にこちらを注目しはじめている気配を感じ、これ以上ここにいては危険だと判断した俺は、彩乃を促してそそくさとその場を離れる。


 さっきまでの高揚した気分が嘘かのように、帰り道の俺達は無言だった。

 微妙に距離をとりながら強張った表情で足早に旅館を目指す。

 心臓の鼓動と下駄の音だけがやけに大きく響いて聞こえる。


 部屋につくと座布団の上で胡座を組んで座卓に腕を置き、顔を一撫でしたところで俺はようやく息を吐いた。


「はぁ〜、ビビったな」


 そう言いながら隣を見ると、彩乃は唇をキュッと噛んで俯いている。


「大丈夫だって。むこうは俺達が仕事で来ていたと思ってるし、あとで何か言われてもマネージャーと一緒だったでとおせばいい」


 なだめるように彩乃の背中を撫でてみるものの、彼女の表情は一向に晴れない。それどころか徐々に瞳が潤みだす。


「彩乃……?」

「ごめん、雄大……ごめん」

「なに謝ってんだよ。俺も迂闊(うかつ)だったんだ。もっと距離をとっていれば……」

「違うの!」


 思わぬ強い口調に、俺は思わず背中をさする手を止める。


「違うの……。雄大、違うんだよ……」

「彩乃……」

「私……雄大に嘘をつかせた」


 彩乃は「あのとき何も言えなかった……」とこぼすと、両手で顔を覆い泣きだした。


 人気なんてどうだっていい、バレても構わないと言っていた自分があの瞬間に考えたのは、『バレたらどうしよう』ということだった。

 騒ぎになって仕事が続けられなくなるのが怖い……と思ってしまったのだと、指の隙間から途切れ途切れに言葉を絞り出す。


「雄大が私の彼氏だって言いたいのに言う勇気がなかった。雄大がマネージャーだなんて嘘をつくのを、私は黙って見てるだけだった」


 結局何ひとつ覚悟が出来ていなかった。ひどいよね……としゃくりあげる彩乃を俺は抱き寄せる。


「彩乃、謝るなよ。おまえはなにも間違っていない。あれでよかったんだ」


 そうだよ、おまえがしたことは間違ってなんかいない。

 おまえはなんだかんだ言いつつも、今の仕事が好きなんだよ。

 自分の仕事に誇りをもって真面目に取り組んでいるんだ。

 それを俺なんかのために投げだす必要はない。そうだろう?


「俺はさ、そんな彩乃が好きなんだ」


 おまえはいつだって一生懸命で、恋もダンスも仕事も全力投球で。

 俺は笑顔と汗を輝かせてキラキラしている彩乃を誇りに思っているし、そんなおまえといつか並んで歩けるようになりたいんだ。


「だから今はこれでいいんだ」

「ううっ……雄大……」

「彩乃、泣かなくていいんだ。いいんだよ」


 おまえは自分の道を真っすぐに進めばいい。

 俺も三年後には自信を持っておまえの隣に立てるよう、必死で頑張るから。


 俺はそう言って彩乃の手首をつかみ、彼女の顔を覆っていた手をどける。

 覗きこむと彩乃の泣き顔はグシャグシャで、人気モデルのカケラもあったもんじゃない。


「ハハッ、ブサイクだな」

「ブサイク言うな!」

「いいじゃん、ブサイクでも可愛いよ」


 そこでようやく彩乃が「ふふっ……何それ、意味不明」と笑う。


 ――うん、いいな。ここにいるのは俺の……俺だけの彩乃だ。


 ブサイクでも鼻水が垂れててもいいんだ。

 彩乃がそうやって素顔をさらけだすのもみっともない顔して泣くのも俺の前だけなんだろう?

 俺にとってはそれが最高のご褒美で喜びなんだよ。


 みんなの人気モデルの彩乃が俺だけの森口彩乃の顔になる。

 この瞬間がどんなに嬉しくてどれほど俺を満たしてくれてるかなんて、おまえは考えたこともないだろうけど。


「彩乃は誰よりも可愛い……本当だよ」

「可愛いのに日本に置いて行っちゃうんだ」

「うん……ごめん」


「うん、待ってる。雄大が帰ってきたときに褒めてもらえるように、お仕事を頑張って待ってる」

「うん、待ってて」


 俺は彼女の目尻に残る涙の粒を唇で拭い、そのまま頬に、首筋にキスをする。


「もう一回ヤりたい……いい?」

「ふふっ、一回でいいの?」

「ん……ダメだな。一晩中抱きたい」


 俺が耳元で囁くと、彩乃が「いいよ」と俺の首に腕をまわす。そのままヨイショと細い身体を抱き上げて、お姫様抱っこで寝室に向かった。


 それから俺達は白いシーツのベッドの上でまた抱きあって。

 夜中の零時ぴったりに、肌を重ねながら俺が「誕生日おめでとう」と言ったら、彩乃が俺の胸に顔を埋めてまた泣いた。


 俺が彩乃を泣かせている。

 彼女が誕生日を迎えた瞬間に流す涙が、嬉し涙じゃなくて悲しみの涙。

 そう思うと、情けなさとか申し訳なさとか寂しさとかがごちゃ混ぜになって、俺も泣きたい気持ちになった。

 だけど俺には泣く資格なんかない。


「彩乃、ごめんな……」

「雄大……愛してるよ……」

「うん、彩乃、愛してる……愛してるよ…」


 心に隙間ができないように。二人の不安を打ち消すように。

 キツくキツく抱き締めあって、汗ばんだ肌をピタリとくっつけて、はじめての二人旅の夜を心にしっかりと刻み込んだ。


 あと一日で、俺たちは離れ離れになる。

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