20、思い出作りの思い出 (1)
カシャッ! カシャカシャッ!
「うん、やっぱりこのシャッター音だよなぁ」
俺が高校生のときに親戚からもらったはじめてのカメラ、N社のD300s。
これぞまさしくカメラという感じのガチッとしたフォルムと、重くて硬質なシャッター音。
型落ちした何年も前の旧製品だから、勿論スペックは最新機種に確実に劣る。
それでもシャッターを切っている手応えを感じさせてくれるこの音は格別だ。
ずっと実家に置いたままになっていたけれど、久しぶりに持ってみたら、そのズシリとした重みが手にしっくりと馴染む。
嬉しくなって枯葉の落ちる秋の庭をガシャガシャ撮りまくっていると、後ろから不意に背中を押されてよろめいた。
「うわっ、あっぶね! なんだよ、不意打ちすんなよな」
犯人はもちろん彩乃だ。
俺がどうにか体勢を立て直して振り向くと、イタズラを成功させて満足げな顔が目に映る。
「驚かせたいから不意打ちなんでしょ。それにしても、大きくよろけたね。運動不足なんじゃないの?」
「うるさいわっ! このまえまでカメラを抱えて走りまわってたっちゅーの!」
「ふふっ……いい写真、撮れた?」
サンダル履きでニヤニヤしながら俺の手元を覗き込む彩乃に苦笑しつつ、肩を抱いて一緒に縁側に座る。
「撮ったよ、沢山。ここからの景色も三年は撮れないからな……」
「うん、そうだね」
海外行きの決意を語った誕生日から一ヶ月とちょっと。
俺は十月の中旬に会社を辞め、出発の準備を整えはじめていた。
今日は彩乃の休みのタイミングで一緒に実家にきている。荷物の整理。そして思い出作りのためだ。
あの日彩乃と約束した『彩乃の誕生日プレゼント』の時間は、既にはじまっている。
俺の部屋で荷物の仕分けをしていたら、彩乃が高校のときの卒業アルバムを差しだしてきた。
「ねえ、これも持ってく?」
「卒アル? そんなの荷物になるだけだろ」
「だけどさ、寂しい一人寝の夜にはオナニーのオカズが必要でしょ?」
ぶはっ! 水を飲んでたわけじゃないのに、なぜか何かを噴きだしそうになる。
「おまえ、何言ってるの。卒アルなんかでオナるかよ」
だけど彩乃は、四角の枠の中に制服姿で収まっている自分の写真やダンス部の集合写真をひらいてみせながら、「最高のオカズだと思うんだけどな〜」なんてうそぶいている。
「……ちゃんとおまえの写真は持っていくよ」
本を片付けるフリをしながらボソッと呟くと、「本当?」と彩乃に顔を覗き込まれた。
見るなよ、恥ずかしいだろ。
「本当に決まってるだろ。彩乃が自慢の写真を選んでくれよ」
「うん……思いっきりエロエロのヤツがいいよね。ビキニ姿にしとく?」
「アホか、普通のだ。普通の……モデルの顔じゃない、俺の彩乃の写真がいい」
それを聞いて彩乃は少し頬を震わせる。
それでもグッと堪えると、俺に向かってニッと笑ってみせた。
「わかった。とっておきのを選んでおくよ。毎晩寝る前に拝んでね」
「拝むって、お釈迦様かよ」
「女神様だよ」
「ハハッ……うん、俺の女神だな」
見つめ合って、キスをした。
いつもみたいにふざけ合って、冗談を言い合って……そんな他愛もない会話が、ゆったりすごす時間が……俺達にとっては何よりも必要で、大切な宝物だったんだ。
その日は彩乃の母親と晴人も家に呼ぶと、みんなでホットプレートを囲んで焼肉をした。
俺の最初の行き先がインドで、しばらくは牛肉を食べられないだろうから、今のうちに食い溜めしておけという両親の心遣いらしい。
「彩乃ちゃん、うちの雄大が勝手言って、本当にごめんなさいね」
「真理子さん、ありがとう。雄大の性格はわかりきってるんで、大丈夫!」
話題の中心はもっぱら我が儘な俺への親からの嫌味。
だけど最後には、「まあ雄大、俺達ができる限りの援助はしてやるから、完全燃焼して納得して帰ってこい」そんな父親の言葉でウルッとさせられた。
たらふく飲んで食べて満足した俺は、一人で縁側に行き佇む。
ここにこうして座るのも、この縁側から眺める景色もしばらくはお預けだ。
不意に床板がギシッと音を立てた。振り向くと晴人がすぐ後ろに立って俺を見下ろしている。
「俺もいい?」その言葉に俺が黙って横にズレ、晴人が空いた場所に腰を下ろす。
「仕事を辞めて海外に行くなんてさ、雄大も思いきったことを考えたね」
「……まあな」
晴人が後ろをチラリと振り返ったから、釣られて俺もそっちを向いた。
座敷の向こう側の居間では、二家族のみんなが楽しそうに談笑している。
俺の母さんにキャッキャと話し掛けている彩乃の横顔が見えた。
それを確認してから俺達は揃って庭に向き直る。きっと晴人は俺に言いたいことがあるんだろう。
「雄大はさ、やっぱり写真家の夢が諦められないの?」
「うん……まあ、そうだな」
隣で晴人がゴクリと唾を飲み込むのがわかった。
「俺……雄大のことが好きだし、姉ちゃんと一緒になってくれたら嬉しいと思うよ。だけどさ、今のままだったら、姉ちゃんは幸せになれないんじゃないか……って思ったりもするんだ」
「……うん」
「だってさ、二人が付き合って何年になる? 同棲してから数えても、もう二年だろ? 姉ちゃんは二十六歳だよ、女の適齢期じゃん。 それで置いてきぼりにするって……あんまりじゃない?」
そう言う晴人の声が震えていた。
彼はグイッと右腕で目元を拭い、「こんなこと言ってごめんな」……と睫毛を伏せる。
――晴人、俺こそごめんな。
おまえにこんなことを言わせてごめん。
それを言葉にするには勇気がいっただろう。だけど言わずにいられなかったんだよな。
おまえが今言ったことは、そのまま彩乃の本心だ。
アイツが言いたくても言えずに呑み込んだ言葉を、お前が代弁してくれているんだ。
「いや、おまえの言うとおりだよ」
俺は前を向いたまま、俯いた晴人の髪をワシャワシャと撫でる。
「ほんと、最低だよな。いい加減なことをしているっていうのは自覚してる。だけど、俺が前に進むためにはどうしても必要なことなんだ」
だから三年だけ猶予が欲しい。
それで駄目ならフリーのアートカメラマンの夢を諦める。
ちゃんとどこかに就職して安定した生活をするって約束する……。
そう告げる俺の言葉を、晴人は黙って聞いていた。
「ごめんな、最後の我が儘だ」
だから……。
「晴人、俺のぶんまで弟のおまえが姉ちゃんを守ってやってくれ。よろしく頼んだぞ」
晴人はもう一度手の甲で目元を拭い、頷く。
「……わかった。雄大も気をつけて。夢……叶うといいな」
「うん、ありがとう」
晴人、おまえは本当にいいヤツだよな。
姉想いで優しくて真っ直ぐで……俺にとっても弟みたいな存在で、大切な親友だよ。
だからこそ、おまえの至極真っ当な意見が胸を直撃して、痛くて苦しいんだ。
だけどその痛みを、おまえの言葉を心に刻み付けて、俺は行くよ。前に進むために。
――今度帰ってきたそのときこそは、おまえに姉ちゃんのウエディングドレス姿を見せてやるからな……。
あの秋の日の縁側で、ぼんやりと空に浮かんだ月を見上げながら、俺はそう心に誓ったんだ。




