18、決意した思い出 (1)
「――えっ、俺がですか?」
「ああ、そのうちスタッフの人数も増やしていく予定だけど、まずは少数精鋭でって思ってる。一緒にやらないか?」
先輩のチーフカメラマンが会社を辞めて独立することになった。
仕事内容は今の会社とほぼ同じ。ウェブや雑誌に掲載する広告用の食べ物の写真を撮って仕上げて納品する。
今のところ従業員は、先輩と先輩の奥さんと知人の三人。
そこに俺もカメラマンとして参加しないかと誘われた。
今の会社でフードフォトグラファーとして働き始めて約二年半。
たしかにそれなりの仕事はできるようになってきていたし、気心の知れた先輩となら、楽しく仕事ができそうだが……。
「ちょっと考えさせてもらってもいいですか?」
「うん、それは構わないけれど、早目に返事がほしいかな。駄目なら他を当たらなくちゃいけないから」
喫茶店で先輩と別れてから考えた。
今の職場にいるカメラマンは三名。アシスタントカメラマンを入れても五名。
先輩が抜けたら二番手の俺がチーフカメラマンになるだろう。
カメラマンは基本的に個人仕事だから、チーフといっても他のカメラマンに仕事を割り振ったりアドバイスをする程度でやることに大差はない。
それでも多少は給料が上がる。
――先輩についていくにしても、チーフになるにしても、一度引き受けたら簡単に辞められなくなるな……。
俺はこの仕事をいつか辞める前提で考えている。
そう気づいた途端、自分に苦笑した。
――夢を諦めたなんて嘘だ。俺はいつまで経っても諦めきれずに引き摺って、前にも進めていないじゃないか。
もう駄目だ、自分に嘘はつけない。
どうせこのままじゃ、仕事にのめり込むことも結婚に突き進むこともできないんだ。
だったら未練を完全燃焼させて、すべてをリセットしてから新しくはじめるしかないだろ……。
――今度こそアイツに愛想を尽かされるかもしれないな。
だけど不思議と心は凪いでいた。
もういろんなことから逃げるのはお終いだ……そう決めた。
ツクツクボウシが鳴いている、夏の終わりの暑い日だった。
* * *
俺の二十六歳の誕生日は金曜日で、彩乃は朝から仕事が入っていた。
少し前からプレゼントは何がいいかと聞かれていたが、『どうしても欲しいものがあるけれど、それは当日に言うから何も買わなくていい』と言っておいた。
彩乃は怪訝そうな顔をしながらも、それ以上何も聞いてこなかった。
当日、俺は仕事帰りにコンビニでダッツの抹茶アイスとアイスキャンディーのソーダ味を買って帰り、オムライスを作って彩乃を待った。
何時になろうが起きて待っているつもりだ。
「ごめんね〜、遅くなって」
この日は夜遅くの仕事を入れないでほしいと事務所にお願いしてあったらしく、彩乃は夜八時過ぎには帰ってきた。
急いでシャワーを浴びて出てくると、ソファで俺の隣に座る。
ガラステーブルに置かれたオムライスを目にしてパアッと顔を輝かせたけれど、すぐに不思議そうに俺を見た。
「オムライスって……私の好物じゃん」
「うん……おまえに喜んでもらおうと思って」
「雄大の誕生日なのに?」
「うん。俺の誕生日だから」
俺が真顔でそう言うと、彩乃が唇をキュッと引き結んで黙り込む。
俺も黙ったものだから部屋の中がシンとして、息をするのも苦しくなった。
「プレゼント……欲しいものって、何?」
「……うん……食べてから言う」
「今言って」
「うん……」
俺はローソファーから降りると、彩乃のほうを向いてカーペットに正座する。
彩乃も俺の前に正座して向き合った。
俺は一つ深呼吸してから思いきって口をひらく。
「俺……やっぱり自分の作品を撮りたいんだ」
「……うん」
「就職してからも、アートカメラマンになりたいって気持ちがずっとあって……」
「うん……」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「今の会社を辞めて、海外に行ってみようかと思ってる」
「海外⁉︎」
黙って聞いていた彩乃の目が大きく見開かれた。
俺の膝に手を置いて、縋るような目で見つめてくる。
「嘘っ、海外って……どういうこと⁉︎ 写真なら日本でだって……」
「駄目なんだ……俺さ、どうしても成瀬先輩を意識しちゃうんだ」
「どうして? 私、成瀬先輩とは本当に何もないよ? 私が好きなのは雄大だけで……」
「わかってる。それは疑ってないし、そういうことじゃないんだ。俺が勝手にライバル視してるだけ」
先輩から見れば、ライバルでも何でもないのに。向こうは遥か先を行っているのに。
「高一の夏……あのときに先輩が撮った彩乃が、頭の中から離れないんだ」
彩乃の一番の笑顔を知っているのは俺のはずなのに。
俺なら彩乃をもっと自然に、もっと綺麗に撮れるはずなのに。
コイツの本当の最高の笑顔を写真に残したいのに。
「馬鹿だろ? 同じ土俵に立ててもいないのにな」
「……同じ土俵に立たなきゃいけないの? 私の一番の笑顔は雄大のものだよ。 いくらでも写真を撮ればいいじゃない」
「……駄目なんだ」
「だったら……私が雄大以外の人の前で笑わなければいい。 私、モデルを辞めたっていいんだよ! そうすれば……」
「だから、それが駄目なんだって!」
俺が思わず声を荒げると、彩乃の肩がビクッと跳ねた。
そして頬を震わせたかと思うと、みるみるうちに瞳が潤みだす。
「知っている人が誰もいない場所で、自分が満足できるまで、好きなものを好きなように撮ってみたいんだ」
「雄大……」
「ごめんな、勝手なこと言って。 三年ほしい……それが俺への誕生日プレゼント」
彩乃が両手で顔を覆って俯いた。
俺は黙ったまま何も言えずに、彩乃の身体を両手でキツく抱き締める。
肩の震えが収まるまで、涙が止まるまで、コイツの怒りと痛みを受け止めて……だけど決心は揺るがなかった。




