17、同棲時代の思い出 (4)
夏に彩乃が出演したコマーシャルが、テレビ局主催のCM大賞で最優秀作品賞を受賞した。
以前彩乃が出演した炭酸飲料のCMの第二弾。
これは前回の続編とも言えるもので、母校の教師になった彩乃が校舎の窓からダンス部の練習風景を眺め、懐かしさにホロリと涙を零すというストーリー仕立てになっていた。
軽快な曲に合わせて踊るダンス部の生徒たち。
彼女たちの影が、夕焼けに照らされるグラウンドに長く伸びている。
廊下を歩いてきた彩乃が立ち止まり、二階から見下ろす。
若かりし日の、夢と希望に溢れていた自分の姿が蘇り、ここで第一弾のCMのダンスシーンが流れる。
サラサラと風になびく彩乃の髪が、夕日を受けてオレンジ色と黄金色に輝いている。
陰影のついた横顔。頬をツーッと伝う一筋の涙。
彼女はペットボトルの蓋をひねり、炭酸飲料を一口飲んでから、グイッと右手で涙を拭う。
『よしっ、頑張ろっと!』
画面には学校全景が映しだされる。
夕焼けに照らされた校舎。背筋を伸ばして廊下を歩いて行く彩乃。
手前のグラウンドでは炭酸飲料を飲みながらはしゃぎ、お喋りしているダンス部員。
『涙ホロリ、思い出キラリ、心にシュワッと沁み渡る……君の青春はここにある』
最後にナレーションとともに商品名が告げられて終わるこのCMは、放映直後から反響を呼び、メイキング風景を映した動画サイトの驚異的な再生数も話題にあがった。
前回の、ダンスと青春を前面に出した明るいものから一転して、今回は過ぎ去った青春の日々に想いを馳せる、甘酸っぱくも苦く切ないストーリー仕立て。
『教師となった彼女に何が起こったのかは一切語られない。けれど頬を流れる一筋の涙が、仕事の悩みや社会人としての苦悩、そして青春時代への追憶を全て表現している』
『CMというよりも、もはやショートムービーと言ってもいいだろう。見たあとはノスタルジックな気持ちにさせられる。そしてまた見たくなる』
『前回のCMと上手くリンクさせつつ、動と静で楽しかった若かりし青春の日々と悩める社会人の日々の対比をうまく表現している』
世の評論家の評判も上々で、SNSやブログにはいくつもの褒め言葉が並んだ。
もちろん商品自体の売り上げもよく、購買層のターゲットを十代の若者のみから広範囲に広げ、大成功をおさめた形となった。
表彰式は翌年の二月下旬に汐留のテレビ局で行われた。
表彰式自体はテレビ中継されなかったものの、そのときの様子は夕方のニュースやワイドショーで繰り返し流されて、俺も仕事から帰ってつけたテレビで何度も目にすることになる。
CM制作に携わったスタッフの中央にワインレッドのドレスを着た彩乃が立ち、代表して盾を受け取っている。
隣には黒いスーツでカッチリとキメた成瀬先輩の姿もあった。彼は今回もスチールカメラマンとしてCMに参加していたのだ。
――あ〜あ、お似合いだよな……。
俺があそこに立てていたら、今頃は彩乃にプロポーズできていたのだろうか。
アイツが欲しがっている言葉を躊躇なく言ってやれたんだろうか……。
考えたって仕方がない。俺は成瀬先輩じゃなくて、毎日食べ物相手に奮闘しているしがない会社員だ。
自分の仕事をことさら卑下する必要なんてないというのはわかっている。
フードフォトグラファーはそれなりにやり甲斐があるし、クライアントに喜んでもらえる立派な仕事だ。
写真に携われている。好きなカメラを手に汗をかき、シャッターを切っている。
それで十分じゃないかと思う。
だけど常に心のどこかで叫んでいるんだ。
――自分の写真を、『自分の作品』を撮りたい……。
若い頃に成し得ることなく、生活のために諦めた夢が、今も中途半端に燻り続けている。
目の前のテレビ画面には、夢を成し遂げた俺の恋人が、そしてかつて恋人に想いを告げた人物が、明るい光を浴びて映っている。
彼らに向かって切られるシャッター音。点滅するいくつもの閃光。
あのシャッター音は、フラッシュは、俺が彩乃に向けるはずのものだったんじゃないのか?
俺はまだ一度も自分のカメラで彩乃を撮れていないじゃないか……。
今日は受賞祝いで内輪のパーティーがあるらしく、彩乃のぶんの夕食はいらないと聞いている。
一人での食事に手を掛けたくもないから、俺はコンビニの弁当で済ませることにする。
それでも一応お祝いはしてやりたい。アイツが好きなダッツの抹茶アイスを買ってきて冷凍庫に入れておいた。
彩乃のことだ、夜中にこんなのを食べたら太ると文句を言いながらも、『だけど胃下垂だから大丈夫』とか言ってペロリと平らげてしまうんだろうな。
そんなことを考えながら、俺は思わず苦笑する。
――これじゃ俺は、ご主人様を待つ忠犬ハチ公だな。
俺が結婚したいと言ったら、きっと彩乃は喜んでくれるだろう。
いっそ結婚してしまえば踏ん切りがついて、こんな鬱々した気持ちも消えるかもしれない。
無駄な夢を諦められるかもしれない。
――それもいいかもしれないな……。
そこまで考えて、ブルブルと首を横に振った。
『喜んでくれるだろう』
『いっそ結婚してしまえば』
『踏ん切りがつく』
『諦める』
俺は何を言ってるんだ。
彩乃の大切な夢なのに。花嫁さんになりたいって言っていたのに。
俺が考えていることといえば、ネガティブな逃げの言葉ばかり。
俺は心から『結婚したい』と思えているか?
仕方なく結婚してアイツが本当に喜ぶのか?
アイツの夢を汚してどうするんだ!
恋人の大事な夢を自分の夢の墓場にしようとしている男が、本当に幸せになんてできるはずがないだろっ!
「くっそ〜……最低だ、俺」
カチャッ、キ……バタン!
「ただいま〜! あっ、雄大〜、賞をもらったよ〜!」
彩乃が帰ってきた。ほろ酔い加減の真っ赤な顔で、ソファにいる俺に抱きついてくる。
もう表彰式の赤いドレスは着ていない。あの姿を近くで見れなくて残念だな……と思った。
「おう、おめでとう。ニュースで見てたよ」
「ふふっ……もっと褒めて〜、ヨシヨシして〜」
「ヨシヨシ、頑張った。お前は偉い! 俺の自慢の彼女だ」
「ヘヘッ、ありがとう〜。雄大は私の自慢の彼氏だよ〜、大好き〜、チューして〜」
――彩乃、俺は全然自慢できるような彼氏じゃないよ。
「チューをしてやるし、ご褒美にダッツの抹茶アイスもやるから、先にシャワーを浴びてこいよ」
「ええっ、こんな時間からアイスを食べたらブタになっちゃうよ〜。でも私は胃下垂だから大丈夫なのデス! シャワー浴びるからキスだけ先にちょうだ〜い」
「おまえはしょうがないな」
チュッと啄むような軽いキスをしたら、彩乃からアルコールの匂いがした。俺も酔いそうだ。いっそ酔ってしまいたい。
「雄大、もっと……」
そのまま彩乃に押し倒されると、強く唇を押しつけられて、舌が入ってくる。
「雄大、大好き……」
「うん……」
体勢を変えて俺が上になると、そのまま彩乃の背中に手をまわし、口づけを深くした。
「は……んっ……雄大……」
「彩乃……っ……」
――今の俺じゃ、おまえをしあわせにできないんだよ……!
なあ彩乃、あの頃から、もっとちゃんと気持ちを伝えておけばよかったな。
「ありがとう」、「感謝してるよ」、「大好きだ」、「愛してる」、「俺だってずっと一緒にいたいんだ」。
『結婚』以外にもかける言葉はいくつもあったはずなのに、俺は上辺の優しさだけで取り繕って、微妙に核心に触れるのを避けていた。
叶わぬ夢ばかりが空回りして、自分がどうしたいのか、どうすればいいのかもわからずに、ジリジリした気持ちを抱えたまま焦燥と葛藤の日々を過ごしていたんだ。
もうすぐ同棲生活が一年半を迎えようとしていた、二十五歳の冬の終わり。
彩乃と俺が付き合って、既に十年近くが経とうとしていた。




