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思い出さなければよかったのに  作者: 田沢みん
16/35

16、同棲時代の思い出 (3)

 カシャッ! カシャカシャッ!


 そうめんを撮るときには、麺のコシと瑞々(みずみず)しさをいかに表現するかがポイントだ。

 鉄板系や鍋のように煙や湯気で熱を伝えるわけにはいかないし、パンケーキのように黄金色のトロトロシロップを上から垂らすわけにもいかない。

 

 ズズッ、チュルッと(すす)ったときの喉越しや涼しさを写真で伝えるには、とにかく美しさが勝負。


 使うのは透明なガラスの器。光の反射で素材を輝かせてくれる。そこに白くて細い麺を一筋の乱れなく美しく盛りつけて、上に透明な氷のカケラと緑のカエデの葉を一枚飾る。

 前方に赤い漆塗りの箸、後方にガラスの器に入った茶色いツユを置けば、目にも鮮やかな色のコントラストが浮かび上がる。


 そして仕上げが水だ。


「ツヤをお願いします」

「はい!」

 女性アシスタントが麺に筆で水を塗る。

 最後にスポイトでカエデの葉の表面に慎重に水滴を垂らせば、『瑞々しさ』の出来上がり。


 カシャカシャッ! カシャッ!


「お疲れ様でした〜。次はラーメン店に移動で〜す」


 ――今日は麺続きだな。まあ、湯気と具があるだけそうめんよりは表現しやすいか。


 朝から晩まで食べ物、食べ物、食べ物。

 食べ物の写真をひたすら撮って撮って、撮りまくる……ただ、それだけ。


 ――撮りてぇな……外の景色を……生き物を……。


 

 * * *



 カチャッ……キ……パタン。

 鍵の開く音がして、ドアがひらいて、閉まって。


「ただいま〜!」


 俺がリビングの隅のコンピューターデスクでパソコンに向かって作業をしていたら、後ろから背中に全体重をかけてのし掛かられた。


「写真の編集? あっ、ラーメン? 美味しそうだね。 私たちも今夜はラーメンにしようよ」


 パソコンの画面を覗き込みながら、彩乃が耳元で甘えた声をだす。


「今夜はそうめん。冷蔵庫に薬味と麺が入ってるから食えよ。 あと、あまりデカくない胸を押しつけてくるのはやめてくれ。貧乳でも反応して()っちゃうから」

「もうっ、失礼だな! これでも公称Cカップあるんだからねっ!」


「あるある詐欺だな」

「ひっど〜い! 寄せて集めればギリでCカップになるんだから! ちゃんと谷間だってできるんだよ」


 ますますムギュッと胸を押しつけられる。


「ほんっとやめて。今日中にこの作業終わらせたいから」


 クルリと椅子を回して振り返れば、彩乃が待ってましたとばかりに俺のひざに横座りして、首に両腕を巻きつけてきた。


「やっと雄大と目が合った……」


 彩乃はコツン……とオデコを合わせて、何かをせがむように至近距離からジッと見つめてくる。


「……ごめん。お帰り、お疲れ様」


 口の端で笑ってチュッと短く口づけてやると、彩乃は満足したのか(ようや)く立ち上がった。


「へへっ、ただいま。シャワー浴びてくるね。そうめん楽しみ〜」


 現金なもので、彩乃はキスひとつであっさりと機嫌をなおし、ヘラッと表情を崩して寝室に着替えを取りに向かう。

 まったく、俺のお姫様は自由で甘えん坊だ。


 ――くっそ、ちょっと()っただろうが。


 これは、彩乃が出てきたら絶対に仕事にならないな。


爆速(ばくそく)でとっとと終わらせるか」


 エコーがかかった下手くそな鼻歌とシャワーの音をBGMに、俺は慌てて画面に向きなおった。



「――うん、美味しい! 雄大、天才! 料理上手! そうめん職人!」

「麺打ち職人みたいに言うなよ。ただ茹でただけなんだから」


 ちゅるちゅるズルズルとものすごい勢いでそうめんを平らげていく彩乃の食いっぷりを、俺は隣で微笑ましく見つめる。


「おまえ、めちゃくちゃ食うのに太らないよな」

「うん、胃下垂なのかな。これだけはありがたい。一応モデルだしね」


「一応って、プロだろうが」

「う〜ん……半分タレントだしね。パリコレに出たりハイブランドの専属モデルになるような人とはちょっと違うじゃない? 身長もそこまで高くないしさ。中途半端なんだよね」


 高校卒業後六年、同棲を開始してもうすぐ一年。

 十八歳で芸能界デビューした彩乃も、あと二ヶ月もすれば二十五歳だ。

 ティーンズ雑誌のモデルができなくなって、二十代をターゲットにしたファッション誌のモデルになり……。

 時々CMやバラエティ番組に出たりもしているけれど、今後の方向性で悩んでいるらしい。


「このまま年齢を重ねていくでしょ? そしたら二十代後半のOL向けの雑誌に移って、次は流れで言ったらミセス向けの雑誌だよね……ミセスじゃないのに」


 ガラス製のつゆ鉢に箸を置き、チロリと俺を上目遣いで見つめてくる。


「新しいCMが好評じゃん。女優でもイケるんじゃないの?」


 そう言ったら、彩乃はあからさまに表情を曇らせ、唇を引き結んで目を伏せた。


 うん、俺は彩乃が欲しい言葉を、何を待っているのかを知っている。

 知っていながら誤魔化して、アイツを何度も傷つけて……最低だな。


 ――ごめん、彩乃。


 だけどさ、彩乃。俺だって、ちゃんと『いつかは』って思ってたんだぜ。

 今はまだ自信がないけれど、そのうち経験を積んで、給料も上がって、そこそこ大きなダイヤの指輪を買ってやれるようになって……そのときには、おまえの夢を叶えてやれるかな……って、そう思ってたんだ。本当だよ。


 俺はおまえに甘えてたんだな。

 皮肉げに苦笑して、だけど嫌味を言うでも俺を責めるでもなく、自ら話題を変えたおまえにホッとして。

 そのまま抱き合えば、心も身体も繋がって、ずっと二人で一つでいられるって思い込んでいたんだ。

 俺達は他人なんだ。ちゃんと言葉にして伝えなきゃいけなかったのにな。


 気まずさに負けてテレビのスイッチを入れると、その夏にあちこちで流れていた炭酸飲料水のCMが画面に現れた。

 そこには俺の恋人が、知らない顔で映り込んでいる。

 俺はそれから目を逸らすようにして、彩乃の肩を抱き寄せて、強く口づけた。


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