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思い出さなければよかったのに  作者: 田沢みん
15/35

15、同棲時代の思い出 (2)

 十一月の初旬。俺と彩乃は同棲を開始した。


「ハッピーバースディ、彩乃。そしてお疲れ様」

「ありがとう雄大、お疲れ様〜!」


 カチンとシャンパングラスを合わせて乾杯する。


 七・五帖のLDKにガラステーブルとローソファーとテレビとパイプハンガー。

 隣の四・五帖にはクイーンサイズのベッド。

 今日からここが俺達の城だ。


 駅から徒歩十分、築七年の1LDK。

 外から出入りが見えにくく、セキュリティーもしっかりしている物件となると、家賃もそれなりになる。


『私の希望なんだから私が家賃を払うよ。どうせ荷物も私のほうが多いんだし』


 彩乃の喜ぶ顔と男のプライドを秤にかけて、前者を取った。

 家賃の三分の二が彩乃の負担、残りの三分の一が俺の支払い分と決まった。


 ここに至るまでに、全く問題がなかったわけではない。

 彩乃の所属している事務所はモデルがメインで恋愛には寛容だが、彩乃の場合はアイドルのような売り方をしているから、同棲に対して事務所がいい顔をしなかったのだ。


 二人揃って社長に呼びだされ、事務所の応接室で話し合いの場が持たれた。

 社長とマネージャー、彩乃と俺で向かい合い、(きつね)みたいに細い目をした女社長に渾々(こんこん)と説教をされる。


『ここまで売りだすのに事務所がどれだけ力を入れてきたと思ってるの?』

『今ここでファンが離れたら、人気が落ちるのなんてあっという間なのよ』

『大体、彼氏がいることだってバレたくないのに、同棲だなんて……』


 ジロリと俺に睨みをきかせながら、彩乃とマネージャーにネガティブ発言を続ける社長に向かって、彩乃が堂々と言い放った。


『私は雄大がいるから頑張れてるんです。契約書には男女交際禁止だなんて書かれていなかったし、もしも書かれていたら、私はこの事務所で働いていませんでした。第一、もうすぐ二十四歳になるのに彼氏の一人もいないって、そんなの今どき誰が信じるんですか⁉︎』


 もう二人とも成人しているのだし、両家の親も公認。結婚したっておかしくない年齢だ。

 そういって一歩も引かない彩乃の説得に、社長が折れた。


 結果、俺との関係を大っぴらにしないこと、バレないよう細心の注意をはらうという約束の元、どうにか許可をもらうことができて、俺達の引っ越し話は動きだしたのだった。



「――彩乃、手を出して」

 シャンパンで乾杯をした後、彩乃の手にちょこんと合鍵を乗せてやる。シルバーのハート型キーホルダー付きだ。


「遅くなったけど、二十四歳おめでとう。今日からよろしくな」

「やった、合鍵!  キーホルダーまで買ってくれたの⁉︎」


 彩乃はパアッと花開くような笑顔を浮かべたかと思うと、次の瞬間には目を閉じて両手で合鍵を握りしめ、大切な宝物のように胸に抱く。


 その嬉しそうな顔を見れただけで、男として誇らしいというか、一仕事やり終えた達成感があって、心がじんわりと温かくなる。

 無理してでも引っ越ししてよかったな……と思えた。


「嬉しい……私の我が儘を聞いてくれてありがとう。 無理させちゃって、ごめんね」


 無理させた……というのは、金銭的な面と、労力の面、両方を言っているのだろう。


 彩乃は忙しいし大っぴらに動くことができないため、マンションの契約をはじめ引っ越しの手続きは殆ど俺一人で済ませた。

 じつをいうと十月末に俺だけ一足先に引っ越しを済ませて生活を始めていて、彩乃はそこに今日、荷物を運び込んできた形となる。


 彩乃の誕生日当日の十月二十五日は日曜日だった。

 その日に引っ越しすれば、まさしく『誕生日のプレゼント』になったんだろうけど、あいにくその日は彩乃に事務所主催のファンの集いがあって無理だった。


 その後もお互いに忙しくて会えないままだったから、今日は久々の再会にして、やっと出来た誕生祝い、そして引っ越し祝いというわけだ。

 誕生日より一週間もあとだとか、家賃を彩乃のほうが多く出すとかサマにならないところもあるけれど、それでも同棲開始には違いない。


 俺の誕生日に約束したとおり、彩乃が望んだ誕生日プレゼントをようやく贈ることができたのだ。



「よっしゃ、ケーキ食うか。あっ、そのまえにケーキとシャンパンの写真を撮らせて」


 部屋の隅からカメラバッグを取ってきて、大きめなズッシリしたカメラにレンズを装着する。

 この頃、俺が仕事でよく使っていたのがN社の単焦点レンズ。

 ズーム機能が無いからピントを合わせるために自分自身が動かないといけないけれど、接写ができるし背景をいい感じにボケさせることができるので、料理の美味しさ、所謂(いわゆる)『シズル感』を表現しやすいのが気にいっていた。


 パシャッ、パシャパシャッ!


 フードフォトグラファーの実力発揮とばかりに、グラスの位置を変えながら、洒落た構図で写真を撮っていく。


 普段彩乃を撮っている一流カメラマンには(かな)わないけれど、食べ物の撮影に関しては一応プロだ。

 少しカッコつけて、「ここじゃ、ライティングが今ひとつだからなぁ〜」なんて言ってみたりしながら、右に左に動いて何枚も写真を撮っていく。

 満足してカメラを片付けようとしたら、彩乃に「私も撮ってよ」と言われて手を止めた。


「これは……仕事用だから。おまえのスマホで撮ってやるよ、ほら、貸して」


 彩乃は差し出した俺の右手をジッと見て、それから俺の顔へと視線を移した。


「雄大さ……今の仕事が好き?」


 真っ直ぐに瞳を射抜かれて、一瞬言葉に詰まる。

 部屋の温度が一気に下がった気がした。


「好きかって……まあ、いろんなお店に行っていろんな食べ物の写真を撮るのは楽しいよ」

「そういうことじゃなくて、好きかどうかって聞いてるの」

「……別に嫌いじゃないよ。なんだよ、そんなのどうでもいいだろ? 早くケーキを食べようぜ」


 話を続けたそうな彩乃を遮って、俺はお皿とフォークを手に持つ。


 ――なんだよ、俺の心を覗くなよ。

 ――全部お見通しって顔をするなよ。


「イチゴ食べないなら、俺がもらうぞ」

「あっ、ヒドイ! 私がイチゴを最後まで取っておくって知ってるくせに!」

「ハハッ、美味いな」

「もうっ!」


 俺が無理やり話題を変えて、アイツはそれを追求することなく俺に合わせて。

 はしゃぎながらも、さっきまでとは違って、どこかシラけたような空気が漂っていて。


「冷凍庫にダッツの抹茶アイスが買ってあるぞ」

「それじゃ、許す」

「ふはっ、単純」


 自分がそう仕向けたくせに、俺を責めない彩乃にイラついてもいて。

 だけど本当にムカついていたのは、俺自身の不甲斐なさにで。


 ――だってそんなの、仕方ないだろう?


 俺はおまえや成瀬先輩とは違うんだよ! 誰もがやりたいことをして食ってけるわけじゃないんだよ!

 カッコ悪くてもダサくても、生きていくために夢を諦めなきゃ、しょうがないんだよ!


 ――簡単に俺の未練を掘り起こすなよ!


 俺は喉元まで迫り上がってきた言葉をグッと呑み込んで、貼り付いた笑顔でシャンパンを飲み干した。


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