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思い出さなければよかったのに  作者: 田沢みん
14/35

14、同棲時代の思い出 (1)

 カシャッ! カシャッ!


「それじゃ、箸上(はしあ)げをお願いします」


 お好み焼きを撮影するときのポイントは、ソースと湯気とかつお節だ。


 鉄板に垂れてジューッと香ばしい音を立てる照りのあるソースと、湯気でユラユラ踊るかつお節。

 俯瞰(ふかん)と三角構図の両方でできたての状態を撮ったら、次は箸を入れた瞬間にすかさずシャッターを切る。


 フワリと上がる湯気をカメラにおさめるにはスピードが命。

 焼きたて熱々の、ハフハフほふほふ感がレンズを通じて表現できれば大成功だ。



『写真家』として芸術作品を生み出すことができなくても、『カメラマン』として写真に携わることはできる。

 約三年間にわたるアシスタントカメラマンを辞めた俺は、その年の春に上京し、広告用の写真を手掛ける会社に就職した。


 俺はそこで『フードフォトグラファー』として料理の写真を撮る仕事に就いた。いわゆる『商業カメラマン』というやつだ。


 朝から晩まで食べ物の写真をひたすら撮りまくる。

 求められるのは、いかに美しく、いかに美味しく見せるかのみ。そこには撮影者の個性も主義主張も必要ない。

 写真を見た相手にゴクリと唾を飲み込ませることができればそれでいい。


 今の会社に就職して約半年。最初は勝手がわからず戸惑いもしたけれど、(ようや)くコツが掴めてきて、自分のペースで動けるようになってきた。

 何よりちゃんと休みがとれるし人間らしい生活がおくれるのがありがたい。


 給料も人並みに貰えるようになって、少しずつだけど貯金もできている。

 やり甲斐があるかと言われたらよくわからないけれど、少なくとも常に焦燥感に駆られていたあの頃よりは、心が穏やかでいられる。

 逃げかもしれないが、それでいいと思っていた。



「――うわぁ〜、このお好み焼き、フワフワしてて美味しいね」

「だろっ? ソースも甘過ぎなくてさ」


 今日は仕事終わりに彩乃のアパートに寄って、俺が買ってきたお好み焼きを一緒に食べている。

 二個のうち一個は撮影先の店主がサービスしてくれた。

 時刻は午後九時過ぎ。夕飯を食べるには遅すぎる時間だけれど、彩乃が帰って来るのは夜中過ぎも珍しくないから、まあ、こんなもんだ。


「彩乃、食レポしてみろよ」

「ええっ!」

「これからそういう仕事がくるかもしれないだろ。練習しておかないと」


 俺の無茶振りに、彩乃はコホンと一つ咳払いをしてから背筋を伸ばす。それからテレビ向けの可愛い子ぶった笑顔で食レポを開始した。


「え〜っと……わぁ〜っ、生地がフワフワで柔らかいですね。ソースが甘過ぎなくて美味しいです!」


「下手くそかっ! ソースのくだりは俺のパクリだし」

「雄大が急に言うからじゃない」

「そんなの即興(そっきょう)でできなきゃ駄目だろ」


 そんなふうにじゃれあいながらお好み焼きを完食したあとは、彩乃が買ってきたコンビニの小さなモンブランケーキにロウソクを立てて、俺が吹き消す。俺はイチゴよりもモンブラン派なのだ。


 今日は俺の二十四歳の誕生日の前夜祭。

 本当は誕生日当日も一緒にゆっくり過ごせればいいんだけど、残念ながら明日は彩乃の帰りがかなり遅くなるらしい。

 だから今夜だけでも一緒に祝おうと彩乃が言ってくれて、平日にもかかわらず俺が泊まりにきたというわけだ。


「はい、誕生日プレゼント。開けてみて」

「ありがとう」


 彩乃から渡された長方形の箱を開けると、中からペアのマグカップがでてきた。

 白地にピンクのハート柄と、白地に水色のやつ。


「うわっ、ベタだな」

「まずは『ありがとう』でしょ」

「ありがとうございます……って、マグカップは俺が彩乃の誕生日に贈るんじゃなかったっけ?」


 俺の誕生日が九月十日で、彩乃が十月二十五日生まれ。そろそろプレゼントを買わなきゃと考えていたのに、これじゃあ何を贈ればいいのかわからない。


「私ね、リクエストがあるんだ……」


 チロリと上目遣いで言われてドキンとする。

 彩乃がこんな目をして甘え声をだすときは、大抵おねだりか無茶振りだと決まっているのだ。


「俺、でっかいダイヤの指輪とか無理だぜ。めっちゃ小粒か偽物ならどうにかなると思うけど」


 前もって牽制すると、彩乃は頬をぷっくりと膨らませて()ねた顔をした。


「違うって、そんなんじゃないよ!」

「じゃあ、何だよ」

「………が欲しいな…」


 小声でゴニョゴニョ言ってるけど聞こえない。


「えっ、何?」

「……鍵」

「えっ?」

「雄大のアパートの合鍵が欲しいです!」


 よろしくお願いします! ……みたいに両手を差しだして頭を下げられたけれど、正直俺は困ってしまった。


 俺が住んでいるアパートは駅から徒歩十五分のワンルームで、セキュリティーは甘々だし部屋への出入りも道路から丸見えだ。

 そんなところに芸能人が現れたらすぐに噂になってしまうし、第一危険極まりない。

 彩乃が一人でいるときにストーカーにでも襲われたらどうするんだ。


「それは……マズいだろ」

「だって、もっと一緒にいたいよ」


 俺達が会うのは、彩乃の部屋かホテルか実家だと決まっていて、それもほんの限られた時間だけ。

 しゅんと肩を落とす彩乃が可哀想だとは思うけれど、これも彼女のためだ。仕方ない。


「それじゃあさ、次のお願い」

「今度は実現可能なヤツな」

「それは雄大次第だよ」

「怖っ」


 彩乃はまたしてもチロリと上目遣いをして……。


「一緒に住みたい」

「はぁ?」


 こいつなに言ってんだと口をあんぐりさせている俺に、彩乃は猛烈アピールを開始してきた。


「ねえ、同棲しようよ。そしたらもっと一緒にいられるよ。仕事から帰ったら家で可愛いモデルさんが待ってるよ。サービスしちゃうよ、お得だよ」


 クリッとした大きな目をパチパチ瞬きさせながら、両手で俺の腕にしがみつき、胸をグイグイ押しつけてくる。


「ハハッ、サービスって……おまえはデリヘル嬢かっ」

「私といたらデリヘル嬢も必要ないよ」

「そんなの呼ばねぇし」


 ――だけど……。


「俺も、彩乃ともっと一緒にいたいな……とは思うよ」

「でしょっ?」


 股間に血液が集まっていくのを感じながら、俺は頭の中で引越し費用や貯金残高を素早く計算する。


「……ブランドもののアクセサリーをプレゼントするのが先延ばしになるぞ」

「そんなのいらないよ!」

「それじゃあ……」


「一緒に住むか」と俺が言った途端、彩乃が勢いよく抱きついてきた。

「やった! 雄大、愛してる!」


 ハニートラップに陥落の瞬間だ。

 俺はソファーの上で彩乃に押し倒されて、顔中にキスの雨が降ってきて。


 俺の二十四歳の誕生日プレゼントは、ペアのマグカップと可愛い彼女のたっぷりのサービス。

 両方とも俺と一緒に新しい部屋に引っ越しすることになった。


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