11、アシスタント時代の思い出 (2)
翌年、カメラマンの専門学校を卒業した俺は、以前からバイトしていた撮影スタジオにそのままアシスタントとして就職した。
月給手取り十二万、勤務時間は早朝から深夜までの不定期。徹夜あり、定休日なし。
労働基準法? 何ソレ? 状態の過酷な現場。
時間が不規則だから他でのバイトもできず、アパートでの一人暮らしは無理だと判断して実家暮らしを続けている。
それでもいつかは独立して写真家としての仕事ができると信じ、キツい日々に耐えていた。
一方の彩乃はというと、女性向けのファッション雑誌のセンターを飾る傍らたまにバラエティ番組なんかにもでたりして、相変わらずの売れっ子だ。
毎日俺にメッセージを送ってきては、撮影現場の様子だとか、今日は何を食べたかとか些細なことも知らせてくれる。
だけど俺のほうは先輩アシスタントやカメラマンにこき使われるわ怒鳴られまくるわで疲労困憊。返事どころか文章に目も通せない日も少なくない。
それでもアイツは時間ができれば横浜に帰ってきて、なんとか俺との時間を作ろうとしてくれていた。
彩乃は地元の星で有名人だったし、街なかでのデートは写真を撮られる可能性があったから、会うのは基本的に家の中。
だけど二人きりで過ごしたかったから、たまに俺の運転で隣町のラブホまで行って、短い逢瀬を楽しんだりもしていた。
「一緒に住みたいな」
それが、その頃の彩乃の口癖。
俺はいずれ東京のスタジオで働きたいと思っていたけれど、経済面での自立ができないことから断念していた。
それを知っている彩乃が、自分がアパート代を出すから同棲しないかと何度も言ってきていたのだ。
「嫌だよ、それじゃまるでヒモじゃないか」
俺がそう言うと、彩乃はいつもつらそうな顔をする。
「雄大がいるから私は頑張れるんだよ。一緒にいてくれたらもっと頑張れる。それでいっぱい稼いで、二人の生活のためにお金を使って……それじゃ駄目なの?」
──駄目なんだよ!
家賃を折半ならまだしも、全額彼女に支払わせて養ってもらうだなんて、男のプライドが許さない。
それをしてしまったら、俺は卑屈になってアイツと普通に接することができなくなるだろう。今みたいな恋人の関係ではいられなくなる……そんなふうに思っていたんだ。
俺達の地元の星は、彩乃だけではなかった。
成瀬駿。俺たちの二つ上の先輩は、高校卒業後に東京の専門学校に進み、その後はバイトしていたフォトスタジオで働きはじめた。
成瀬先輩の噂は地元の仲間をつうじて嫌でも耳に入ってくる。
専門学校からバイト先にそのまま就職。
横浜か東京かの違いだけで、一見俺と同じ道を歩んでいるように見えるけれど、実際には天と地ほどの大きな差がある。
成瀬工務店といえば俺達の地元では有名な建設会社で、先輩はそこの次男坊。
家業は長男が継ぐから先輩は自由気ままな身分で、東京で一人暮らししながら写真の専門学校に進み、そのままカメラアシスタントの道を選んだ。
家からの援助があるから薄給のアシスタントでも生活に困ることがなく、職場にも駅にも近い場所に快適なアパートを借りて住むことができた。
職場と住居が近ければ、夜遅くまで仕事をしても家に帰って自分のベッドで寝ることができる。
精神的に余裕があるから自分の作品制作にも時間を割けるようになる。
多くのカメラアシスタントがその真逆の状況で負のサイクルに陥り、自分の作品を手掛けることなくこの道を断念していくことを考えると、彼はとても環境に恵まれていたと思う。
もちろんそれだけが成功の理由ではないし、ちゃんとした実力があってのことだろう。
しかし彼はアシスタント二年目にして三十五歳以下の若手向けのフォトコンテストで見事入選を果たし、その翌年にはとっとと事務所を独立していた。
あまりにも順調で華々しすぎる経歴。そこに少なからず実家の太さが影響していると思ってしまうのは、ただの僻みだろうか。
その成瀬先輩が、彩乃と仕事をすることになったという。
「姉ちゃんが成瀬先輩と仕事することになったよ」
彩乃の弟、晴人から衝撃的な事実を告げられたのは、俺が社会人三年目、二十二歳の四月下旬。
その日、俺が仕事から帰って家で夕飯を食べていると、晴人が何の前触れもなくやってきたのだ。
当時晴人はK大の学生で、キャンパスが横浜の日吉にあったため、大学には家から通っていた。
俺達はお互い忙しくてゆっくり会う機会が減っていたものの、顔を見れば立ち話をしたし、俺が知らない彩乃の仕事情報を教えてもらったりもしていた。
彩乃は俺が彼女のグラビア仕事を快く思っていないのを知っているから、その手の撮影については語ろうとしない。
だけどたまにタチの悪いカメラマンにお尻を触られたりもするらしく、弟の晴人を相手に電話で愚痴ったりしているらしい。
それを俺がこっそり晴人経由で聞いているというわけだ。
正直そんな話は不快なだけだし聞きたくもないけれど、彩乃のことならどんな些細なことであれちゃんと知っておきたい。
頑張っているアイツにグラビア撮影を断れなんて言えないし、実は晴人から聞いて知ってるんだとも言いたくない。彩乃だって聞かれたくないだろう。
だから俺は、そういう話を聞いてから彩乃と会うときには、思いっきり甘えさせてやることにしているんだ。
ホテルのベッドでアイツの全身余すことなくキスをして、指先で優しく触れてトロトロに蕩けさせて。
『彩乃、おまえはよく頑張ってるよ。偉いな』
『彩乃は俺の自慢の彼女だよ』
『おまえが人気者でもそうじゃなくても、雑誌で見せてるような笑顔じゃなくて膨れっ面でも、俺はおまえのことを愛してるからな』
普段は照れて言えないようなクサい台詞も、二人きりのベッドの上では口にすることができた。
そんなときの彩乃は目尻をフニャリと下げて本当に嬉しそうで、その笑顔を見たら、俺もまた頑張ろうって思えたんだ。
そしてその情報源である晴人が玄関に入って開口一番に告げたのが、冒頭のセリフだった。
──彩乃が成瀬先輩と仕事をする……。
「マジか……」
「うん、マジ。 姉ちゃんの母校でCM撮影だって。もう噂が広まってるよ」
俺は晴人を家に招き入れ、詳しく話を聞くことにした。




