10、アシスタント時代の思い出 (1)
カシャッ、カシャッ……。
「やっぱり音が軽いかなぁ。こっちも悪くはないけど」
専門学校二年の夏休み。
俺が手にしているのは中古で買ったばかりのD7500。
家の庭にしゃがみ込み、花壇に咲いているマリーゴールドを撮影していたら、急に背後から声がした。
「何が軽いって?」
「えっ? ……うわっ!」
「うわっ! って何よ。久々に会いにきた彼女に対して失礼だな」
振り向いたそこには、棒付きのアイスキャンディーを片手に立っている彩乃。
裾の部分を横でキュッと結んだ白いTシャツ。デニム地のショートパンツからスラリと伸びた真っ直ぐで細い脚。白いサンダルから見える爪先は、薄い桜色に塗られている。
しばらくボンヤリと見惚れていたら、「どうしたの? 暑さで頭がやられちゃったんじゃないの? それとも可愛い彼女に見惚れちゃった?」と顔を覗き込まれた。
別に暑さでイカれちゃいないけど、後半の指摘は合っている。久々に見た彩乃は垢抜けて、ますます綺麗になっていた。
「ちげーよ。撮影に夢中になってたら急に声を掛けられてビビっただけ。おまえ、人んちにきたなら〝お邪魔します〟くらい言えよ」
相変わらず素直じゃない俺は、彼女を直視できなくて、わずかに視線を逸らして憎まれ口を叩く。
「驚かせてごめんってば。だって家にきたら真理子さんがアイスをくれて、雄大は庭にいるよ〜って教えてくれたから」
クスクス笑いながらアイスの先を俺の前にヌッと差し出してくる。
目の前の水色のアイスに齧りつくと、胃の中に冷たい塊が流れ込んできて、次にこめかみがキンとした。
「んっ、冷たっ。ソーダ味、美味いな」
「だよね。ガリガリ君はソーダ味一択だよね」
「だな」
俺が立ち上がって縁側に座ると、彩乃がついてきて隣に座る。
彩乃がアイスを一口齧り、俺に差し出して。俺が一口齧ったら、またアイツが食べて。
「おい、アイスが溶けて腕まで垂れてきてるぞ」
「あっ、本当だ!」
慌てるアイツの腕を俺が掴んでペロッと舐めて、二人の目が合って。
自然に顔が近づいて、チュッと短いキスをする。
「……雄大、ただいま」
「ん……お帰り」
もう一度口づける。少し冷たいソーダ味のキス。
絡めた舌をほどいて顔を離すと、彩乃がコテンと俺の肩に頭を預けてくる。
そんな行為が当たりまえになっているほど、そのころの俺達はすっかり恋人らしくなっていた。
十五歳の高一の秋から付き合いはじめて、今は十九歳の夏。もうすぐトランスフォーム歴丸四年になる。
俺は高校卒業後、地元、横浜のカメラマンの専門学校生となり、先輩に紹介してもらった写真スタジオでアシスタントのアルバイトをしていた。
彩乃は東京のモデル事務所に所属していて、今ではファッション誌の表紙を飾るかたわらタレントみたいな活動もしている。そこそこの売れっ子だ。
高校三年の夏、部長の彩乃率いるダンス部が、『高校生ダンス選手権』で初優勝を果たした。
同時に彩乃は『千年に一人のエンジェル』と騒がれて、いくつものタレント事務所からスカウトが訪れるようになる。
そのときも、今みたいに二人で並んで縁側に腰掛けて、将来の話をした。
『—— ねえ雄大、私、どうしたらいいと思う?』
『……せっかくスカウトにきてくれてるんだ。嫌じゃなければ話を受ければいいんじゃないの?』
相変わらず素直じゃなかった俺。
だけどそんなの彩乃にはお見通しで……。
『そんな強がり言っちゃって。本当は寂しいくせに』
『寂しくたってさ……おまえの夢を邪魔するわけにはいかないだろ?』
『夢?』……と言って、彩乃が首を傾げる。
『だってさ、ほら、おまえ小さいときからアイドルの真似してお玉を持って歌ったりしてたじゃん。アイドルになりたかったんだろ? ダンスをはじめたのだって……』
『そりゃあ、アイドルに憧れはしたけれど……あれは雄大が褒めてくれたから……』
『えっ?!』
『ほら、私がアイドルの振り付けを真似て歌ってるとさ、雄大が手拍子してくれて、最後にパチパチパチって拍手してくれたじゃない? それが嬉しかったんだよね』
──えっ、そうだったのか⁉︎
まさかの俺が、彩乃がダンスをはじめた理由……ひいてはスカウトされるきっかけになったとは。
よくやった、俺! と褒めるべきか、余計なことをしやがってと叱るべきか……。
『ふ〜ん、そうだったのか』
『そうだったんです』
『でもさ……おまえ、タレントとか向いてると思うよ。人前でも堂々としてるし、ダンス上手いし……可愛いし』
『へへっ、彼氏に可愛いって言われた〜』
『うるさいわっ! ……でも、彩乃はマジで可愛いしモテるからさ、そりゃあ心配だけど……信じてるから』
『……うん、信じてて』
『うん。信じてるから、頑張れ』
日差しで熱くなった板張りの縁側で、どちらともなく指を絡めあった。
『雄大、私の夢はね……純白のウエディングドレスを着て、花嫁さんになることだよ』
『そっか……』
『うん、そうなんだよ』
俺が花嫁さんにしてやるよ……って、あのとき冗談めかしてでもサラッと言ってやれたらよかったのにな。
俺はいつでも臆病で、自信がなくて。
遠く先を進んでいるあの人への対抗意識と憧れと嫉妬を拗らせていて。
そのくせ『いつかは俺だって』なんて妙な自信だけ燻らせていて……。
「──ほんと、タチが悪いよな」
「えっ、何か言った?」
あのときのやりとりを思い出して苦笑する俺に、彩乃が不思議そうな顔をした。
俺が愛機D7500を片手に腰を上げると、彩乃も一緒に立ち上がる。
「おまえ、今回はいつまでいられるの?」
「明日の午前中には帰らなきゃ。午後から撮影」
「そうか……」
左手首の腕時計に目をやると、午後二時過ぎ。
「ねえ、ホテル、行く?」
そういって彩乃がチロリと上目遣いに見つめてくる。
「今からかよ。まだ明るいぞ」
「今じゃなくてもいいけど、ここじゃ無理だし、うちには晴人がいるし、イチャイチャできないじゃない」
「そりゃあ、そうだけど……」
どうしようかと考えながらカメラを構え、カシャカシャッ……と、花に止まっている蝶を撮っていたら、「私も撮ってよ」と言われた。
「雄大が自分のお金で買った、その新品のカメラでさ、私を撮ってほしいな〜」
「一眼レフじゃ撮らないよ」
「なんでよ、ケチ」
「おまえのスマホでなら撮ってやる」
「ちぇっ」
これは俺達のお約束のやりとり。
スマホのカメラで普通に記念写真として撮るぶんには構わない。けれどアート作品としては彩乃を撮らない。撮りたくないと思っていた。
だってさ、彩乃はプロのカメラマンに写真を撮ってもらってるんだぜ ?
ド素人の俺が撮ってどうするっていうんだよ。
──それに……俺の脳裏に映るあの彩乃が、いつまでも残像となって、消えないんだ。
高一の夏のおまえの最高の一瞬。
文化祭に飾られていた、『成瀬先輩の撮った彩乃』の写真。
俺がおまえを撮ってみて、先輩が撮ったあの一枚に負けていたら……俺の自尊心はズタズタに傷ついて打ちのめされて、二度とカメラを手にできなくなるに違いない。
勝てる自信がなかった。怖かった。
臆病な俺は、ただ理由をつけて逃げていたんだ。
だけどさ、彩乃。
それでも俺は、あの人のあの一枚をどうしても超えたかったんだ。
おまえを誰よりも綺麗に撮りたかった。
それができるのは俺なんだって、心からそう思える日まで……そんな意地を張っていた俺を、おまえはずっと待っててくれたんだな。
カシャッ!
おまえのスマホのシャッター音は、やけに軽くて小さくて……。
やっぱり俺は、存在感のあるN社のシャッター音のほうが好きだな……と思った。




