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ナンヌハライスおかわり無料

作者: 壊れた靴

「ナンヌハライスおかわり無料」

 いつものように目的もなく散歩をしていると、こんな文言の書かれた看板を見つけた。

 どうやらこの近くにあるカレー屋の看板のようだが、ナンヌハライスとは何だろうか、と看板を前に立ち止まってしまった。

 ライスは英語のライスのことで良いのだろうか。ナンヌハ、とは馴染みのない言葉だ、どこか異国の料理だろうか。日本語にはあり得ぬような響きを持っている。

 看板を見つめながら、しばらくの間、ナンヌハ、ナンヌハ、と頭の中で繰り返していたが、はたと「ナン又はライス」が誤って「ナンヌハライス」となってしまったのだな、と思い至った。

 正午をいくらか過ぎた時間だったが、昼食を摂っていないことを思い出し、これも何かの縁だろう、と看板の示す方向に歩き出す。

 程なくしてカレー屋の前に着いた。こじんまりとしているが、意外にも落ち着いた外観で、なかなか良い雰囲気の店構えだ。

 入口の扉を開くと、ドアベルが音を鳴らした。入口から店内全てを見渡せる程の広さで、内装や微かに流れる音楽は異国の情緒を醸し出し、香辛料の香りが食欲をそそる。客席はカウンター席に至るまでほぼ埋まり、和やかな空気に満ちていた。

「いらっしゃいませー」

 カウンター奥の厨房に立っていた男性が、明るい声で流暢な日本語を発した。恰幅の良い中年で、褐色の肌に優し気な微笑みを浮かべている。他に従業員はいないようなので、彼が一人、店主として店を回しているのだろう。

「空いてる席にどうぞー」

 店主に軽く会釈を返し、唯一空いていた、店の隅にある二人掛けのテーブルに腰を下ろす。

 テーブルに置かれたメニューを手に取る。何種類かあるカレーには、ナンかライスを選んで付けることができるようだ。もちろんナンヌハライスなるものの記載はどこにもない。

「ご注文はお決まりですかー」

 微笑みを浮かべた店主が水の入ったグラスを置きながら尋ねてきた。語尾が伸びるのは彼の癖だろうか。どこか愛嬌がある。

「このカレーを、ナンヌハライスでお願いします」

 ナンを頼むつもりが、勢い余ってしまった。

 店主は驚いたように目を見開いた。

「オキャクサン、ジカンモラウケド、ダイジョウブデスカ」

 先ほどまでの至って柔和な表情は、私を睨んでいるように感じられる程真剣なものとなり、あれほど流暢だった日本語は何故か急に片言になった。不穏なものを感じながらもその気迫に圧されるように頷くと、店主はそのまま厨房に戻ってしまった。

 思いもかけず注文が通ってしまったが、どのようなものが出てくるのだろうか。

 料理を待っていると、他の客は次々と店を後にしていく。柔和な表情を取り戻した店主の流暢な「ありがとうございましたー」を何度か聞くと、店内の客は私だけになっていた。

「お待たせしましたー」

 かなりの時間が経ってしまったが、店主がテーブルにカレーとナンヌハライスらしいものを置いた。一見したところ、大きくはあるがただのナンに見える。

「ごゆっくりー」

 テーブルを離れる店主に会釈し、ナンを一口分ちぎり取る。何故かパキリと小さな音を立てた。

 断面を見てみると、ナンの中に板状の何かが見える。これがヌハライスに相当する部分ということだろうか。

 ナンヌハライスを味わうため、まずは何もつけずにそのまま口に運ぶ。

 ナンのふっくらした食感に加え、ヌハライスのパリパリとした食感と甘いながら上品な香りが広がる。名前の奇抜さに比して、真っ当に美味いと言える。

 ナンヌハライスでカレーを掬って食べる。

 香辛料が効いて、汗をかくほど辛いカレーとの相性も、ナンのほのかな甘さとヌハライスの香りのために絶妙である。

 ナンヌハライスの巨大さのためにやや時間はかかったが、何とか食べきることが出来た。

 苦しいくらいの満腹に、すぐに動く気にもなれず、水を飲みながら店内の小物などを眺めていると、店主がにこやかに近付いてきた。

「おかわりいかがですかー」

 グラスに水を注ぎながら尋ねてきた店主に、苦笑しながら首を振る。これ以上は少しも入らない。

「ナンヌハライス、オキャクサンニダスノハ、ハジメテダケド、ドウデシタ」

 店主はまた片言になった。どうやら定型文のみ流暢らしい。

「おいしかったです。そちらのお国の料理なんでしょうか?」

 店主は笑いながら首を振ると、私の対面に腰を下ろした。

「カンバンヲチュウモンシタトキ、ボクガマチガエタ。カンバンヤサンガキヅイテ、ナオシテモラッタ」

 照れたように笑う店主に釣られて軽く笑いながら頷く。

「ケド、ソノヒトハオモシロガッテ、ココニクルト、イツモソノセキニスワッテ、ナンヌハライス、チュウモンシテキタ」

 店主は困ったように笑った。その表情からはどこかその看板屋に対する親しみが感じられる。

「ソノトキハ、フツウノ、ナンヲダシテタケド、セッカクダカラ、ナンヌハライス、ツクルコトニシタ」

 そこまで言うと、店主はやや顔を暗くした。

「ケド、ナンヌハライスデキタコロ、ソノヒト、ナクナッタ」

 なるほど、そのような経緯があったのか。やや切ない話だ。

 なんにせよ、偶々私がその看板屋と同じように注文してしまったようだ。さぞ驚いたことだろう。

「オキャクサンハ、ドウシテナンヌハライス、シッテル」

「この店の看板に書いてあったんです。直っていないのが残っているのでは?」

「コノミセノカンバン、イチマイダケ」

 店主はそう言うと、何かに気付いたように目を見開いた。

「ソウイエバ、キョウハ、カンバンヤサンノメイニチ」

 店主は神妙な面持ちになり、目を瞑ると合掌した。

 しばらくして店主は顔を上げた。

「ナンヌハライス、メニューニ、ツイカシタイトオモイマス」

 真剣な表情の店主に頷く。あれならば、味に文句が出ることもないだろう。

 ようやく少しは動ける程度に腹も落ち着いた。すっかり長居してしまったことだし、そろそろ出るとしよう。

 会計を済ませ、「ありがとうございましたー」とやはり流暢な日本語を聞きながら店を後にした。

 さほどカレーが好きなわけではないが、中々良い店だった。これからも通うことにしよう。

 通りがかりに先程の看板を確認する。

「ナン又はライスおかわり無料」

 とても怪談にはなりそうもないが、不思議なこともあったものだ。

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