宝石と金庫
大学生と作家の話です。不定期更新です。
「——つまり、涌田さんは同僚の人から宝石を盗んだと疑われているんですね」
涌田の話によれば、彼は信頼できる担当編集者から青色の宝石を一時的に預かっていたのだという。
編集者は亡くなった祖父の遺品として宝石を相続したそうだが、管理に困っており、セキュリティーの厳しい涌田の自宅マンション内にしばらく置いてほしいとお願いしてきたそうだ。涌田は編集者同伴のもと、自宅の金庫に宝石を入れ、少なくとも週に一度は金庫を開け、万が一にも中身が変わっていないか確認していたという。
ところが一週間前、涌田が金庫を開けると、宝石はすっかり姿を消していた。
宝石がなくなっているのを知った編集者は涌田を責め、涌田に彼が持っている他の宝石を以て弁償するよう要求したそうだ。
「困っちゃったよぉ。私はカラーストーンが好きで集めてるんだけどね、その中でもお気に入りのサファイアと交換して欲しいみたいで」
涌田は眉を八の字に、口をへの字にして腕を組む。
駒込は涌田が最初に口にした宝石の名前は呪文のようで聞き取れなかったが、サファイアは知っている。確か色々な色があったが、有名なのは青か赤だったか。駒込にとって宝石は夢のまた夢、現実離れした世界の産物だ。その価値がいかほどかすら想像できないが、おそらく恐ろしく高価なものなのだろう。
「そうなんですね。大変ですね」
「そうなんです、大変なんです。だからこまちゃんに助けてもらいたくって」
教養のなさを悟られなくて目を下に向けたまま相槌をうつ駒込に、涌田は身を乗り出すようにして近づく。
「ちなみに、私は盗んでないよ。お金には困ってないからね」
普段本を読まない駒込は知らなかったが、涌田という男は読書好きの間では名の知れた作家らしい。名刺を貰った日にネット検索をしたところ、過去に発表した作品の一つがハーフミリオンセラーになっているという。金目当てで宝石を盗むことはないと考えて良いだろう。
「それでね、犯人の目星はついてるんだ」
涌田は形の整った指でサングラスを外すと、静かに机の上に置いた。手首につけていたゴムを袖の下から引っ張り出して、長い髪を一つにまとめ上げると、再び駒込に近づき、柔らかく笑いながら話を続けた。
「澤田さんが犯人じゃないかと思ってるんだよね」
澤田という名を聞いて、駒込の視界がぼやけていくのを感じた。目の焦点が合わない。急ぐ鼓動を抑えながら静かに深呼吸する。ティーカップに手を伸ばしたくなったが、手元が狂ってこぼしてしまいそうな気がして、出した右手を膝の上に戻した。震えそうになるのを、左手を重ねて誤魔化す。
「…澤田さん?」
「そう、最近入った家事代行の人なんだけどね。宝石がなくなったのは彼が入ってすぐのことだったんだ」
涌田は右手を挙げて店員を呼ぶと、ミルクティーを注文した。ガラスの器はいつの間にか空っぽになっていた。
「金庫はパスワードで開くんだけど、パスワードを知ってるのは私と滝野、あ、さっきの編集者ね」
自宅の金庫を開けることができるのは、涌田と滝野の二人だけ。だが、涌田は澤田という人物を疑っているという。彼は澤田がパスワードを盗み見たのではないかと考えているのだ。
涌田は一度、金庫を開けようとしている時に、澤田から話しかけられたことがあったそうだ。澤田はその日の夕食メニューの相談をしてきたが、彼の目は涌田の手元を捉えていたという。
「澤田さんはビーフシチューと牛ステーキとどっちがいいですかって聞いてきたんだけどねぇ。いつもそんなこと聞かないんだよね。メニューは勝手に決めてもらって良いって言ってあるからさ。なんか違和感あったんだよねぇ。だから澤田さんだろうって思ってるんだけど」
天井を見上げながら饒舌に話す涌田を、駒込はぼんやり眺めていた。まだ視界はぼやけたままだ。
「でね、私今まで誰かをクビにしたことがないから、どうやって切り出したら良いのか迷ってしまって——」
「澤田さんがやっていない可能性もあるんじゃないですか?」
自分の口から出た言葉を聞いて駒込は動揺した。言うつもりのなかった言葉、言ってはまずい言葉だ。
澤田はやっていない。駒込はそれを知っている。だが、それを涌田に伝えるわけにはいかなかった。