チョコレートサンデーとミルクティー
大学生と作家の話です。不定期更新です。
三階に他の客がやってくるよりも先に、涌田と駒込は店を出た。
「じゃあカフェに行こうか」
駒込が引き戸を閉め終えるのを待たずして、涌田はひらりと振り返り笑いかける。
膝丈まである黒のファーコートを羽織ったその姿は、どこで見てもインパクトのある外貌だ。近くで見るとヨーロッパコレクションのモデルのようであるが、遠目に見ると真ん丸の毛玉に足が生えたような、奇妙な妖怪にしか見えない。
再びサングラスを掛けて夜の街を颯爽と歩き出す涌田を見て、駒込は彼が人前で顔を出さないようにしているのだとわかった。並外れた美貌を持つ人はそれだけで苦労すると聞く。駒込には縁のない話であるが、涌田はきっとあちら側の人間だ。
飲んだくれのサラリーマンたちを避け、涌田は若者と外国人観光客で溢れるメインロードへ足早に進んでいく。駒込は涌田よりも背が高いからついていけるが、平均的な身長の男であれば小走りにならないといけないくらいのスピードだ。
障害物を避けて進む風のように、巨大な毛玉の塊は喧騒の中を進んでいく。駒込は高速移動する毛玉に視線を奪われる人々を横目に、スクランブル交差点を通り過ぎた。
土曜日という免罪符が街を酔わせる。夜が深まってきたというのに、道は人でごった返している。脳内にふわりと浮かぶ外国の文字と、後ろから聞こえてくる黄色い笑い声、会社員たちの別れ際の挨拶。さまざまな音が情報となって重なり合う。思考が鈍っていくのを誤魔化すように、駒込は頭を振った。前を進む涌田を見逃さないよう目に力を入れないといけない。
涌田は通りを百メートルほど進んだところでラーメン屋の角を曲がり、人に占拠された車道を渡った。正面には有名チェーン店のカフェが鎮座していたが、涌田はそれを素通りして一本奥の小道へと入る。右手には洒落た雰囲気の店の前で若者が列をなしていた。涌田はそれも素通りすると、突き当たりを右に曲がる。そこは先ほどまでの喧騒からは想像できないほどひっそりとした路地だった。
明かりの少ない路地の奥、郵便ポストのように鮮明な赤色の三角屋根に白壁が映える、二階建ての建物が佇んでいた。街灯の明かりがスポットライトのように建物の入り口を照らす。
入り口ドアの前には壁が立っており、ドアの上から壁に向かって伸びるように小さな屋根がついていた。壁の表側には《like.》と書かれた看板が飾られている。裏側には、この店の名物と思われるナポリタンとチョコレートサンデーの食品サンプルが飾られていた。
カフェというよりは昔からある喫茶店といった雰囲気だ。歓楽街の脇にあるとは思えない、そこだけ別世界であるような不思議な空気で満たされていた。
店内は仄明るく、かすかにタバコの残り香がする。席数は少なく、他に客はいなかった。落ち着いた木目調の床、羊羹色の壁と天井、明度の低い家具で完成された内装はどこか懐かしさを感じさせ、駒込の心を落ち着かせた。
シワが刻まれた手触りのいいボルドー色のソファーは少し小さく、大柄な二人が座るには体を屈めないといけないが、角が丸みを帯びている木製のテーブルはパスタ屋のローテーブルよりいくらか背が高い。それぞれのテーブルの真上にはランプが付いており、その明かりが天井の凹凸を照らして幾何学模様を浮かび上がらせた。
涌田はチョコレートサンデーを、駒込は涌田のおすすめでミルクティーを頼んだ。普段コーヒーを好んで飲まない駒込にはありがたい提案だった。
お先にどうぞ、という涌田の声を聞いて、駒込はブルーベリーとよくわからない紫青の花が描かれたティーカップに口をつける。紅茶が唇に触れた瞬間、駒込は慌ててティーカップを口から離した。目玉が飛び出るほど熱い。だが店内は先ほどよりもさらに静かで、声を上げられるような雰囲気ではない。瞼を閉じて熱が去るのを待っていると、向かいに座る涌田が嬉しそうな顔をする。
「紅茶は百度で淹れるのが一番美味しいんだけどね、ここはすぐに持ってきてくれるから、慌てて飲むとこまちゃんみたいになるんだよね」
駒込は顔を引き攣らせながら、胸焼けの前兆のような不快感が鳩尾を流れていくのを待った。薄々気がついていたが、涌田は自分を馬鹿にしているらしい。
「知ってたなら言ってくださいよ」
「ごめんね、かわいくってさ」
悪びれない様子の涌田に駒込は小さくため息をつく。ティーカップをソーサーの上に戻し、軽く咳払いした。
「それで、具体的にはどんな相談なんですか?……詐欺とか言ってましたけど」
駒込が本題に入ろうとすると、涌田はソフトクリームを掬う手をとめ、駒込を見上げた。
「そうそう、その話なんだけどね」
ゆっくりと顔を近づけて声を顰める。
「どうやら私は宝石泥棒に仕立て上げられそうなんだ」
次回から詐欺事件についての話が本格的に始まります。お楽しみに。