作家と詐欺
大学生と作家の話です。不定期で更新します。
白くぼやけた空気を切り裂くように赤い路面バスが進んでいく。
フロントガラスで大きなアメンボの脚が忙しなく動きつづけるも、内からは数メートル先を確認するのがやっとだ。視界の悪さはタイヤの回転速度を下げ、まばらに乗っている乗客たちは次第に腕時計やスマートフォンを見る回数が増えていく。
駒込悠人は冷えた液晶をもう一度確認してから外の景色を一瞥した。たった十分で驚くほど様相を変えた天候に驚きつつ、前の席に引っ掛けていた傘の持ち手を右手で掴む。
目的地のバス停まではあと十五分ほどだ。いつもならSNSを漁って時間を潰すところだが、両手と思考をスマホに奪われた結果、母に買ってもらった傘を置いて行ってしまうリスクを考えると、音楽を聴いたまま到着を待つのが最善だろう。
時刻は十二時十五分。駒込は前方の小さな液晶に目当てのバス停の名前が映し出されていることに気がついた。《サバティ》まではあと一駅だ。
いつの間にか窓の外を歩く人の数が増えた。真っ直ぐに街路樹の立ち並ぶここは都内でも有数の観光地だ。高級ブランドのショーウィンドウが並んでいたかと思えば、比較的低価格の商品を扱う店があったり、ファンシーな外装のカフェの横に伝統的な喫茶が並んでいたりもする。世の中の人が夢の中で求めているものを凝縮したような、不思議な場所だ。
悪天候にもかかわらず、傘を差さずに街を歩く観光客の表情は晴れやかだ。非日常の時間を楽しむ人にとって、雪はロマンを加速させる舞台装置のようなものなのかもしれない。駒込もあの中にうまく溶け込めるだろうか。
液晶の文字が入れ替わるのを見て、胃が空腹を伝える音を出した。四十分前に見た画像を思い出しながら脳内に栗のニョッキを思い描く。未知の味に期待を寄せながらオレンジの支柱に手を伸ばそうとした時のことだった。何者かが駒込の左肩に手を掛けた。
不意に押し付けられた強い力に駒込の体が強張る。ボタンを押すのを忘れたまま腕を下ろし、ぎこちなく首を動かして後方を確認する。
うっすらと予想はしていた。肩越しに映ったのは、長い髪をマフラーのように首に巻き付け、サングラスをつけた人——他人をジロジロ見るのは良くないことだと教えられた駒込が凝視してしまうほど奇抜な出立ちをしたあの男だった。
「話を聞いて欲しいんです」
駒込がどうしましたかと聞くよりも先に、奇妙な人物は顔を近づけて続けた。
切り揃えられたブロンドの前髪と真っ黒なサングラスの隙間から榛色の瞳が覗く。赤と黄と緑。カナダの夜空に浮かぶオーロラが溶けて混ざり合っていくような神秘の色だった。
駒込の口元に力が入る。相手に動揺を悟られまいと意識するよりも前にごくりと喉がなった。駒込の脳内には「傾国の美女」という文字がはっきりと浮かんでいた。
ブロンドの君はさらに距離を詰めて声を顰める。妖艶な甘い香りが駒込の鼻孔をくすぐった。
「どうやら私はこれから詐欺に遭ってしまうようなのです」
ゆっくりとバスが速度を落とし、扉が開く合図音が鳴った。降りる人は誰もいない。困惑する運転手に向かって一人の男が声を上げる。
「すみません、間違えました」
その声は駒込にイヤホンを渡した時よりも幾分か高い、軽やかな口調だった。
この話を書くにあたり詐欺に色んな種類があることを知りました。怖いなぁ。