追悼
阪神・淡路大震災から、30年が経ちました。
今も、被災者への祈りは続いています。
1月17日。
日なたに出ると、暖かかった。肌寒い冬の空気も、昼間になると少し暖かく感じられた。今日は、風が吹いていなかった。
私は、地下に潜りこんだ阪神三ノ宮駅で下車し、階段で地上に出たところだった。休日の神戸は、繁華街の賑わいがあった。
三ノ宮駅を南に1kmほど進むと、東遊園地という広場がある。木々や芝生など、緑に囲まれた小さな広場だ。私はその広場に向かった。
林立したビルの合間に、ひっそりとその広場はあった。真昼の暖かい日差しが差し込んだその広場は、多くの人々が、それぞれ思いのままに過ごしていた。家族連れや若者たちの笑顔があふれる、憩いの場であった。
30年前の今日、この場所を震度7の地震が襲った。
私は、広場で遊んでいる家族たちを横目に、公園の南側に向かった。やがて、地下へ通じるスロープが見えてきた。私は、そこを降りた。
地下に設けられたその空間は、石壁に囲まれており、少し薄暗く、ひんやりとしていた。その壁面には、一人ひとりの名前が刻印されたプレートが並べられていた。阪神・淡路大震災の被災者の方々の名前であった。
私は、眼の前に列記された、多くのプレートを見つめた。そのプレートの中には、文字がかすれているものや、傷の入ったものがあった。壁には、千羽鶴が掛けられてあった。足元に、そっと花束が置かれているものもあった。私は黙って、1つ1つのプレートを眺めた。
「生きていることは、本当に素晴らしいこと。どうか今を大切に生きてください」
娘を若くして亡くされた、あるご遺族の方が語った言葉を思い出した。その言葉が、震災から30年たった今も、深く心を打つ。
どうか、安らかに・・・・・・。私は、静かに合掌した。
私はスロープを上り、再び地上に出た。見上げると、澄み渡るような青空が広がっていた。遠くで、小さな子どもたちのはしゃいでいる声が聞こえてきた。
今日は、風が吹いていなかった。
【阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)】
発生時刻:平成7年(1995年)1月17日(火)5時46分
震源地:淡路島(北緯34度36分、東経135度02分)
震源の深さ:約16km
規模:マグニチュード7.3
震度:震度6(一部地域で震度7)
死者:6.434名
行方不明者:3名
負傷者:43,792名
家屋被害:全壊104.906種、半壊144.274棟、全焼7,036棟、半焼96棟
避難所(ピーク時):1,153箇所
避難人数(ピーク時):316,678人
仮設住宅:建設戸数48,300戸(平成12年1月14日仮設住宅入居者ゼロ)
ボランティア:震災からの5ヶ月間でのべ約122万人以上
被災者への祈りは続く。
これからも、ずっと・・・・・・。
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