第三話 大人vs中学生
第三話 大人vs中学生
「んん~~~~……」
私は、あくびを噛み殺すと、気合いを入れ直すみたいにして大きく伸びをした。
今日も天候は爽やか。気温だって、ぽかぽかとしていて一年で一番過ごしやすい季節といっても過言ではない。
桜が舞い散る時期の到来である。
学生さんたちは、先日から学業が開始されていた。
それと同時、私も通常の管理人業務に戻っていた。
といっても。
私の業務内容なんて、学生さんが授業をしている間に、学生寮の掃除などをこなすだけなのだけども。後は備品管理や、専門の方に頼まないといけないことは依頼をする、といった、社会不適合者にでも可能な仕事である。
なので、今は学生寮の前を掃き掃除しているところだった。
午後を回ると暇になることが多くて。だいたいは部屋でゴロゴロしているのだが、今日はなんか落ち着かないので、庭を掃いていた。普段からしている作業というのは、心に余裕を生ませてくれるものだ。
日光に照らされ、目を細める。
もうそろそろ、学生さんたちは帰ってくる頃合いだ。
学生寮・小春荘の坂の下は、通学路にもなっているので、賑わい始める時間帯でもある。
茉莉ちゃんも、ほどなく姿を見せるはず。
――彼女との関係は、特に進展はなく。あの日、デートをしたときのような状態が維持されていた。
たまにお買い物に誘われて、軽口を叩かれて、ってお友達のような関係だ。
私は、もう茉莉ちゃんのおませな口攻撃も、完全に慣れてしまっていた。
そして、彼女と遊びに行くことにも。
私は……茉莉ちゃんの帰りを玄関口で迎えたいから、こうして掃き掃除をしているのかもしれない。
毎日、彼女の下校時刻になると、そわそわしてしまうのだから。
私、恋してしまっているのだろうか……。
モヤモヤとし始めていると、坂下の道路に華やかな声が響き渡り始めた。
私は、いつ茉莉ちゃんが帰ってきてもいいように身構えず、自然体を装って掃き掃除を再開させた。
数年間してきた作業だ。無心になれている……はず!
ほどなくすると、坂下からの声が明瞭になってくる。ついつい耳をそばだててしまう。
これじゃあ、単に盗み聞きおばさんだ。
だけど、茉莉ちゃんがいるかもしれないと思うと、行為を止めることができなかった。
どうやら、女の子の中には茉莉ちゃんがいるようで、彼女の可憐なボイスが私の耳朶をくすぐってくる。頬が緩んでしまってないだろうか。
妙に心臓をドキドキとさせながら、地面を掃き続ける。汚れているところなんて何もないのに、無駄に箒が音を立てていた。
しかし茉莉ちゃんは、なかなか友人たちと別れようとはせず、坂下で友だちと会話を弾ませているようだった。
待てど暮らせど顔を見せない茉莉ちゃんに、じれったい思いすら抱いてしまう。私、こんなに女々しくなってしまうほど彼女に依存していたのだろうか……。
そもそも茉莉ちゃんは、友だちとどんな会話をしているのか気になってしかたない。
学校は新学年が始まって間もないけれど、茉莉ちゃんはたくさんの友人関係を築いているようだ。
うぅ、しかしさすがに坂上では会話の内容までは聞き取れない。
かといって、坂を下ってまで盗み聞きするわけにもいかず。私はさらに心にもやもやを抱えてしまうはめになった。
玄関の前を右に左に移動し、挙動不審さ全開の私。ここが学生寮前でなければ、春の変質者として通報されていたかもしれない。
そして、ようやく虚無の時間が終わりを告げ、坂を登ってくる足音が近づいてきた。
ホッとするのも束の間。
その足音は、複数を伴っていた。
茉莉ちゃん、お友だちを連れてきたみたいだ。
「あら、おかえりなさい、茉莉ちゃん。今日はお友だちも一緒なのね」
私は、彼女たちに会釈する。極めてナチュラルにできたはずだ。
「あ、おねーさんだ。友だち、入れちゃって大丈夫だよね?」
茉莉ちゃんは、普段私に接するような小悪魔っぽさは皆無。普通の女子中学生らしい笑顔で、周囲のお友達に溶け込んでいる。
茉莉ちゃんは周囲に比べて異質な美少女なので、容姿という点で言えば浮いているが。とはいえ、茉莉ちゃんのお友達も充分に可愛いレベル。茉莉ちゃんだけが特別なのである。
なんか、猫を被っている茉莉ちゃんも珍しく、面食らってしまう。いくら茉莉ちゃんといえども、クラスメートたちの前で、年上相手に生意気口調も憚られるのか。
一体どっちの茉莉ちゃんが本来の姿なのか、気になってしまう。
「え、ええ……。どうぞ、ゆっくり遊んでいってね」
「おじゃましまーす」
茉莉ちゃんは挨拶だけ交わすと、友人を引き連れてさっさと自分の部屋に行ってしまった。
一人、ぽつんと残された私。
一応は恋人という設定なのだから、目線だけでもいいから会話してくれてもいいのに、と思いつつ。
私は、外で仕事をする理由もなくなったので、箒を戻して寮内に戻ることにした。
******
室内に戻った私は、ソワソワが加速していた。
そして、ついには我慢が限界点を突破してしまい、あろうことか茉莉ちゃんの部屋の前の廊下で立ち往生していた。
ぬ、盗み聞きではない、決して……。
私は、茉莉ちゃんたちにお茶を運ぼうとしているだけ。お盆に、人数分のカップを用意しているんだもの。やましいことは、何もないのだ。
部屋の扉からは、女子学生特有のキャッキャとした声がうかがえた。
壁が薄いわけではないので、部屋外にまで会話はこぼれてこないが。耳を当てれば会話の内容はかすかに捉えられそうだ……。こんなの、泥棒とかストーカーみたい……。他の寮生に見られでもしたら、管理人をやっていけなくなってしまうだろう。
が、それでも、部屋に引き返すことができなかった。
リスクを追わなければリターンは得られない。まあ。リスクのほうが高すぎるけど。
といっても。今ならまだ、お盆を持ってるから言い訳はできるはずだ。
神経を集中させて、茉莉ちゃんたちの会話を聞き入る。
……一体、何をしているんだ、私は。唐突に訪れる、良心を携えた私。
が、聞こえてきた内容が、私を冷静にさせる暇をなくした。
「――にしても、茉莉ちゃんってこの歳で一人暮らしって、すごいよね」
私は、その台詞に激しく同意したくなってしまい、しきりに頷いていた。
「ん~。すごいとか、そんなんじゃないよ。親が海外行ったりで、あたしの面倒見きれないからってだけだし」
そうか。そういう理由だったのか。だけど、面倒が見きれないだけならば親戚に預けたりもあるし、親についていく選択肢もあったはずだ。
では、なぜ一人暮らしをすることに決めたのだろうか。
私、茉莉ちゃんのこと何も知らないんだ、って今更になって気付かされた。
茉莉ちゃんは、仲間内では大人として憧憬されているのか、崇められていた。
私からすれば茉莉ちゃんは、大人ぶりたくて必死な子ども、って感じなのだが。外と内ではまるで正反対である。
「一人暮らしは大変じゃないの?」
「そーでもないよ、楽しいよ。ここの管理人さんが優しいし色々教えてくれるからね」
私のことが会話に出てきて、心臓が跳ね上がる。
茉莉ちゃん、私のこと、ただただ玩具の対象として見ていた、ってわけでもないのかな。それとも、友だちの前だから、悪いように言ってないだけなのかな。
茉莉ちゃんの内面を分析し始めた結果、頭が冷めてきたのか、壁からそっと離れていた。
せっかく用意したお茶も、届ける気になれない。だんだんと温度が下がっていく紅茶と、私の気持ちが同化しているのかと思った。
茉莉ちゃんと、もっとしっかり話し合わないといけない。
このまま悪戯されているだけでは駄目だ。
自分を奮い立たせる。
私と茉莉ちゃんの関係は、まだ始まったばかりだ。
ここから先、どうなるのかはわからない。だけど、もっとコミュニケーションを取らないと先には進めないのかもしれない。
次はいつ、二人きりになれるだろうか。
自分から誘ってみるのもいいかもしれない。
自室に戻った私は、次、茉莉ちゃんと会ったらどんな会話をしてみようか、脳内で会議をすることに決めた。
******
「おねーさんのほうから呼び出してくるのは初めてだね♡」
その日の夜。
私は、茉莉ちゃんを部屋に呼んでいた。
茉莉ちゃんは開口一番、ねっとりと、ベッドの中での睦言のような甘いボイスで囁いてきた。
これが、誘惑、ってやつか……。いや、違くて、彼女のナチュラルな部分だとは思うけど。
で。茉莉ちゃんの言う通り、私から連絡して部屋に誘ったのは、初めてのこと。かなり緊張した。いや。今でもしてる。
初恋した中学生かな、ってくらい震えてる気がする。私と茉莉ちゃんの年齢、実は逆だったりする?
「ん、うん、そうね……。私のほうからも、茉莉ちゃんにもっと歩み寄らないとな、って思って……」
私はテーブルの下で指を組み合わせ、目線も落ち着かなかった。
変な態度、怪しまれないだろうか。
茉莉ちゃんに恋心が芽生えているかもしれないの、バレてしまってないだろうか。
彼女は、意味ありげにニヤつく。
何もかも見透かされていそうな視線が、私の心をザワつかせる。
「あ~♡ もしかして、おねーさん、もうえっちなこと我慢できなくなっちゃったの?」
ある意味的はずれな予測で、ホッとする。
年齢が倍も離れた女の子に、えっちなこと我慢できなくなっちゃったの? って蔑まれてホッとするのも変な話だが。
「そ、そうじゃなくて。茉莉ちゃん、もう学校には慣れたのね、って思って」
「ふーん……あたしが他の女の子と仲良くしてるの見て、嫉妬しちゃったから、今日は二人きりになりたかったんだね」
今度は、私の胸中をズバリ言い当ててくる。今、声を出そうものなら、震えているかもしれなくて、喉が詰まってしまった。
だめだめ。調子に乗らせてはダメ。毅然としていなければ……。
ていうか、そうか。私、嫉妬していたの? 中学生の女の子相手に?
自分の気持ちに気づくの、遅すぎたのかもしれない……。
「そ、そうじゃなくって。茉莉ちゃんは、中学生なのに一人暮らしが珍しいよね、って改めて思っちゃって。周りではそんな子、いないでしょ?」
「ん~……。うちの学校、お金持ちの子多いからねー。遠くから来ている子は、学生寮に入っている子もいるよ」
「しっかりしてる子が多いのね。ご両親と離れて寂しくなったりしないの?」
私は、茉莉ちゃんには家庭的問題があるとは見ていない。お母様とご挨拶したときも、関係は良好そうだったし。
だから、ホームシックにでもかかったりしないのかな、って心配したけれど、茉莉ちゃんはそんなものとは無縁、とでもいいたげに、愉しげに目を細めるだけだ。まるで、私といることのほうが楽しい、と言ってくれたのかのように。
ドキっとさせられるのが、悔しい。
「別に、おかーさん、もともと家にはあんまりいなかったし、今と変わんないよ。むしろ今のほうが、おねーさんといられるし、楽しいかもね」
「私といて、楽しいの?」
「おねーさん、キレイな見た目なのにヘンタイだし♡ 反応見てても面白いから、楽しいよ♡」
ぐっ……。
私、わかりやすい反応、していたのか……。
でも、キレイな見た目、って自然に褒められてしまい、こそばゆくて嬉しい。普段、罵られていても憎めないのは、茉莉ちゃんからの好意もしっかりと受けているからこそなのだろう。それとも、私、ただチョロイだけなのか。
「茉莉ちゃんが楽しんでくれてるなら良かったわ。一人でいるのが寂しくなったら、いつでも相手してあげるからね」
「じゃあ、一緒に寝たいって言ったら、一緒に寝てくれるの?」
見つめられながら言われると、どう解答していいのかわからなくなる。
彼女が魅力たっぷりなので、はい、と二つ言葉で返事したくなる。魅力うんぬん抜きにしても、単純に一緒に寝たい欲も出てきているから危ないぞ。
茉莉ちゃんが真っ直ぐに攻めてくるから、私の薄い壁のような防御なんて、あっさりと崩されてしまいそうだ。
「ん、んー……寝るだけなら、犯罪ではないよね……」
「ってゆーか、誰に見られるわけでもないのに、犯罪とか気にしないでもよくない? おねーさんって、おかしな人」
茉莉ちゃんはクスクスと忍び笑いを漏らす。
そんなに、私と同じベッドで寝たいのだろうか。
本気で好いてもらえてるのかな……。
それとも、彼女の言葉通り、私の反応が面白いだけなのか。
彼女と同じベッドに入って、何も起こらない、なんてことがあり得るのか。
私から手を出すことは万が一にもないとして……茉莉ちゃんだって中学生だ、大したことはできないだろう。
なんか、自分に言い訳をして、同じベッドで寝ようとしているのかな?
自問自答をするだけで、ヘコみそうだ……。
「でも……倫理的にもマズイことだし……」
私は、茉莉ちゃんの言葉には耳を傾けず、独りごちる。
このまま天秤が茉莉ちゃん側に偏ってしまったならば最後。どんどん堕落していきそうだ。
が、こんな独白、茉莉ちゃんの前でしているってことは、悩んでいるのを打ち明けているようなものだよね……。
だからこそ茉莉ちゃんは、ここぞとばかりに攻めを継続させてくる。
「おねーさん、やっぱり面白いね♡ えっちな漫画読みまくってる時点でリンリとかないよーなもんじゃん」
茉莉ちゃんの正論は、胸にグッサリとくるから、苦しい。
ていうか、中学生に言い負かされて、恥ずかしい大人だ、私。
「で、でも、漫画は個人で楽しむものなので、現実とは別だし、セーフだから。そ、それに茉莉ちゃんは未成年だから、茉莉ちゃんが後悔しちゃうかもしれないようなことは、したくないの」
私も、大人としての矜持を持って、さも責任感がありげに語ってみる。
が、茉莉ちゃんは、まるで小さい子どもの言い訳を聞いたみたいな投げやりな感じで、ふーん、と返事をするだけだ。
「一緒に寝るだけなのに、なんで後悔とかしちゃうの? えっちなことする気まんまんなんじゃん。ま、いっか。えっちなことするにせよ、しないにせよ、今日は同じベッドだからね」
茉莉ちゃんは、私に決定権はない、と一蹴でもしたいのか、おもむろにベッドへ向かっていった。
「え。ていうか、私の部屋で眠る気なの? 近いんだから、戻ったらどう?」
「えー、近いんだし、こっちで寝るのも自分の部屋で寝るのも変わらないよね。あー、それに、今日はちょっと寂しい感じ、だし?」
茉莉ちゃんは、とってつけたように理由を追加する。本当に寂しいのかどうかは疑問だが、こうなってしまったら彼女には逆らえない。
茉莉ちゃんは、そそくさと布団の中に侵入してしまった。
ま、まだ寝るには早い時間だ。
普段私が使っているベッドに、若い女の子が入っていくの、なんか抵抗感がある。いや、恥ずかしい、といったほうが正しいか。
「枕、おねーさんのニオイがするね♡」
あろうことか、茉莉ちゃんは私の枕を抱きかかえ、いつもの笑みを絶やさずに言い放つ。
私は顔が熱くなるのを感じて、彼女から枕を奪い取った。
こ、こんなの、恋人が初めて私の部屋にきたみたいじゃない。
漫画で読んで憧れていたシチュエーションを体験してしまい、私の胸のドキドキはますます加速していく。
「まー別に、お布団の中もおねーさんのニオイでいっぱいだから、枕なんて奪ってもなにも変わらないけどね」
茉莉ちゃんは私を辱めることに余念はないのか、一言一言、すべてが急所に打ち込んでくるような鋭さだ。
「じゃ、じゃあ茉莉ちゃんはベッド使ってていいから。私はその辺で寝るわ」
「けっこう意地っ張りだねーおねーさんも。床に寝るスペースほとんどないじゃん。ま、あたしの横、いつでも来ていいからね」
確かに彼女の言う通り、私の部屋は、床に漫画雑誌が散らばっていて眠るスペースはほとんどない。しかも、お布団だって自分用のしかないわけで、予備のものを使うしかなかった。
が、それでも茉莉ちゃんの誘いに乗るのは一線を越えそうで怖かった。いや。踏み切る勇気がない、といったほうがいいのかもしれない。私、恋の体験はしたこともないし。
とにかく、まだ時計は21時を指しているし、布団に入り込む時間でもない。
私は、いつものこたつに座り込んで、普段のようにゴロゴロしようとして――思いとどまる。
茉莉ちゃんがいる空間で、だらけきった日常を見せられるわけがない。
まあ。部屋の惨状を見れば私の生活なんて一目瞭然なので、取り繕う必要もなさそうだけど。
年若い女の子がすぐ傍にいるのに、寝転がってスマホゲーをするのも憚られる。
手持ち無沙汰になった私は、数秒置きに、ちらちらと茉莉ちゃんを盗み見てしまっていた。
彼女は、さっさとベッドの中に入って何をしているのだろう。気になって仕方がない。
何度か様子を窺っていると。
茉莉ちゃんはどうやら、ベッドで横になりながらスマホにご執心みたいだ。
私の普段と変わらない生活風景だけど、私と違って華があるなあ。美少女は何をしても絵になる。
私は、いつの間にかチラ見どころではなく、茉莉ちゃんばかりを目で追っていた。
そこまで熱烈に視線を送っていると気づくものなのか、茉莉ちゃんと目が合う。彼女は、嬉しげに挑発的な笑みを浮かべるだけで、何も言ってはこない。
言葉がないのに、茉莉ちゃんの笑顔は、どうしてこうも私の胸を昂ぶらせてくるのだろうか。
「ん~……。明日も学校だし寝よっかなぁ」
ふと、茉莉ちゃんは、私なんか見えていないかのように、空中に向かって呟く。
が、彼女も私を意識しているのは明白で。視界の隅に、私を映しているのは確かだ。
何か、企みを感じる……。
茉莉ちゃんはスマホを手放し、布団の中でモゾモゾし始めた。
怪しい動きである。
私は、茉莉ちゃんから目が離せなくなっていた。
ベッドの下に、何かがはらりと落下する。
靴下だ。
茉莉ちゃん、本格的に眠る気なのか、リラックスできる格好になるみたいだ。
お風呂は、入った後なのかな。だとしたら、私の部屋に来るために、身だしなみに気を使ったってことか。
それにしても、22時前に寝ちゃうなんて、中学生ってこんなもんだったっけ?
疲れてたら、そんな感じだったかも。でも私は運動部には所属していなかったし、茉莉ちゃんも下校時刻を見る限り、似たようなものっぽい。まあ、学校が始まったばかりの慣れない環境ならば、疲れるのも無理はないか。
なんて昔のことを思い出しながらぼんやりしていると、さらに追加でベッドの下に布切れが舞い落ちてきた。
私は、驚きに目を丸くする。
だって、茉莉ちゃんが脱いだものは、ショートパンツだったのだから。
え。
ってことは、なに?
今、茉莉ちゃんはベッドの中では下着姿?
若い女の子が唐突に脱ぎだしたことに狼狽え、心臓が口から飛び出てしまうかと思うほどドキドキとした。
いくらなんでも、大胆がすぎないか。
それとも、これが誘惑ってやつなのか。
意識しすぎてはいけない気がするが……スルーしてもいいものなのか。
私は喉を鳴らして唸るほど、悩み抜いていた。
それを面白がったのか、茉莉ちゃんはさらにエスカレートする。
今度は、上着のトレーナーも脱ぎだそうとしたのだ。
「ま、茉莉ちゃん。まだ4月だし、身体冷えちゃうんじゃない?」
私は、誰が聞いてもわかるくらいに震えた声で、目も泳がせながら口走っていた。
スルーもできないなんて、駄目な大人だ。
「んー、あたし、寝る時いっつもこんなだし。気になっちゃうの?」
「う……風邪引いちゃわないかは、気になるかも」
「じゃーおねーさんもこっちきて温めてよ」
やっぱりこれは甘い蜜の誘いだったのか。
茉莉ちゃんは掛け布団をがばっと開けると、ベッドの端に寄ってくれて、私が隣に眠れるスペースを用意してくれる。
そのさりげなさが、なんか手慣れてない? って感じがして、ちょっとモヤモヤする。
私よりも、大人の経験豊富だったりして。少なくとも、彼女に緊張は無縁な気がした。
「ふ、服を着ればいいだけじゃない」
「う~ん。なんか服着たままだと寝苦しくってさぁ。こっちに慣れちゃってるし、無理して着ないでもいいよね」
何を言っても柳に風。私の言葉なんて、いともたやすく受け流されてしまう。
それでも。茉莉ちゃんと会話するのを楽しんでしまう自分がいた。
「……ふぅ。仕方ないわね。ずっとそうしていても寒いでしょう?」
茉莉ちゃんは下着姿のままお布団を広げているので、薄ら寒そうだ。まだ4月。夜は冷える。
とはいえ、彼女もやせ我慢しているわけでもないみたい。毎日下着姿で眠っているのは真実なのかもしれなかった。
「あはは、おねーさん、素直じゃないねー」
私が隣にやってくると、茉莉ちゃんは声を弾ませる。茉莉ちゃんの喜んでいる声は、本当に声じたいが踊っているかのように軽やかで、こっちまで幸せな気持ちになれる。これが演技なのだとしたら、茉莉ちゃんは女優として食べていけるだろう。
布団に入ると――別世界が広がっていた。
私が数年間愛用していた、安らぎの空間であるはずのベッド内。
そこは、茉莉ちゃんの香りに占領されてしまっていた。私の領域が、どんどん茉莉ちゃんに埋め尽くされる。そして。私の心も同じように、茉莉ちゃんに侵食されていると錯覚してしまいそうだ。
ベッド内は、普段の匂いなんて、まるっきり皆無。
私は、自分が蜘蛛の糸にかかってしまった餌のような感覚に陥った。だって、とてつもないほどの甘い香りに、心が蹂躙されてしまったのだから。
彼女の香りはとてつもなく痛烈で、これが若い女の子の匂いなのか、と衝撃を受ける。私だって同じ性別なはずなのだが、茉莉ちゃんは、女の子とかそういうのを超越して、まるっきり別の生物にしか思えなかった。
「あー、おねーさん、もしかしてキンチョーしてるぅ?」
茉莉ちゃんの声がすぐ耳元で聞こえてきて、ゾワリとした。
顔が近い。
そりゃそうか。同じベッドの中にいるんだもの。そんなことも忘れてしまうほど、私は緊張しているのだ。
「茉莉ちゃん……。あのね。もし、私が本当は危険な大人で、茉莉ちゃんを酷い目に合わせてしまったら、とか考えはしないの?」
私は、自分を律することにいっぱいになりながらも、茉莉ちゃんに諭すみたいに話しかけた。目は合わせない。あくまで、同じ布団の中にいるだけ。
「う~ん。そうなったら、"セキニン"とってもらうだけかなぁ?」
「セキニン!?」
驚きのあまり、声を張り上げてしまった。
「別に、責任くらいは取るけど」、と口が勝手に答えそうになって危なかった。
「うん。お母さんに、キズモノにされちゃった、って言いつけて、おねーさんは一生私の言いなりだね」
なるほど、そんな責任の取らされ方か。
ってゆーか、茉莉ちゃん、古風的というか変な思考してるな。私の貸した本でも、キズモノにされちゃった、とかっていう展開はなかったはずだけど。
「茉莉ちゃんは、それでいいの? 好きでもない相手に、責任取らせちゃって」
「えーっ、だって今、あたしとおねーさん、コイビト関係じゃん。だったら、セキニン取らせるに決まってるよね?」
そういえば、そんな設定だったっけ。キスとかもしていないから、恋人って気にはならないんだよね。茉莉ちゃんは、私に対して恋する乙女の心を持ち合わせているようにも見えないし……。
にしても、茉莉ちゃん、真っ直ぐ純真な瞳で言ってのけるんだもん。私の心臓は休まることを知らずに、走り続けた後のような動悸の速さになってしまっている。
私、茉莉ちゃんのことを襲ってしまったとしても、責任取ればいいだけらしいし。茉莉ちゃんって、私が相手でもいい、って思ってるんだよね……?
でも、やっぱり年齢差が気になるのもあるし。
そもそも、私を言いなりにしたいだけなのかな? 愛してもらっているのかは定かではない。
私、コミュ障だし、ずっとひとりぼっちに近かったし、本当に決断力がない。悩んで、もじもじするしかできないのが情けなかった。
結局、彼女に襲いかかることなんて、できやしないのだ。
優柔不断の私に業を煮やしたのだろうか。
茉莉ちゃんの果敢な攻めは、より一層、激しくなる。
「ひゃっ……!」
私は、首筋にアイスでも押し当てられたかのように、間の抜けた声をあげてしまう。
なんと、茉莉ちゃんは、素足を私の足に絡めてきたのだ。構ってくれ、といわんばかりの、ちょっかいの出し方である。
彼女は下着姿で、生足。妙にえっちなことをしてもらっている気分になってしまう。ズボンの裾をめくられ、足で足を擦られているのだから。
「おねーさん、けっこう可愛い声でるんだね♪」
茉莉ちゃんは上機嫌。これでもか、っていうくらい足を絡ませてくる。あったかいし、すべすべしているし、どうにかなっちゃいそうだ。
「茉莉ちゃん、明日も学校でしょ? はしゃいでいると、疲れちゃうわよ」
「だって、おねーさんの反応面白いし。えっちなこと、したくてたまらないのに無理しちゃってて、見てて飽きないんだもん」
「だから、私はするつもりはないって……。茉莉ちゃんのほうこそ、我慢できなさそうじゃない」
「でもさー、おねーさん、首まで真っ赤にしちゃってるよ。えっちさせてください、って素直に言ってくれたら、触るくらいなら許しちゃうのになー?」
さすがに、赤くなっちゃってるのはバレバレか。
私は気まずくなってしまい、茉莉ちゃんに背を向け、もう寝ますよアピールを始めた。
本当に襲ってしまう前に、さっさと眠らないと……。そう思えば思うほど、意志とは反してギンギンに目が冴えてしまうものだが。
その上、茉莉ちゃんは足での愛撫を一向にやめようとしないものだから、私もだいぶ身体がムズムズしてしまっていた。
「うーん。あたしが思ってた以上に、おねーさんは強情だね。ま、そこもいいところだけど」
時折見せる、茉莉ちゃんの好意を持った台詞が、本当にずるい。意地悪だけをする女の子だったならば、ここまで惹かれなかったと思う。
とにもかくにも、私は心を無にすることに全神経を注ぎ、どうにか茉莉ちゃんの足攻撃をあしらうのだった。偉い、私。
しかし、この選択が、私をさらに泥沼へと引きずり込んでいくのだった……。