母と父_2
さきほどと同様に、レアードが扉をノックした。
「うむ」
とやはり同じ返事が聞こえる。
レアードが扉を開けてリーンとアンリを招き入れた。
そしてすぐに「私はこれで失礼いたします」と一礼をして退室する。
二人はさきほどまで座っていた椅子のところまで歩いた。
そしてリーンが
「父上、さきほどはありがとうございました。そして、また、このようにお話しする機会をお与えくださり感謝しております」
と心を込めて挨拶する。
すると驚くべきことに
「座りなさい」
と低い声がした。
それがキーツのものだと思い至り、彼が「うむ」以外の言葉を発したということに、二人はともかく驚いた。
そしてその驚きを必死で隠しながら、二人は腰を掛けて、キーツと向かい合う。
「で、話とは」
またもや思いもかけずキーツの声を聞き、二人の緊張が一挙に高まった。
三年前にトゥルーシナとの破談を告げられた時を思い出してしまう。
少し怖い。
この年になるまで面と向かって話をすることはほとんどなかった。
威圧されると委縮してしまう。
しかし、この機会を逃すわけにはいかない。
リーンは考える。
しかも、今は少なくとも、父上は正気のように見える。
とすれば、肖像画の話など回りくどい話は無用。
そう判断してアンリに振る。
間接的ながらなにかと衝突した自分よりも、年下のアンリに任せる方が得策だ。
それに彼には明確な目的とそれを支える動機がある。
「父上、今日はお願いがあってきました」
「なんだ。わしにできることなど、もうない。それはお前らのほうがよくわかっているだろう」
キーツの言葉は意外にも気弱なものだった。
「いいえ、父上にしかできないことなのです。どうか、僕と兄上に母上の話をしてください」
「母上の話?なぜ、なぜ今ごろそんなことを聞く」
リーンは目を見開いた。
明らかにキーツは動揺している。
アンリは正直に自分の気持ちを話した。
「兄上がカラチロのトゥルーシナ姫と婚約したのは、先ほど兄上がご報告した通りです。加えてトゥルーシナ姫の妹殿下のフォールシナ姫もテリクの第二王子と婚約しました。みんなお互いを好きになって、その気持ちを実らせたのです。それで、父上と母上はどうだったのだろうって。今までなぜか、母上のことを考えたことはほとんどありませんでした。母上の存在を自分の気持ちの外側に置いていたみたいに。でも、やはりそのままにしておくことはできません。母上はどんな方だったのですか。父上と母上が同じ気持ちで大切にしたものは何だったのですか。父上と僕たちとはここまで離れることになってしまいました。けれど、このままでは一生お話しすることができないと思って、勇気を出して訪ねてきたのです」
キーツが下を向いて
「魔法が解けたのだな」
と呟く。
だがあまりにも小さく二人には届かなかった。
キーツがアンリに向き直って
「アンリ、お前、婚約者は」
「いません。婚約者どころか、今まで女性とお付き合いしたこともありません。本当なら婚約者がいてもおかしくない年なんだけど、今まで女性を好きになったこともないのです」
「そうか」
と言ったきり、キーツは黙り込む。
アンリも必死だ。
「父上、実は先ほどレアードが母上の肖像画を見せてくれました。僕、母上の姿を生まれて初めて見ました。これまで名前すら知らなかったのです」
「そうか」
「お顔は兄上にも僕にも似ていらっしゃいました、髪の色も瞳の色も違ったけれど」
「そうか」
とキーツは目を閉じた。
リーンが代わって言う。
「父上、髪の色と瞳の色はアンリも私も父上と同じです。私たちはやはり父上と母上の子どもなのだと、うれしかったです」
キーツは今度は何も言わなかった。
代わりに閉じられた目からひとすじの涙が流れた。
「父上、どうか僕たちに母上の話をしてください。父上しか知らない母上の話を」
アンリがもう一度懇願する。
ややあってキーツが低い声で言った。
「…まで」
「えっ」
「どこまで聞いた」
「母上のことですか」
キーツが頷く。
アンリが答えた。
「僕たちが知っていることはすべて、今日初めて、レアードが話してくれたことです。先ほど言ったように名前と、どうやら絵を描いたり美術館を鑑賞したりすることが好きだったと。そうだ、その時は父上もご一緒だったのですか」
「わしは絵は描かぬ。ただ、美術鑑賞は好きだ。フィオラは気がつくといつも外にいて、キャンバスに向かっていた。目に映るすべてのものが好きだと穏やかに笑っていたよ」
キーツはここで初めて、亡くなった妻の名前を口にした。
「父上はどんな絵がお好きなんですか」
「わしは写実的な絵が好きだ。抽象的な絵は、そのよさをまっすぐに感じることがわしには難しい。フィオラの描く絵も風景を切り取ったようなやさしい絵だ」
「母上がお描きになった絵はどこかにありますか」
「ああ、何枚かはな。あとで二人を案内しよう。ほかには。ほかにはアレから何を聞いている」
アンリは聞いてもよいものかどうか躊躇いながら、気になっていたことを尋ねた。
「母上とレキラタの妃殿下が従妹同士だというのは知っていましたが、レアードからはそれぞれの母君がレキラタの筆頭公爵家の姉妹だったと聞きました」
「彼奴は調べたのか」
その言い方にとげのあるようなものを感じたリーンが、キーツを慌てて宥める。
「どうか、彼をお叱りにならないでください。さっきお話しした通り、父上に母上の話を伺いたくて、先触れの時に用件を知らせておいたのです。それできっと気をきかせて調べてくれたのでしょう」
「だが、誤った情報では意味がない」
「えっ、今の情報は間違いなのですか」
「いや、そうではないが、資料の中には誤りが混じっていることもあるだろうということだ」
「わかりました」
二人はキーツが本当のことを話すつもりだと信じた。




