母_1
リーンから何を言われても「うむ」としか言わないキーツ。
そのようすにたまりかねたアンリが、離れたところに立つ使用人に目配せして呼ぶ。
そして
「いつもあんな感じなの?」
と耳打ちして尋ねた。
使用人が頷いて
「面会が終わったあと、お話しいたします」
と小声で答えた。
アンリはキーツとの話し合いに見切りをつけたのだろう。
リーンに向かって言う。
「兄上、父上も兄上の報告お聞き届けくださいました。私たちはこれで失礼しましょう」
その言葉に少し戸惑ったような表情をして
「おまえ、母上の話は」
と小さな声で問うリーンに、アンリは頭を振ってリーンの膝に手をのせて合図する。
そして、今度はキーツのほうに向いて、
「父上、今日はありがとうございました」
と挨拶した。
キーツは「うむ」とだけ答える。
その返事を聞いたアンリは、リーンの膝に置いた手を今度は左肩に置き、自分から席を立ちながら
「兄上も、さあ」
と促して立たせた。
二人は部屋を出る。
使用人もキーツに
「それではまたあとで参ります」
と挨拶して部屋を退出した。
扉が閉められ、廊下に三人だけとなったところで、もの言いたげなリーンを横目に、アンリが
「どういうことなの」
と使用人に尋ねた。
リーンは怪訝そうにアンリと使用人を交互に見る。
「それについては、こちらでお話ししたいと存じます」
使用人がリーンとアンリを客室と思われる部屋まで案内した。
先ほどと打って変わって、必要最低限の物しかない部屋だ。
しかし、その一つ一つが洗練されていてリーンは居心地の良さを感じた。
「先ほどは誠に失礼いたしました。どうぞ、おかけください」
使用人の言葉にリーンとアンリがテーブルを挟んで向かいあって座る。
「申し遅れましたが、私は」
と使用人が名乗ろうとするのを制止し、
「知っている。レアード・クィロトだろう。父のことでは苦労を掛けている」
とリーンが言った。
レアードが「恐れ入りましてございます」と一礼する。
「で、先ほどの言葉はどういうことなのか、説明してもらえる」
とアンリが質した。
「先ほどの言葉?」
とリーンがもう一度訝しげに見る。
アンリが急に話し合いを打ち切った事情を説明し始めた。
「兄上、先ほどの父上のようすをおかしいとお思いになりませんでしたか。父上が発した言葉は、たった一言、うむという言葉だけです」
「確かに」
「それで先ほど、レアード殿にいつもこの調子なのか尋ねたところ、面会のあとで話すとのことでした、その言葉から、おそらく今の父上には何を尋ねてもあの調子なのだと判断して話を打ち切りました。あの調子ではもうあの人に母上のことを尋ねても何も得られないのではと思い」
レアードが同調する。
「その通りでございます。キーツ様はこちらが何を言っても何を聞いても、ただ一言、うむとだけしかおっしゃいません」
「それはいつから」
「こちらにいらっしゃったときにはもう今日のような感じでございました」
「こちらの言ったことはわかっているのか。こちらの意思は伝わるのか」
「それについては判断を保留させていただけませんでしょうか。ただ、たとえばみかんを指して、みかんかとお尋ねしてもりんごかと伺っても、うむとしかおっしゃらない。そんなことがしょっちゅうございます」
「なるほど」
リーンが頷く。
対して
「こんな、話を聞くこともできない状態だったなんて。生きていないのと同じです。もう母上の話も、レキラタを侵攻した本当の理由も教えてもらえない」
とアンリは嘆いた。
リーンも溜息をついた。
「リーン様アンリ様、それについてでございますが」
レアードが声をかけ、
「私のできる範囲で資料を取り寄せております。恐れ入りますが、この部屋で少々お待ちいただけますか」
と部屋をいったん出ていく。
「忝い」
リーンがレアードの後ろ姿に声をかけた。
どうやら先触れと一緒に渡しておいた、、今回の用件を記した手紙をレアードも読んで、細かな内容について調べておいたようだ。
「兄上、私は父上から直に母上の話を聞きたかったのです。レキラタの侵攻だって面と向かって文句を言いたかった」
リーンが立ち上がり、悔しがるアンリの両肩にそれぞれ手を置いてトントンとした。
まだ二人が幼かったころ、落ち込んだアンリを慰めるためによくしていた仕草だ。
しばらくの間そうしているところにノックの音がした。
リーンが元の席に着く。
「たいへんお待たせいたしました」とレアードが戻ってきた。
手に書類の束と額絵を持っている。
そして、書類をテーブルの上に、額絵を空いている椅子のうちの一脚にもたれさせ掛けた。
額絵には若い女性が描かれている。
「この女性、面差しが兄上に似ていますね」
「いや、私はアンリに似ていると思う」
レアードが微笑みながら明かした。
「この女性は、フィオラ様でいらっしゃいます。キーツ様の亡くなられたお妃さま、お二人のお母上でいらっしゃいますよ」
「フィオラ、それが母上のお名前なの?」
「名前を教えてもらったのは私も初めてだ」
驚くアンリとリーンの言葉にレアードが絶句した。
「そうか、母上は本当にいらっしゃったのか」
リーンは肖像画を見てようやく実感し、目を閉じた。
あれが母上なのかもしれないな。
遠い昔に一度見た夢。
幼い自分が一生懸命誰かを追いかけている。
その人は時折立ちどまり自分のほうを振り返った。
そしてついてきているのがわかると、またゆっくりと駆けだす。
最後追いついたと思ったとき、その人が体ごと振り向いて、私はそっと抱き締められた。
その時にリーンと呼ばれたような気がする。
そんな夢。
あまりに印象的な夢だったから何度も思い返してずっと覚えていた。
自分の名を呼ぶ声はどんなだったか思い出せないけれど。




