翌日‘(宰相邸)
「ルシィさん、夕べはよく眠れたかしら」
「はい、公爵夫人様」
「公爵夫人だなんて。あなたがルシィと呼ぶことを望んだように、私も名前で呼んでちょうだい」
「はい、承知いたしました」
「ねっ」
「はい、あのっ」
「なあに」
「ク、クララベル様」
フォールシナは、ナイジェルの母でありリーンとアンリの叔母であるクララベルと朝食をともにしていた。
「うふふ、無理やり言わせてごめんなさいね。わたくしね、娘とこんなふうに過ごすのが夢だったの。息子ばかり三人だから、あなたのような愛らしいお嬢さんと食事できて、ほんとうにうれしいわ。カラチロに帰るまでのしばらくの間、どうか何でも甘えてちょうだいね」
「はい、本当にありがとうございます、クララベル様」
昨日のことを思い出す。
長い一日だったな。
午前中と午後とでは、全く別の日みたいだった。
いつもなら今ごろは先生の補助をして小さな子たちのお勉強を見ているころ。
昨日もそうだった
一段落したら、野菜や果物を収穫したり、お花を摘んだりして。
昨日もりんごをもいで籠一杯にした。
そのうちにエディがやってきて、一緒に食事をして。
昨日もそうだった。
そこまでたどった時、知らないうちに目頭が熱くなった。
「あら、ルシィさん、どうしたの」
クララベルの心配そうな顔に思わずごまかそうとする。
「あっ、いえ、これは」
けれどもすぅっとひとすじ自分の頬を伝っていくものがあった。
クララベルは立ち上がって、フォールシナのところに歩み寄る。
そして、背中をそうっと何度かさすった。
「突然、こんな知らないところに連れて来られたのだものね。不安になるのも無理ないわ。急なことで皆さんとお別れもできなかったのではなくて」
「うっ、ううっ」
言われてみればそうなのだ。
夕べは自分のこれからのことばかり考えて、ずっと不安だったけど。
感極まる。
本当の姉のように慕っていたミリアたちにも、弟や妹のようにかわいがっていた小さな子たちにも、さよならはもちろん何も言わずに来てしまった。
いろいろな気持ちがないまぜになって、涙が止まらない。
しゃくりあげてしまう。
フォールシナの肩は、いつの間にか隣に椅子を寄せて座ったクララベルに抱かれていた。
クララベルはもう何も言わない。
ひとしきり咽び、感情が収まったところで、我に返る。
「もっ申し訳ありませんっ」
「だいじょうぶよ。そうね、今は一度、部屋にお戻りなさい。ルシィさんの気が紛れるかどうかわからないけれど、お日様がもう少し上にのぼったらお庭に出てみましょうか」
フォールシナは侍女に先導されて、与えられた私室に戻っていった。
「フォールシナさまがご滞在中は一切のことを奥様から任されております」
「そうでしたね。湯浴みや着替えを手伝ってくださいました。ありがとうございました」
「何かありましたら、遠慮なさらずにすぐ、お呼びくださいね。お部屋の前で控えておりますから」
退出しようとする侍女をフォールシナが呼び止める。
「ごめんなさい、もう一度お名前を教えてくださいませんか」
「オルカ、と申します」
「オルカさん、いろいろとありがとうございます」
「フォールシナさま、私のことは呼び捨てで大丈夫ですから。敬語も不要です」
「そういうわけには。オルカさんはクララベル様の侍女ですし」
オルカは何か言いたげだったが、それでもお辞儀をして部屋を出、扉をきっちり閉めていった。
一人残されたフォールシナはベッドに腰かけて部屋の中を見回してみる。
与えられた部屋は客室ではなく、クララベルが予備として使用していた部屋だと聞いた。
「だから、何の心配もいらないのよ。好きなだけ、なんなら、ずっとここにいていいのよ」
クララベルの言葉を思い出す。
立ち上がり、おかれている物に手を伸ばした。
ベッドわきのランプスタンド。
ドレッサーの上に乗った手鏡、化粧瓶。
窓辺の花瓶、敷かれたドイリー。
調度品の意匠や細工はハーリード辺境伯が派遣した教師から知識として教えてもらってはいたが、現物を見るのは初めてだ。
「とてもすてきだけれど、私にはすこし華やかすぎるな」
そう呟いて、溜息をつく。
ここに来てから二度着替えさせられたドレスはどちらも普段使いだと聞いたが、それぞれとても丁寧な刺繍が施されていた。
「こんな見事な刺繍、見たことない」
連れ去られたときに着ていた衣類は侍女にしまい込まれてしまった。
「そうだった」
あわてて作り付けのクローゼットに駆け寄ると、扉を開けた。
そこにはスイネ教会で使っていた鏡や日記帳など、大切にしていたものが置かれている。
あのあとミリアが調え、城に戻るジョエルが託してくれたのだという。
隣には、昨日まで教会で来ていた白いブラウスと赤いスカートが掛けられていた。
スカートを手に取る。
そしてスカートの左ポケットに右手を入れた。
「あった」
硬く冷たい感触のものを取り出した。
右手を広げて、左手でそれをそっと触る。
小さいけれどキラキラと光る深い青い石のついた金色のブローチ。
あの人と同じ青。
あの人と同じ金色。
これがあるから、私は今強い気持ちでいられる。
昨日別れ際に、私の手を取り、指を開かせてブローチをそっと掌に置いて、あの人が囁いた。
「これを俺の代わりに持ってて」
手の中のそれは大きさの割にずっしりと重く、私でも本物の金が使われているとわかった。
「エルベルトさま」
フォールシナは昨日このブローチを渡した男の名を呼んだ。
教会長の訴えと王の計らいで二人きりになれたあの十分間。
こんな高価なものは受け取れないという私に、あの人は秘密を打ち明けてくれた。
あの人の本当の名前はエディでもエドアルドでもなかった。
「エルベルトさま」
もう一度あの人の名を呼ぶ。
あの人は髪色を金色に戻して自分の正体を告げた。
そして必ず私を迎えに行くからって。
「だから、待ってて」って。
それは信じてる。
でも、あなたが王子さまで、私がお姫さまだなんて。
それは本当なの?
私はこれからどうなるのだろう。




