浮上した名前
「どこで、その名を聞いた」
リーンはセレナのことなどの細かい事情は伏せて、事実だけを手短かに述べた。
「先日、カラチロ国を訪問した際にカルドリ帝から伺いました。おじいさまはシエラディト辺境伯と親交があると」
「なるほど、カルドリ帝が。いや、知っているも何も、他国の貴族の中では一番懇意にしておる。まだ若いころからの知り合いじゃ。初めて会ったのは、カール帝即位六十周年記念行事じゃ。あの時は周辺の国々から多くの高位貴族がルトリケを訪れていてのう。たまたま、家督を継ぐ前のユール・シエラディトもシリル・ハーリードも来ておった。私とユールは二十歳、シリルは十八だった」
そう話すサーシは、何か当時のエピソードを思い出しもしたのか、幾分顔を上気させていた。
「ヒース王ということは、ひいおじいさまの時代ですね。そんな昔に出会われたのですか。しかもたった今お話に出てきた二人と」
「そうじゃ。初めて話したときから意気投合してのう。そのあとはお互いの家を行き来し、いろいろなことを語り合った。わしも含めて三人とも無茶もしたが。三つ子の魂百までというが、奴らの精神は基本的には今も変わっておらぬ。リーンがシエラディトの名を出したのは、さっきハーリードの人となりを聞いて、連想したからじゃろう」
「ご明察です」
「若いころは機会があればつるんでいたな。わしが王に即位してからはままならなかったが。それでも会えばまた昔の通りだ」
リーンは気になっていることを聞いてみる。
「ハーリード辺境伯の領地にテクレ教の教会が集中しているのも、シエラディト辺境伯と仲がよいことに関係あるのでしょうか」
「さあのう。それについてはわからぬ。二人の間で何かあるのかもしれない。先ほど、会えば昔の通りとは言ったが、それは表向きのことじゃ。もう二十年近く、積極的な情報交換はしておらぬ。ただし、それは私と彼らの間の話じゃ。ユールとシリルは今も連絡を取り合っているじゃろうし。もちろん、ハーリード領は我が国に属しているから、定期的な報告は上がってきていたが」
リーンはアンリと顔を見合わせた。
セレナの実家シエラディト辺境伯とルトリケ国内最大の領地を持つハーリード辺境伯とのつながり。
先ほどからずっと黙って聞いていたアンリが口を開く。
「おじいさまからごらんになって、シエラディト辺境伯はどんな方ですか」
「どんな方、というのは」
アンリは額を右手の人差し指と中指で押さえてから言った。
「信頼できる方でしょうか」
「ふうむ」
今度はサーシが考え込む様子をする。
それを見てリーンが踏み込む。
「そうとは言えないということですね」
サーシが覚悟を決めたように、ゆっくりと口を開いた。
「何と答えればよいか。そなたたちに予断を与えることになるので、言いたくはなかったが」
「予断、ですか」
「彼は、領地はカラチロ国にありながら、テリクの王族と懇意にしているとも聞く。具体的には第二王子だ。それが何を意味しているのか、今のところはつかめておらぬ。真意がわからぬという意味で、わしらルトリケの人間からすれば、信頼するには至っておらぬ」
「カルドリ帝はご存じなのでしょうか。彼はシエラディト辺境伯については特に何もおっしゃっていませんでした、ただ血筋について、国際色が豊かだということのみで」
「なるほど。実際、よく知らないのかもしれぬ。カラチロ国からすればシエラディト領は緩やかにつながっているだけじゃ。統治は辺境伯に任せていて、関わらないようにしている。言ってみれば内乱などを起こさなければそれでよいという立場じゃ。おまけにカルドリ帝はわしたちよりも十三歳下じゃ。ユールが家督を継いでからのほうが、カルドリが即位してからよりもずっと長い。いまだに現役だし。遠慮もあるのじゃろう」
そうなのか、そういう事情もあって、セレナのことを踏み込んで追及できなかった可能性もあるな。
セレナの実家はシエラディト家だ。
フォールシナをセレナが連れ去ったことは連れ去りの時点で分かっていたことだ。
普通なら、まず、その責をシエラディト辺境伯に問うはずだ。
ところが、当時のカルドリ帝は辺境伯に対し、何の行動も起こそうとしなかったようなのだ。
しかも、つい先だって彼に会ったときも言っていた。
セレナのことはもういい、と。
なぜだろうとずっと思っていた。
生まれたばかりの皇女の行方がわからなくなったという事実は、世間に知られてはならない事実だろう。
連れ去りの容疑者の実家とはいえ、帝国一の貴族に問うことで、逆にそれがあからさまになってしまえば、皇族にとっては大失態だ。
自分の愛娘よりも皇家の事情を優先せざるを得なかったのか。
なるほど。
そういう事情があるなら、多少なりとも合点がいく。
リーンはそう思いを巡らせた後、カルドリ帝のことからシエラディト辺境伯のほうに考えを向けた。
「先ほどシエラディト辺境伯はテリクの第二王子と懇意にしているとおっしゃっていましたが」
「ああ、それは、ハーリード辺境伯も同じじゃ」
「と言いますと」
「つまり、ユールもシリルも第二王子のエルベルトを自領に呼び、歓待しているようじゃ」
「なんですって。本当ですか」
「うむ。これはユールやシリルからではなく、テリクに忍ばせた者からの情報じゃが」
知らなかった。
もしかしたら、即位してから三か月、目の前のことや王都の様子ばかりに気持ちを奪われて、もっと大きなことを見ていなかったのかもしれない。
リーンが愕然としていると、サーシが慰めるように言った。
「知らないのも、無理はない。案ずるな。忍ばせた者たちはそのうち、そなたらのものとなる。そうすれば、もっとさまざまなことが耳に入るじゃろう。ただ、情報は取捨選択しなくてはならんからのう。譲るのはもう少し国が落ち着いてからになろう。それまではわしを頼ってくれ」
気を取り直してリーンが
「エルベルト殿下は確か王太子のミセル殿下の異母弟でしたね。私より一つ下と記憶しています」
と言うと、アンリが補った。
「経済面に明るい、文武のどちらにも秀でた方と聞きます」
「面識はあるのか」
「いえ。ただ、トゥルーシナ姫との婚約発表の時に、王太子の名代として妹殿下とともにナイジェルが招いています。念のため、肖像画は確認しています」
リーンはそう答えながら、二人の辺境伯が第二王子と関係を持とうとする理由が気になった。
「二人の辺境伯は、野心家ですか」
「さあな。ともに民への思いは強いので誤解はされるが、我欲に流されることはないと、わしは見ておるが。これはこちらから見て信頼しうるかどうかとはまた別の話じゃな」
「エルベルト殿下も王位に執着はないと」
「それはわからん。テリクの政情に、今のところは変化がないというだけじゃ」
話題がエルベルトに移りかけた時、アンリが割って入った。
「そういえば、シエラディト領ではどんな産業が盛んですか」
「広い領地だ。国境近くの山脈には鉱物のとれる場所がある。また麓のほうでは野菜作りなど農業も盛んだ。また別の裾野では放牧もしている。焼き物の工房もあるそうだ」
リーンとアンリは目を見開いた。
ルトリケではハーリード領が一番広い。
しかしほとんどが深い森のため、林業や炭焼き、工芸品が中心だ。
あとは野生動物の肉や毛皮を卸しているが、ハーリード辺境伯が動物を保護していて、捕獲総数を抑えているため、細々としたものである。
ルトリケの他の領主も温暖な気候と肥沃な土地を生かした農業が中心だ。
加工は王都が一手に引き受けている。
「ルトリケ全体でもっと豊かになるすべを探さなくては」
と二人で頷きあった。
それにしてもシエラディト辺境伯とはどんな人物なのか。
直に会って確かめたい。
リーンが思い切って言う。
「おじいさま、私たち二人がシエラディト辺境伯に会うことはできませんか」
「ふうむ。わしはもう以前ほど気軽に行き来はしておらんからのう。何かの口実がなければ難しいのう」
「おじいさま、兄上の婚約発表にお連れいただくことはできませんか。その席にはエルベルト殿下もハーリード辺境伯も来ます」
アンリが頼み込む。
「なるほど。考えておこう。招待状は出しておけ」
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