魔術師の困惑
魔術師のバルトリスはリーンに呼ばれて、少し早足で執務室までの廊下を急いでいた。
カラチロで会ったトゥルーシナ姫の様子を思い出している。
挨拶を交わすのみだったが、いるだけでその場の人々の心を満たすような可憐な少女だった。
自分が占いで見た人物の双子の姉だと思うと、つい意識してしまう。
以前、リーンが自分にかけた言葉を思い浮かべた。
“バルトリス、そなたの夢見の人物は双子だった。双子の姉のトゥルーシナ姫に青い傷のある可能性はあると思うか”
彼女の首元は装飾で覆われていて、その下に何かが隠れているかどうかはわからなかったな。
ふと見ると、使い終わった食器類をワゴンに乗せた侍従がバルトリスの通り過ぎるのを待っている。
足をさらに早めた。
執務室の扉の前で立ち止まる。
リーンのカラチロ訪問に同行していたのでここに来るのは何週間かぶりだ。
前にここで会議をしたときは、まだハニウェル夫人はこの城にいた。
会議の後、日課となっていた彼女の顔を見に行ったな。
あの日が最後だった。
あの会議でも、みなが彼女のことを疑わしいと言った。
しかし、私はどうしてもそんな気持ちになれなかった。
カルドリ帝の命令でフォールシナ姫を連れ去った彼女のその後の苦難。
言葉の端々に滲む彼女の哀しみを信じたいと思った。
私の夢見はいつも信じることから始まり、信じることに終わるものだから。
そして最後の日も、彼女は変わらなかった。
訥々と喋り、表情は暗い。
何かに怯えるようにしている。
リーンに聞き出すよう指示されていた旧姓やテリクのことを尋ねたが、涙を流すだけだった。
残念だが、それで、最後の最後に噓を見た思いだった。
ハニウェル夫人と話した日々を反芻しながら、ふと彼女が自分の家でどう振舞うのか見てみたいと思う。
だがすぐにかぶりを振りながら、バルトリスは扉をノックした。
返事はない。
もう一度ノックした。
やはり返事はない。
ただし、話し声は聞こえる。
「失礼します」
バルトリスは、返事を待たずに扉を開けて執務室に入っていった。
入ってすぐにテーブルの向こう側に座るリーンと目が合う。
顔が上気しているように見えた。
マキシムが気づいてさっと席を立ち、自分の座っていた場所をすすめた。
そして自分のいつもの位置であるリーンの左隣に立った。
ソファーに腰かけながらナイジェルやマキシムを見ると、二人ともきまりが悪そうにしている。
アンリだけが
「約束の時間きっかりですね」
とにこにこした。
バルトリスは怪訝そうに辺りを見回す。
なんなのだ、この微妙な空気は。
リーンが取り繕うように
「忙しいところすまない。儀礼となると、やはりそなたは不可欠なので、来てもらった」
と改めて説明した。
バルトリスが思いついたように尋ねる。
「婚約発表の時も、トゥルーシナ姫をお呼びになりますか」
「ああ、さっき、そういう話になった。婚約発表の時に彼女も招いて舞踏会を開く。そなたもダンスの準備をしておいてほしい」
「私が、ですか」
「ああ、筆頭魔術師であるそなたと踊りたいという令嬢もたくさんいると聞く」
「……」
思いもかけないことを言われ、一瞬言葉をなくす。
が、なんとか言葉を継いだ。
「私と躍りたい女性がいるかどうかはともかく、主役はあくまで陛下とトゥルーシナ姫ですから。そういえば、トゥルーシナ姫とお会いになるのは久しぶりだったのでは」
「ああ、三年ぶりだった。父上に破談を申し渡されてからは会うどころか、手紙のやりとりもしてなかったから」
バルトリスは、挨拶だけを交わした可憐な少女を再び思い浮かべた。
以前、リーンが自分にかけた言葉をもう一度思い出す。
青い傷の話。
カラチロからの帰路はリーンと別だった。
もしかしたら何かわかったことがあるのではないか。
「実際にお話しされて、いかがでしたか」
それとなく尋ねてみる。
しかし、リーンが食いついたのは全く別のことだった。
「相変わらずのかわいらしさで、久しぶりに口をきいたときは、おとなしげで、以前と変わってしまったのかと思ったが、打ち解けてくると、素の彼女を見せてくれて、やっぱり明るくて、活発なところはかわってなくて、あくる朝、散歩に誘ってくれて、それが、幼いときに婚約を交わしたスズランの花園で、白い花の中に立つと彼女の愛らしい姿が一層映えて、思わず」
一息で喋り続けるこの男。
私はいったい誰を見ているのだろう。
バルトリスはひどく驚く。
喋りが止まらなくなったリーンに思わず引いてしまった。
彼の隣に立つマキシムに目配せした。
「陛下って、こんな感じだったか」
マキシムはぶんぶんと首を振り、見てはいけないものを見てしまったような顔をしている。
バルトリスはそっと隣に座るナイジェルに耳打ちした。
「陛下を止めてくれ」
だが、その前にアンリが言った。
「兄上、トゥルーシナ姫のお話をありがとうございます。こんなに話してくださるなんて、信じられません。さっきナイジェルやマキシムがいくら頼んでも全然話してくださらなかったのに、バルトリスはさすがだな」
なるほど、そういうことだったのか。
バルトリスは部屋に入った時の微妙な空気を思い出し、なんとなく得心した。
ナイジェルが気を取り直して言う。
「私も、お目にかかりたかったです。留守番でしたから」
バルトリスは心の中でダメ出しをした。
ナイジェル、その言い方は火に油を注ぐ。
リーンはもっと語るぞ。
そんなバルトリスの思いを知ってか知らずか、リーンは、
「おおそうだ」
と言って立ち上がり、自分の執務机の下に隠してあったものを取り出してきた。
長方形の平たくて大きな包み。
「兄上、いつの間にそんなものをそんなところに隠しておかれたのですか」
アンリの問いには答えず、得意げに開いて見せた。
中身は、リーンとトゥルーシナが寄り添う姿絵だった。
マキシムがぼそっと
「さっさとそれを見せてくれてりゃ」
と呟いたのをバルトリスは確かに聞いた。
が、おそらくリーンには届いていないだろう。
姿絵をじっと見ていたナイジェルが提案した。
会議モードに戻っている。
「それ、いいですね。なるべく多く描かせて国中に貼りましょう。できれば婚約のお披露目に合わせて掲示し、あわせて、小さいサイズのものを印刷して王都の民に配布しましょう」
彼なりに話題を変えたのだろう。
「これを国中に、か。私自身もうれしいが、ナイジェル、もう、数週間しかないぞ」
「大丈夫です。絵師には今すぐとりかからせましょう」
バルトリスが手を挙げる。
「姿絵の複写なら私にお申し付けください。手始めに」
と10枚ほど出して見せた。
「魔法か、思いつかなかったな。仕事が増えるが、バルトリスに頼もう。絵師にはこの姿絵の模写ではなく、新たに別のものを描かせよう」
「複写であれば、私の配下の魔術師も対応可能です」
「配布分は業者に頼みましょう。下絵の職人、紙と印刷業者には金が渡ります」
それまで、様子を見ていたアンリが、
「兄上、このまま婚約や結婚に関わる諸々ついて、ここで案を出し、明後日予定されている貴族会議に諮ってはいかがでしょうか」
と提案した。




