血鬼術、ばっけつ
おいらはばけつです。
晴れの日は、坊っちゃんやお嬢ちゃんが遊ばしてくれて、うれしいです。
雨の日は、お腹いっぱいで、とても苦しいです。
雪の日は、あのふわふわしたものをあたまにのせて、何ともいえないです。
おいらが植木鉢のそばへ置かれたとき、嫌な思いと良い思いをしました。
となりの植木鉢が「お前は水をくむ以外には使えないやつだ。水くみ以外に何がある」と言ってきたのです。嫌だなと思う間に、「勇気がある」と言い返す間に、カニが飛び込んできました。このカニは横ではなく、幅跳びのように、前に飛んで鋏を斜め十字にクロスさせていました。辺境一の剣士、ユパ・ミラルダのようでした。すると、黒い丸い大きなものが落ちてきて、すごくいい匂いがしました。お水を入れることの他にも役割があって、ほんとにホッとしました。
では、ばけつをバケツに転調します。
……あんね、るみちゃんがね、こん間、あたしに向かって、バケツ、投げつけたんけど、あたし、別におこらんかって。
バケツんなか にはさ、砂つぶとカニが入ってたんけど
……あたし、カニ、可哀想やって……、るみちゃんに 怒りそこねたん
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……そういうことっない?
……あんな、あたし、……よくある
**
ぶつけたるみちゃんへの怒りより、……ぶつけられた痛みより……つぶされたカニが可哀想やって……
……理不尽やなぁ……あのカニ、なんであのバケツ入ろうと思ったんや
バケツがよさげに見えたんかな……
ゆうやけに染まる公園で 赤いバケツのなかん カニが ……あたし、可哀想やって……
……きっと そういうことしか 転がってない たまたまバケツがよさげに見えたん あの カニみたいに
……きっと そういうことしか 転がってない
……あたし、可哀想やって……
(澄 『バケツ』)
では、バケツをばっけつに転調します。
「「バケツに入らずんばやまなしを得ず」の喩えにあるとおり、バケツに入ったのです」
とカニは葉隠れから言いました。惨死の境でも、ラグビーボールのように、自若としています。
そのようにして、幾億のカニが鉄砲玉となり、露と消えたことでしょう。「棚からやまなし」の喩えは、カニのクロニクルにはないのです。カニ道とは死と見つけたり、です。そこには、理不尽、哲学的には不条理を越える何かがあります。カニの命は、やまなしに値するかという問題です。シーシュポスが岩運びを止めないように、子供たちもカワラバトとの鬼ごっこを続けるでしょう。そしてカニもまたバケツに魂を宿カニするでしょう。
○月△日
ほい殺されたゴキブリの数、4989匹
可哀想やって……、無惨を越えて
血鬼術、ばっけつ
○月△日
轢死したバッタの数、4989匹
可哀想やって……、無惨を越えて
血鬼術、ばっけつ
○月△日
熱死したミミズの数、4989匹
可哀想やって……、無惨を越えて
血鬼術、ばっけつ
○月△日
永久消灯した蛍の数、4989匹
可哀想やって……、無惨を越えて
血鬼術、ばっけつ
○月△日
殺処分された犬猫の数、4989頭
可哀想やって……、無惨を越えて
血鬼術、ばっけつ
○月△日
沈黙した羊の数、4989頭
可哀想やって……、無惨を越えて
血鬼術、ばっけつ
○月△日
密猟された象の数、99頭
可哀想やって……、無惨を越えて
血鬼術、ばっけつ
・・・・・・
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○月△日
発狂した人の数、4989人
可哀想やって……、無惨を越えて
血鬼術、ばっけつ
○月△日
殉死したクラムボンの数、9999子
可哀想やって……、無惨を越えて
血鬼術、ばっけつ
月は明らかだった。空は光がみち、谷は闇に閉ざされていた。谷沿いの大岩に、なめらかな赤い焔がひらめき昇って、シュプレヒコールが起こった。声は大きく、たえず同じ充実を保っている。それは谷川をわたり、谷に鳴り、崖に鳴り、いただきにひびき、ごうごうと宙にとどろき、山を越えてかなたのイーハートーブまでとどろきわたった。声はおそろしくまたかなしく、唱和は夜もすがら続いた。
鬼火のなるころ、谷川には岩登りの子供たちがカニ取りに、ばけつ、バケツ、ばっけつと、シャツのはみだしたズボンの小さなお尻を並べている。すぐ傍らを鬼火が通りすぎてゆく。
血鬼術、ばっけつ
阿吽の呼吸
鬼火につられて、一人が今しかないと、カニをキャッチアンドリリースした。
助けられたカニは、ユパ・ミラルダのように言った。
「負うた子に助けられたな」