プロローグ おっさんなんて大嫌い
「杉浦お前も二次会行くよな?」
めんどくさい会社の飲み会。どうしておっさん達はこんなつまらない集まりで楽しそうにできるのだろうか。俺は不思議でたまらない。
「は、はい。行きます……」
覇気のない返事。行きたくないと分かりそうなものだが、酔いが回っているせいかおっさん達は気付かない。
「それでこそ新入社員だー! さあ俺達に着いてこーい!」
上司の木村はいつにも増して上機嫌だ。仕事中もこれぐらい機嫌よく居てくれたら良いのに。明日は二日酔いになってしまえ。
「早く行くぞ。行く奴はタクシー乗れよ」
所長がそう言うや否や騒いでいたおっさん達は威勢の良い返事をして次々とタクシーに乗り込んでいく。俺も早く乗らないとな。どのおっさんと一緒に乗っても不愉快ではあるが、所長と木村だけとは一緒になりたくはない。できれば物静かで優しい田中さんが居てほしいな……。
「どうして私は二次会に行ってはいけないんですか! いつもそうじゃないですか! たまにはご一緒させてください!」
ふいに女の子の声が響き渡る。同期の阪本風子の声だった。黒髪ロングのおっとりとした顔立ちからは予期せぬ積極性を持っている女の子だった。
「まあまあ落ち着け。もう時間も遅いし君は帰りなさい」
木村がたしなめている。女子社員にはいい顔するんだよなぁ。
「遅いって言ってもまだ夜の9時じゃないですか! 終電まではまだ時間があるし、私だけのけ者なんておかしいです!」
よくもまあ会社の飲み会なんかに積極的に参加しようと思えるな。俺だったら帰れと言われたら喜んで帰るのに。もしかして阪本さん、酔っているのか。
「おいおいどうしたんだ。……君達は先に行っておいてくれ」
騒ぎに気付いた所長がタクシーから降りてきてしまった。そして、所長を置いて二次会会場へ走り出した。チラッと見えたが所長が降りたタクシーに乗っていたおっさん達は安堵の表情に包まれていた。これはつまり……。
「所長! どうして私は二次会へ参加してはいけないのでしょうか!」
「君はまだ若い。これから先も飲み会はたくさんある。今はまだ会社に慣れるので精一杯であろう。今日の所は帰って休みなさい」
所長がそれっぽい事を言い、阪本さんを帰らそうとした。
「会社に早く慣れるために飲み会に参加したのです! 他の女性社員は参加していない中……。それに! 若い云々言うなら杉浦くんがいつも二次会に参加しているのはどうしてなんですか!」
かわいい顔で睨みを利かせて俺の方を見てくる阪本さん……と所長と木村。所長と木村はかわいくない。おいおい俺に振らないでくれ。早く何とか言えとアゴで指示を出してくる二人に抗う事などできない俺はこう言った。
「さ、阪本さん。お二人の言う通りだよ。今日の所は帰ったらどうかな? それに、二次会が終わったら日付変わるぐらいの時間になっちゃうから、阪本さんみたいに、か……かわいい子が一人で帰るには危ないよ」
俺の言葉を聞いた阪本さんは少し俯き、何やら考えているようだった。そして、顔を上げて言葉を発した。
「……分かりました。今日の所は帰らせていただきます。失礼します」
阪本さんは駅の方へ歩き出した。
「いやー杉浦も言う時は言うね。それでこそ新入社員だー!」
助手席に乗っている俺の頭を木村が後ろから叩く。新入社員を何だと思っているんだ。
「ナイスファイトだったぞ杉浦。給料を上げてやる事はできんがな」
所長がそう言うと後ろのおっさん二人は笑い出した。
「あ、ありがとうございます……」
ここはタクシーの車内。行きたくもない二次会へ向かっている最中だ。俺の嫌な予感は的中し、所長と木村の二人と一緒に二次会へ向かうはめとなってしまった。
「だって女の子を連れて行くわけにはいかないだろ。女の子のいる店だが、な?」
また後ろのおっさん達が笑い出す。そうなのだ。この会社の二次会とはつまりキャバクラへ行く事を指すのだ。
午前1時過ぎ、やっと自宅へ帰ってくる事ができた。やはり二次会は最悪だった。下ネタを大声で話し出すおっさん達。俺の女性関係を勘ぐってくるおっさん達。適当に返したが勝手な想像で盛り上がるおっさん達。悪かったな彼女できた事がなくて。「彼女は今は居ません」と過去に居たような口ぶりで押し通した。嘘はついていないからな。うん。
しかし、あのおっさん達は既婚者だろう。既婚者がキャバクラではしゃいで恥ずかしくないのか。その姿を奥さんや子どもに見せられるのか。若手社員にセクハラ発言、執拗に交際関係について勘ぐるのは男相手であってもセクハラであろう。実際に俺は言われて嫌だったし。まあ女性社員に言わないだけマシか。阪本さんが同じような事聞かれていたら助けてあげないとな……。あー疲れた。
バタリとベッドに倒れ込む。ひたすらに眠い。シャワーは起きてから浴びればいいか。月曜日からこんな時間まで飲み会とは嫌な会社だ。定例飲み会というまるで会議の様な名前が付けられたこの会合は月に一回のペースで行われている。
正直に言って入社半年でもうこの会社には疲れた。俺が配属になった支社は縁もゆかりもない地域だし、手取りは月13万円しかないし、上司は木村だし、もう辞めて地元の東京に帰ろうかな。でも辞めた所で次の仕事がすぐ見つかるとも限らないし。あーあ、考えるのも疲れた。今日はもう寝よう。そうしよう。
俺は眠りについた。
心地よい目覚め。まるで木陰で寝ているかのような爽やかさ。こんな目覚めはいつ以来だろう。社会人になってからはここまでぐっすり眠れた日は無かった。ん? ぐっすり?
俺は慌てて目を覚ます。やばいやばい! ぐっすり眠れたという事は寝坊したという事ではないだろうか! 上体を起こそうとしても飛び出た腹が邪魔で起き上がれない。
嘘だろ……。確かに昨日の一次会は料理が美味しくて食べ過ぎてしまったが、一晩でこんなに太るものなのか!? それより時間だ時間! 俺はスマホを探すために枕元に手をやった。しかし、草の様なものが生えているだけであった。え? 草?
しっかり目を開け辺りを見回してみると俺は森林にいた。
こ、ここはどこなんだ。よく思い出せ。ちゃんと家まで帰った事は覚えている。その後はベッドで寝たはず。まさか夢遊病か? 寝ている間に森林まで歩いてきてしまったのか……。いや、俺が住んでいるのは郊外とはいえ住宅地だ。少し歩いたくらいでここまで鬱蒼とした森に辿り着くはずもない。どういう事なんだ……。
パニックになりながらも俺は自分自身の異変に気付く。そういや腹が出ているのもおかしいだろう。少し食べ過ぎたくらいで標準体重の俺が……!? やはり腹は出ていた。
それだけではない。俺の格好が身に着けていたはずのスーツではなく、山賊の様なぼろ切れでありそれに加え刀まで装備していたのである。
わけが分からない。もしや誰かのイタズラか? 昔テレビのドッキリ番組で起きた時にVRの世界にいたら人間はどんな反応をするのか、という質の悪い企画を見た事があった。そんな悪ふざけをする知り合いは近くには居ないが、もしかするとそうかもしれないと思い自分の顔を触ってみても、VRゴーグルがある代わりに長く伸びたヒゲがあるだけであった。ヒゲ?
俺はそこまで毛が濃い方ではない。ヒゲ剃りも数日に一回すれば目立たない。昨日の朝に剃ったばかりであったので、ここまで伸びるわけがない。そもそもここまで伸びた事がない。ますます俺はパニックになった。
辺りをもう一度見渡してみると左の奥の方に池があるのが見えたので、水面に映った自分の顔を見てみようと思った。
池へ向かおうとするも身体が重い。更には尾てい骨の辺りも痛む。這いつくばるので精一杯であった。関節もぺキペキ音を鳴らしている。どうなっているんだ。
やっとの思いで池へ着く。一呼吸置いてから顔を伸ばし水面を見てみる。そこに映っていたのは……。
「俺おっさんになってる!?!?!?」