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向日葵のセントラル・ドグマ  作者: 史澤 志久馬
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向日葵のセントラル・ドグマ

「なあ、セントラルドグマって言葉、めっちゃカッコええと思わへん?」

 休み時間に俺の睡眠を妨げたのは、元気の良い女子の声だった。返事する声は聞こえない。相手の子は俺に気遣ってくれたのかもしれない。

 まあ、別に起きたのならそれはそれで良い。俺は枕にしていた英語の辞書を机の中にしまい、時計を確認しようと顔を上げた。途端にかわいい女子の顔が目に入る。

 自分の正面に立っているなんて、余程暇なのだろう。時間割を確認すると、五限は英語だった。せっかく片付けた英語辞書をまた机の上に出し、教科書を探る。

 ふと前を見ると、例の女子がまだこちらを見ていた。何かを期待するように、じっと俺の目を見つめる。

「ひょっとして、俺に話しかけとる?」

 俺が自分を指で差すと、女子は嬉しそうにぶんぶんと頷いて、質問を繰り返した。

「セントラルドグマって言葉、めっちゃカッコええと思わへん?」

「せんとらるどぐま?」

 聞いたこともないが、確かになんだか強そうな名前だ。

「なんか、魔物かなんかの名前?」

「へっ?」

 俺はてっきりゲームか何かの話だと思ったのだが、違ったようだ。

「いや、遺伝情報がDNA、RNA、タンパク質の順に伝達されるのは全ての生物に共通しとって、その考え方のことなんやけど……、」

「んんん?」

 首を傾げた俺に、彼女はニカッと笑った。

「生物の用語やねん。そう、魔物みたいな名前やろ?日本語訳したら『中心教義』になるらしいけど、こんなにカッコいい名前つけんでもなあ。」

「……へえ。」

 理解したから理解していないか曖昧な気持ちで相槌を打つと、彼女は満足したように去っていった。また女友達とたわむれ始める。

 なんだったんだ、今のは。

 わざわざ寝ている奴を起こして言うことでもないし、そもそもあんな奴クラスにいたかも定かではない。授業が始まると俺の三つ前の席に着いて、初めて彼女がクラスメイトであることを発見したくらいだ。

 ただ一つだけ言えるのは、俺は睡眠を妨げて訳の分からない言葉を投げてきた、あの彼女の笑顔に、虜になってしまったという事だった。




それから数週間経った帰り道の事である。俺は学校の駐輪場から易々と自転車を出し、彼女が苦労して自転車を出すのを見守っていた。学校の駐輪場では、早く来た人ほど奥に留める。だからいつもギリギリに登校する俺は手前にある自転車をすっと出せるのに対して、早々とやって来る彼女は帰る時に苦労するのだ。特に今日は、隣の自転車が引っかかって出せないらしい。

「おい、ちょっと貸せ。」

 余りにも時間がかかっているので、俺は仕方なく自分の自転車をとめて、彼女を手伝ってやった。

 もうそのまま乗れるくらいの場所まで彼女の白い自転車を出すと、彼女はニカッと微笑んだ。

「ありがとう!大平君って、優しいんやね。」

 彼女の素直な感謝と笑顔に、俺は不覚にもどきりとしてしまった。

「そんなんええから、早よ帰るで。」

「はーい。」

 こんな風に、つい1ヶ月前までは名前も知らなかった彼女と帰り道を共にするまでに、大して色々あった訳ではない。あの日から、彼女はなぜか俺に生物の話をして来るようになった。そして帰宅部だった俺をなぜか生物部の部室に無理矢理連れて行き、なぜかウズラの飼育係に任命したのだ。

 そして、部活の帰り、帰る方向が一緒だとわかった瞬間、彼女ら嬉々として自転車を並べて漕ぎ、その間ひたすら生命の神秘について語られることとなったのだ。ちなみに、自転車を並べるというのは、もちろん横にではなくて縦にである。横に並べたら、道路交通法違反で下手したら補導されてしまう。

「えーっと、どこまで話したっけ。そう、突然変異が起こった個体は、生存に不利なことが多いから子孫を残しにくいねん。もちろん突然変異が起こってもピンピンしとるやつもおるけどな。」

 彼女は自分の後ろからしゃべってくる。自転車一台分離れて縦に並んだ人に聞こえなければならないので、かなり大きな声だ。

「でも逆に、突然変異が起こった方が生存に有利になった例もあって。分かりやすい例では、あるイギリスの工業地帯では、オオシモフリエダシャクっていう蛾のうち、突然変異を起こしたやつが増えていったねん。何で突然変異型が多く生き残るようになったんやと思う?」

「ええ……。」

 彼女はこんな風に、急にクイズをぶっ込んでくる。相手は俺が答える事など微塵も期待していないのがわかっているので、俺も考えるふりをするだけだ。

「正解を教えてあげよう。この蛾はもともと幹が白い木に止まって休むから、白っぽい色の個体が生存に有利やったねん。でも、工場から出る煤煙とかで、木の肌が黒っぽくなるやろ?そしたら、突然変異型の黒っぽいやつが天敵に見つかりにくくなって、結果生存しやすくなったねん!」

豆知識を披露した後の彼女は、いつもそれはそれは得意げな、かわいらしい笑顔を見せる。今は自転車なので確認できないが、そんな顔をしているのだろう。見られないのが残念だ。

「へーえ、すごいな。」

「やろ!面白いやろ!大平君も、理系生物選択にしよう!」

「残念ながら、俺は文系のまま貫く予定やから。他を当たって。」

「もーう、冷たいなあ。」

このやり取りも、いつもの事だ。俺は毎回興味のないふりをしながらも、彼女の話に惹かれていくのは事実だった。

「おーい、大平君、どこ行きよん。曲がる場所間違えよるで。アホちんやなあ。」

「ああ、ごめんごめん。ぼーっとしとった。」

毎日通る道を間違えるなんて、俺も余程ぼーっとしていたようだ。俺は気を引き締め直し、安全運転で自転車を走らせて行った。

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