第六話 ヌキちゃんとムネっち
生きているという実感を強く味わいたいと思春期の頃からずっとそう思っていた。
自分が生まれてきた意味や意義といったものにこだわり、そういうことをテーマにした文学作品を手当たり次第に読み漁ったこともあった。
そのようなことを考えるとはまるで男の子のようだと評する人もいた。殴った。
その思いは学生時代になっても変わらず、しかしながら具体的な行動に移せないでおり、自分の才能は信じていながらも何もできないことに苛立ちを覚えることもあった。
そんなさなかに騎士団からスカウトが来たのである。
「で、その話、ヌキちゃんは受けるの?」
居酒屋の個室で対面の席の森宗成が歯で砕いた焼き鳥を飲み下すなり訊いてきた。その声の様子にはどこか正気を疑っているようでさえあると環樹は思った。その目つきもそうだと言っているようである。
ヌキちゃんというのは、環樹がタヌキに転化して、いつの間にか「タ」が抜けてしまったことでできたあだ名だった。
「受けてみようかと、思ってる」
「本気……?」
自分が興奮して正常な判断ができなくなっているのだと思われていると環樹は直感した。そんなことはない、よくよく考えての決断だと言葉を尽くして言いたいが、多言は言い訳めいているかと思い、
「私がどういう人間かくらいわかるでしょ」
とだけ言った。
「かっこいいね、ヌキちゃんは」
「あ、馬鹿にしてる」
「してねえって。本気だよ。ヌキちゃんこそ俺がどういう人間かくらいわかるでしょ」
わかる。宗成は出会った頃から自分に好意を抱き続けていることは何となくだが感づいていた。いつの日か好意の告白をしてくるときがくるのだろうが、大事な友達という関係がうしなわれることを考えるのは憂鬱なので敢えてそのことは意識しないようにしていた。宗成は環樹にとって都合の良いことばかり言う。そういうずるい関係をずるいとわかりつつ維持しようとしていたところは自分の中の大きな矛盾ではあった。
「ヌキちゃんはいつも真剣で、自分のことを真面目に考えている」
そんなことはない。宗成が思うほど立派な人間ではない。そんなことはわかってはいるが、その言葉の心地良さについつい身をゆだねてしまう。
だから、
「ムネっちこそ将来のこと考えなよ」
などと言ってしまう。ムネっち、とはもちろん宗成のあだ名である。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「何を?」
「俺、就職決まってるんだわ」
自慢げに言ってきた。
「マジで? 聞いてない」
「あれ~言ってなかったかな~?」
わざとらしく宗成はおどけてみせた。話を聞くに、そこそこ大きな会社の営業マンに内定があったらしい。
「絶対いままで敢えて黙ってたんでしょ! ここぞというタイミングで自慢するために!」
「はは。ばれたか」
宗成が歯を見せて笑ってみせた。
「ったく。
じゃあ、お互い進路がはっきりしたってことだね」
「ああ。ヌキちゃんのこと、俺、応援してるからさ、頑張れよ。
命懸けの仕事だろうけど、ヌキちゃんが自分のこと大事にする限り応援続けるわ」
「こっちも応援するよ」
気持ちが盛り上がったので、グラスをぶつけて乾杯をした。
噂というものは自然と本人の耳に入ってくるものらしい。
環樹は最強の超能力者だという話が訓練生たちの間だけでなく本職の騎士たちにも口にされていると訓練生になってしばらくたった環樹は聞いた。
(そんなこと言われて、自信ついちゃうね)
そういうふうに言われることを自慢に思っていたし、それを隠そうともしなかった。そのため生意気だという噂も耳にしたが、そんな言葉くらい無視できるという、それくらいの気持ちの強さはあると思っていた。
だから、狩野光一という同期の男がガイノイドの姉妹を操りながら戦うというスタイルだと聞いて、つい鼻で笑ってしまった。
「いい歳してお人形さん遊び?」
誰にも遠慮することなくそう言った。それを言うのに充分な能力が自分にあると信じていた。
だから訓練生から本職の騎士になっても先走って行動することが多かったし、そういう行動を取っても確実に成果を出しているという自負があったから、行動を改めることはなかった。
「杉村君には言っておかねばならないことがある」
と騎士団長の柳本快に言われたので、本部のブリーフィング・ルームに二人で入る。出入り口のドアを閉めるなり、
「君はずいぶんと一人で先走って行動することが多いと聞いている」
その話ですぐにわかった。チームワークが大事だという話だろう。お決まりの型にはまったお説教に耳を傾ける価値はないと判断し、顔だけ真剣な顔をして聞き流す。
実際のところやはりチームワークについての説教だったが、
「君がそうして真面目に聞いているふりをしていることくらいはわかっている。
だから言っておく、いずれ君はチームワークに負ける」
捨て台詞の類だと心の中で断じた。
だが、
「君と同期の狩野君がいるだろう」
「ええ」
「彼はチームワークを大事にしながら、君に次ぐ成果をあげている。
このことからどういうことが考えられる?」
「チームワークをすれば実力以上の成果が得られる、ということです」
内心馬鹿にしている男の名を引き合いに出されて苛立ちを覚えるが、こらえた。
「その通りだ。
チームワークも個人の実力も、確かに結果を達成するための手段に過ぎないし、杉村君が個人の実力のほうを重視するというのも、君のその能力の高さからわかりはする。
しかし、もしチームワークを軽視した結果でピンチに陥って、チームに迷惑をかけるのであれば、責任の取りようがないではないか」
そんなことを言ったところで、現に環樹は追いつめられたことはない。だからその言葉は刺さってこない。
「今日のところはこれぐらいにしておく。
良いか。繰り返すが、君は必ず、チームワークというものに敗北する」
苛立ちを見せながら快は退室を命じてきた。それは快の捨て台詞だと感じた。
しかしながらついに屈辱を味わう日が来てしまう。
光一がついに環樹と同等の成果に達したのである。
もちろんこの世ならざる獣との戦いはその機会があるかどうか運次第という面は否定できないが、それにしたところで悔しさは感じてしまう。
だから、近々に騎士団に新しいチームを結成すると聞いたときは、そのリーダーになりたいと強く望み、周囲にもそれを隠さなかった。
「その実力がある人間がリーダーになる。それが当然のはずですよね」
そう言ってますます成果を意識するようになり、独りでの戦いを続けた。現在所属するチームの人間関係は最悪と言えたが、気にしなかった。
そんな環樹の努力もむなしく新チームのリーダーは光一が務めることになり、さらに屈辱的なことに環樹がその下につけられることになったのである。人事担当者への殺意を覚えた。
いいだろう、騎士団の考えがそういうつもりであるというのならば、と、
「まず言っとく。
私は勝手にやらせてもらうからね」
と、組んだ初日にブリーフィングルームで光一に宣言した。
「なんだテメエずいぶん勝手なこというじゃねえかよ」
狂犬めいた発言をしたのは光一が操るガイノイド姉妹の妹であるアイだった。
姉のレンのほうはというと、
「ダメだよアイちゃん、こういう子は直接はっきり言うよりもチクチクいびってやるほうが効くんだから」
などとこちらに聞こえよがしにしつつ妹に囁いている。
この姉妹はしょせん光一のペットのようなものだから、犬が吠えているだけのことと無視しつつ、うろたえている様子で何も反論できないでいる光一に対しては、
「私が勝手にやることで自動的に成果が上がるんだから、ウィンウィンの関係だよね。
ということで、よろしく」
軽く頭を下げて手を振ってブリーフィングルームから退出した。
「そっか。
ヌキちゃん、新しいチームに配属になったのか」
久しぶりに居酒屋で宗成と飲酒を席を共にした。
「そ。
でもさあ、リーダーの男がすっげえ情けない奴でさあ……」
愚痴り気味に言葉を並べる。そんな環樹に、
「なるほどなあ、そんな奴がリーダーだったら、自分の判断でやるしかないよなあ」
と宗成は同意を示してくれた。宗成はいつも欲しい言葉を口にしてくれる。
しかし、ほんとうにそんな言葉が欲しかったのだろうか。一瞬だけそう思い、微かに感じる罪悪感に胸がちくりとする。そんなことを考えてはいけないと慌てて頭からその考えを振り払った。
「俺も主任に言ってやりたいよ、『あんたのやりかたじゃ成果はあげらんねえよ』ってさ。それができてるヌキちゃんは凄い」
宗成はビールをあおった。
そうしていっときは盛り上がった話もだんだんと尽きてきたころ、
「あのさ、ちょっと大事な話があるんだ」
と言われた。
(ああ、ついにこのときがきたんだ)
と察し、落ち込んでしまう。
「豊尾大橋のほうに涼みに行こう。
そこで話がしたい」
豊尾大橋とはこの街の真ん中にある大きめの橋で、真ん中からは綺麗な夜景が拝めると評判の場所だった。
居酒屋を出て少し歩き、豊尾大橋にたどり着く。
「涼しいねえ、夜風!」
環樹は横に並ぶ宗成に微笑みかけた。宗成は返事をしない。どうもそれどころではないといった感じの表情をしており、まったく余裕がなさそうだった。
「ムネっちも、仕事が順調そうで良かったよ。
ほんとうのところ、ちょっと心配だったんだ。
ムネっちってさ、ちょっと詰めの甘いところがあるじゃん?
だから……」
言葉を続けようとしたが、宗成は途中で立ち止まってしまい、環樹は数歩先に行ってしまう。
「ムネっち?」
「あのさ、ヌキちゃん……。
大事な話があるんだ」
「うん」
「俺、俺は……」
言いあぐねている様子に、内心では、
(また今度にして欲しい)
と思いつつも、待った。
宗成は数度深呼吸し、こちらの両肩を掴んできた。
「ヌキちゃん、好きだ。
俺と、恋人として付き合って欲しい」
とうとう言われてしまった。
恋愛対象としてはまったく見ていない男だったが、いつの日かこういうことになるとは思っていた。それでもこの日に向けての覚悟はしていなかったし、したくもなかったので、言葉は用意していなかった。だから、
「……うん。ありがとう。
でも、返事は、じっくり考えてからにして良い?」
宗成はがくがくと頭を縦に振った。
とうとう都合の良い友達関係は終わってしまったのである。
(嘘……っ!)
この世ならざる獣が自分の正面から真後ろに空間転移し、環樹は振り向くのも間に合いそうにない。
四角い箱から毛むくじゃらの足が一対生えたような形をした獣は、環樹の背後で猛烈な攻撃の気配を漂わせてくる。濃密に死のにおいが漂う。
初めての新チームでの戦いだったが、環樹はいつも通りに作戦を聞かずに先行して攻撃に向かい、獣をビルの陰に追いつめた。振動波を発しながら物質を砕いてくるのが主な攻撃方法だったので、戦いかたは単調だと見て、バリアを張りつつ地形を利用して追いやったのである。
油断はしていないはずだった。
だがテレポーテーションは予想外だった。人間には絶対に不可能と言われている能力で、いくらこの世ならざる獣とはいえそれほどの力があるとは思えなかったのである。
ここで死ぬのか。
死ぬとしたら結局そこまでの命だったという覚悟をしていたはずだった。そのはずだったのに、結局自分はほんとうになすべきことをなしたのかという疑問に襲われた。
「いやだ……っ」
我知らず口に出していた。
その次の瞬間、真横に吹き飛ばされた。
(蹴られた?)
そのような衝撃だった。衝撃を発した正体を確かめようと、地面に転がりつつそちらを見やると、レンが獣に対峙していた。環樹を守るようにバリアを張っているようである。
獣はレンに意識を向けて箱の部分の色を赤と青に点滅させる。振動波を発しようとしているのである。
「シッ!」
息を吐くような声がビルの上のほうから聞こえた。アイが落下しつつテレキネシス・ブリットで獣を撃っていたのである。
獣はどちらに意識を向けるべきかというような戸惑いを見せた。
そこへ、
「燃えろぉぉあああッ!」
絶叫しながら光一がビルの向こうからパイロキネシスで炎の塊を形成して投げつけた。獣にぶつかるなり爆発して、バリアを張った姉妹ごと火柱に包む。
炎が収まった後に、炭と化した獣は風にその身を溶かすように少しずつ崩れながら消えていった。
気がつけば、環樹はしりもちをついた格好でその光景を見上げていた。
「はは、情けない格好ですね……」
こちらに歩いてくるレンが鼻で笑う。
黙っていると、
「助けられてお礼も言えねえのかよ!」
とアイが駆け寄ってきてすごんでくる。
ところが光一がこちらにやってきてアイの肩を掴み、
アイ、レン。
少し下がってろ」
命じて、姉妹が従うなりこちらを向いて、
「淋しいのか?」
と訊いてきた。
まるで場違いなことを言われ、意味のわからなさか何かに苛立ちを覚えた。
「どういうことよ」
「ごめん、ちょっと言葉を間違えた。
淋しいっていうか、誰も自分をほんとうには認めてくれていないように感じていて、何より自分で自分を認められなくて、それで寂しさに似た気持ちになっているんじゃないか?
違ったら謝るけど……。
でも、成果を出して認められたい、それしか方法がないって思っているんなら、その能力を、チームに頼ることで何倍にも高められるはずじゃないか。チームワークってことで。
ならさ、利用しない手はないんじゃないか。
チームワークという言いかたが嫌だというのなら、俺たちの力を利用するって考えることはできないか?
それとも俺たちは利用するに足りない?」
「そんなこと、わからない、よ……」
うつむいてしまう。
「ごめん、くだらないこといった。
忘れてくれ……。
撤収しよう」
光一はそう言った。
姉妹と斧をトラックの荷台に乗せ、光一の運転で本部に帰る。
そのさなか、環樹は今更ながら猛烈に苛立っていた。グローブボックスを殴りつけたい気分だったが、かろうじてこらえた。まるで心の奥をまさぐられたかのような不愉快な気持ちのその理由は光一の言葉のせいに違いなかった。
モバイルを何気なく手に取る。
宗成から返事の催促のメッセージが来ていた。
「まだ考え中」
とだけ返した。
そのような中途半端な気持ちの中にあったのにもかかわらず、次の戦いを終えたときに光一にキスをしてしまった。
それは苛烈な戦いを終えて自分が生きていることを実感しようと自然にしてしまった行為だったのだが、そのようなことができてしまったのは、
(私、狩野さんのことが、好きなのか……?)
ということだった。そのような気持ちを自覚してしまえば内心うろたえるばかりだったが、それは自分らしくないと表面上はなんでもないことのように装った。ことここに至って今更自分らしさと言える確たる何かがあろうとは思えないのではと考えはしたものの、自分をごまかさざるをえなかった。キスを突然するなど今までの自分らしさから遠く離れているのではないか。
その気持ちを自覚してしまった以上はこれ以上宗成に対して返事を先延ばしにするわけにはいかない。宗成のアパートの部屋に直接おもむく。中に招じ入れられ、カーペットの上に座り込む。
宗成は椅子に腰かけ、まるで就職面接をするかのような姿勢の正しさでこちらの言葉を待ち構えていた。
「あのさ、ムネっちへの返事だけど……。
ごめんなさい、ムネっちとは付き合えない」
言うなり宗成はしばらくの間硬直し、そして長く息を吐いて、
「そうか……。
俺じゃ、だめだったか……」
その言葉にうなずくとまるで傷口をひろげるようだったので、理由めいたことを探して口にしたのは、
「実は、好きな人ができたんだ」
ということだった。
「は?」
宗成の表情が一変した。その表情はまるで激怒しているようだった。
いや、実際激怒しているのか、
「どういうことだよお前」
「どういうこと、って」
その変化についていけず環樹はうろたえた。恐怖さえした。
「俺が、好きだ、って告白したのに、ほかに好きな人作ったってことだろ。
それっておかしいだろ」
何を言っているのかわからない。
「俺への返事をするまではほかに好きな人を作らないのが礼儀ってもんだろ!」
「ふ、ふざけないでよ!
私がいつ誰を好きになったって自由じゃない! ムネっちと付き合ってるわけでもないのにどうしてそんなこと言われなきゃならないの?」
「ふざけてんのはお前だ!」
宗成が立ち上がると勢いで椅子が横倒しになった。
「俺は、ずっと、ずっとお前のことが好きだったんだ……!
それなのに、それなのに!」
覆いかぶさってくる。とっさのことだったので反応できず、押し倒されるのを許してしまった。
「一般人相手に超能力は使えないだろ。
おとなしく俺のこと好きって言えよ!」
「誰が……っ」
環樹は素早く体勢を入れ替え、宗成をひねり上げた。
超能力だけが自分の戦闘能力ではない。
「痛え!」
「今ならなかったことにしてあげる。
だから、身を引いてよ……!」
宗成は何度もうなずいた。涙を流していた。その涙を見るなりいたたまれなくなり、環樹は部屋を逃げ出した。
ついに、壊れて、しまった。
「ああああ、あああああ!」
最早泣くしかなかった。
テロリストに挑発されてそれに乗っかってしまい、結果として大きな被害を出してしまった。
その涙を黙って見つめているのが、自分が好きなはずの光一という男だった。
あのとき環樹の心をかき乱しておいて、この肝心なときには言うべき言葉を見つけられないでいる。ほんとうに自分は光一が好きなのだろうかと疑いさえする。
その疑いが晴れたのが、王の姉である紅亜の旅に同行することになってからだった。
光一は最近になって環樹の知らない女性と仲良くなったらしく、モバイルでメッセージをしょっちゅうやり取りし始めている。
環樹はまぎれもなく嫉妬していた。憎まれ口をきいて、あてがわれたホテルの部屋に戻るなりクッションに連続でパンチをお見舞いすることとなったのである。
旅から戻れば光一と謎の女の関係は一気に進展するのではないか。今まで会えなかった分の気持ちの盛り上がりが怒涛となって愛の領域まで達してしまうのではないだろうか。
そんなことは許せないと思う気持ちがある一方で、自分に光一に対して好意を示す資格があるのかどうかを疑う気持ちが生じる。
あれだけ光一を否定し続けた自分が今更どの面を下げて付き合いたいなどと言えるものか。そのようなことが礼儀上許せるはずがない。
果たしてそんな礼儀が存在するのだろうか。気持ちに変化が生じた以上自分の方針は転換して正直に生きなければならないのではないか。
光一に言われた通り、確かに自分は淋しいのかもしれない。
その淋しさを埋めてくれる存在がいるとしたなら、それは光一を置いてほかにはいないはずである。
その夜は紅亜の主導のもとでエーテル・コープスの鎮魂の儀式が行われる。
しかしその儀式のさなかにこの世ならざる獣が出現した。
その戦いに勝利しホテルに引き上げたのだが、戦闘の興奮で気持ちが高ぶり、
(告白するなら今しかない、今の勢いのまましかない!)
という気持ちになってしまった。
光一の部屋のドアをノックする。
中から返事があり、しばらくして光一がドアの隙間から顔をのぞかせた。
「杉村さん?」
シャワーを浴びた後らしく、ほのかに肌が上気していた。もっともこちらもシャワーを浴びてきている。それなりの覚悟をしているのである。
「寝ないのか? こんな時間に……」
「ちょっと話があって……。中に入れてくれる?」
怪訝そうにしながらも光一はドアを大きく開けてくれた。
光一はベッドの上に腰かけ、
「話って何?」
と、こちらが椅子の上に腰を下ろすのを待ってから口にした。
「お人形さんたちは?」
念のため確認する。人形とはもちろんガイノイド姉妹のことである。
「トラックの棺桶の中にいるけど……。あいつらに用があるのか?」
「そうじゃなくって、二人がいると話せないから……」
「はあ」
光一の気の抜けた相槌に環樹は気勢が殺がれそうになったが、
(覚悟をきめてきたから、だから……!)
と、膝の上で拳を握りしめる。
「あのさ……」
「うん」
「好き、なの」
自分で発した言葉に即座についにという達成感とやってしまったという後悔が生じた。口にすると決めていたはずなのに心の芯は揺らいでしまう。
それなのに、
「何が?」
と光一は首を傾げた。
「何がって……、そんなの、決まってるじゃない!」
おさえが効かない気持ちに突き動かされて立ち上がってしまう。
「狩野さんのことだよ!
あんたが、好きだって、言ってんの!」
指先を突きつける。指先がぷるぷると震えてしまうのが憎い。
「え……。うぇえええっ?」
上体をのけ反らせて光一が慌てふためいている。
「ちょっと待て。
それは、俺のことが好きだってことか?」
「そうだって言ってるじゃない!」
両の拳を振り上げて思い切り下ろす。
「だから、付き合って欲しい……っ」
その言葉に光一は黙り込むが、こちらから目をそらしはしなかった。
光一がようやく口を開き、
「これから、ちょっと傷つけちゃうかもしれないことを言う。聞いてくれるか」
そこまで言われた時点で答えはわかった。だが最期まで聞く義務があるように環樹は感じていた。視界がにじむが、
「うん」
とうなずいた。
「その前に、まずは、ありがとう、って言うのも変だけど、俺に対して勇気を持って告白してくれたの、嬉しい。うまく言えないけど、ほんとうだ。
だけど、俺には、好きな人が、いるんだ……」
なけなしの声をかろうじてしぼり出したような声で光一は告げた。恋愛ごとで人を傷つけるつらさに耐えかねているかのようである。
「うん。
わかってる。
わかってて、告白したんだ……、私……」
そこまで言って、場の重みに耐えかね、環樹は光一の部屋を脱した。
「杉村さん?」
後ろから投げかけられた呼ばわりに、しかしながら環樹は応じられない。あのときは見せた涙を、今は見られたくなかった。だから、自室に戻るなり、以前存分に殴りつけたクッションに顔を押しつけて、一晩中泣いた。
ほとんど眠れなかった。
昨夜に急に環樹から愛を告白され、疲れているのに睡魔が吹き飛んでしまった。
断るには断りその場で決着はついたはずだが、これから気まずくなるだろうという予感は捨てられない。
顔を洗い、ガイノイド姉妹を棺桶から出してやってからレストランにおもむく。
既に環樹がテーブルについていて、こちらに手招きをしてくる。
瞬間的に、
(逃げたい……)
と思ったが、そのような気持ちを引きずり続けることはできない。腹の下に力をこめ、環樹の席の向かいにガイノイド姉妹と一緒に着く。
決まり切った朝食のメニューが運ばれ、口にし始めるなり環樹が、
「私、決めたから」
「ななな何を」
つい言葉がおかしくなってしまう。くすり、と環樹は笑みを見せ、
「私は自分の思うとおりにやって認められたい」
「あんた、まだそんなこと言ってんのかよ!」
アイが既にもう何個目か知れないパンをほおばりながら叫んだ。
「懲りない人……っ」
レンもわなわなと震えている。
「だけど、自分が認められるために、私の生の実感のために、あなたたちを利用させてもらうからね……!」
「杉村さん……」
どうやら何か吹っ切れた様子の環樹に光一は、
(強いな、杉村さんは。
いや、強くなったのか?)
そう考えつつ、うなずいた。
その両隣でレンとアイがこちらと環樹の顔を何度も見比べ、怪訝そうな顔をしていた……。