第2話 聖国軍兵士
――爆発した。
そう思った時には、アルマはすでに檻の外へと投げ出されていた。
次の瞬間には、彼女は水の中へと落ちた。
水の中はそこそこ深く、人が完全に沈むには充分な深さだった。
息苦しくなったアルマは、水面へと上がろうとする。アルマはキャルトだが、普通に泳げる能力はあった。しかし、体が思う様に動かない。
先程の爆発による衝撃や、高い位置からの落下によって水面に叩きつけられたからだろうか。彼女は軽い脳震盪を起こしていたのだった。
アルマは上手く泳げないままどんどん水の底へと沈んでいく。
ついには息が切れ、肺が空気を求めて呼吸をしようとする。それによって、一気に水を肺の中に送ってしまう。空気の無くなった彼女はさらに沈んでいき、意識が遠ざかっていく。
このままだと、彼女に待っているのは死だった。
しかし、アルマが水面へと伸ばした腕を掴み取る者がいた。
アルマの腕を掴んだその屈強な腕は、その片腕だけでアルマを一気に引き寄せる。
彼女を引き寄せたのは、オークの大男『ガルディア』だった。
ガルディアはアルマを抱き寄せると、一気に水面上へと上がる。そして近くの陸地にアルマを引き上げると、すぐさま彼女の胸を両手で圧迫する。
すると、それに合わせて彼女の口から水がふき出す。
ガルディアはそれを何度か繰り返す。何度目かにしてアルマは咳込みだし、自ら水を吐き出した。
「――ゴホッ! ゴホッ!! カハッ、ハッ、ハァッ、ハァーッ、――ゴホッ、ゴホッ!!」
「アルマ! 意識が戻ったか!!」
アルマはガルディアに支えられながら、両手両膝を地面に付いて水を吐き出しながら必死に呼吸をする。
そして、徐々に彼女の呼吸は整っていった。
「ハァ……ハァ……」
「大丈夫かアルマ? どこかケガはしてないか?」
「……だい、じょうぶ……よ」
ガルディアは彼女が怪我をしていないか心配になり、探そうとする。
だが、アルマはそれを手で止める。
「け、怪我をしている、ところは、ないわ。だい、大丈夫よ……ありがとう」
「そうか……なら、良いんだが」
ガルディアはアルマが無事な事を再確認すると、安心したのかその場に座り込む。
しかし、すぐさま立ち上がり。急いで先程までアルマが溺れていた水辺へと向かっていた。よく見るとそこは川だった。
「ガル……ディア? 貴方、どこに行くの? そっちは……川よ?」
「あぁ、分かっている。俺は今から、まだ生きている人がいないか探してくる。……ん? これは?」
ガルディアは何かを見つけると、拾い上げてそれをしぼり始める。
それからアルマの元へと駆け付け、彼女に何か布のような物を渡す。
それは、寒さをしのぐための毛布だった。
聖国軍の物であろうその毛布は濡れて湿っているが、羽織れば少しは防寒として使えるだろう。
「濡れてはいるが無いよりはマシだろう。アルマ、すまないが少し待っていてくれ。すぐ戻る」
そう言って、ガルディアは駆け足で川へと向かい。川の中へと消えていった。
アルマは仕方なく、ガルディアに言われた通りに待つことにする。
アルマは、ガルディアに渡された毛布を確認してみると。それは完全には濡れてはなく、まだ毛布として充分に機能する状態だったので、アルマはそれを羽織る。
その濡れた体を1月の夜空の下で何もせず放置していたら、確実に体調を崩してしまうからだ。
毛布を羽織ったアルマは、そのまま水辺へと行く。
その川は、緩やかに流れており静かなものだった。あまり揺れていない水面を覗き込んだアルマは、大きな怪我がないか自身の姿を見る。
ガルディアには怪我は無いと言ったが、本当は檻に入れられる前に聖国軍兵士に頭部などを警棒で殴られていた。なので、先程の爆発の事も考えて念入りに確認する。
羽織っている毛布をずらし、アルマが水面を覗き込む。
そこには、とても華奢な体が映し出された。
その体は、ちょっと強く触れただけですぐに壊れてしまいそうで、アルマ自身も「よくこれで生きてこれたものだ」と思っていた。
アルマは、おおまかに体全体を見る。ぱっと見たところ、外傷は見つからなかった。なのでアルマは、今度は更に細かいところまで見る為に、頭からじっくりと確認していく。
まず目に入ったのは、頭に生えている黒い猫の耳だ。
この猫の耳は、キャルト特有の耳でどの種族よりも優れた聴力を持っている。この耳のお陰で、アルマは危険にいち早く気がついて、何度も危機を避けてきた。
まだ耳鳴りがするが、きちんと両方ついており。耳を伏せたり、ピンと立てたりして動きを確認してみるが特に痛みとかは無かった。
左耳だけ先端が二つに裂けているが、アルマはこれといって気にしていなかった。
アルマは、耳から下を見る。
そこには若い頃の祖母そっくりだと言われた、癖毛のある黒髪が腰まで伸びていた。普段は後ろ姿を隠す様に広がっているのだが、今は濡れてまとまっていた。
アルマはそのまま、警棒で殴られたであろう場所を触ってみる。すると激痛が走り、彼女はしばらく固まって痛みに悶える。
触れた手を恐る恐る確認すると、その手には血は付いてはいなかった。幸いにも出血まではしていなかったようだ。
アルマは自分の両目を見る。
母譲りの釣り目と、黄色い瞳。そこにはちゃんと、二つの目があり。両方とも傷も無かった。
本当は黄色い瞳なのだが、どうも光の加減で金色に見えるらしく。アルマ自身は、はっきりとそれを見たことがないのでいつも不思議に思っていた。
それからアルマは、口元も見てみるがこちらも怪我は無かった。
アルマの口は、一般的な女性のキャルトにしては少し長いらしく。大人になるにつれて伸びてしまったその口を、アルマはコンプレックスに感じていた。
だから「君、良いマズルをしているね」と言って来た変態には、彼女は容赦なく殺気を飛ばしたり、平手打ち……ではなく、グーパンチを叩き込んで来た。
アルマは首から下を確認する。
首から下は、全身が毛で覆われた華奢な体があった。キャルト特有で、アルマの体は全身が毛で覆われている。その毛の色は、赤みの入った暗い灰色で、東にある島国では『紅消鼠』と言うらしい。
両手両足の無事を確認した後、最後に尻尾を見る。
そこには父譲りの尻尾があった。父の自慢の細くてスラリとした尻尾は、まるで別の生き物の様にくねくねと動いており、特に問題ないようだった。
アルマは一通り確認してみたが、かすり傷や打撲で特に大きな怪我は無かった。
アルマは怪我が無かったことにホッとする。
だがそこで、アルマは初めて気が付く。「何か焦げ臭い異臭がする」と。
アルマは臭いと、わずかに聞こえて来る喧騒のある方を見る。するとそこには、赤い光が見えた。
川の上に、赤い光がある。
アルマはそこで気が付く、あれは何かが燃えている光だと。
更に目を凝らして見ると。その燃えている物の正体は、川の上に架けられた橋だった。
アルマは耳を澄ます。
すると聞こえてきたのは、人の叫び声と金属が打ち合う音
それは……戦闘音だった。誰かが戦っているのだ。
恐らく戦っているのは、アルマ達を運んでいた聖国軍だろう。橋が燃えているのは、檻の馬車が爆発した時に引火したのだろう。
聖国軍は誰と戦っているのだろう? そうアルマが考えていると、戦闘音は徐々に無くなり。喧騒だけが聞こえてくる。
アルマは嫌な予感がした。
聖国軍が、檻から出た商品を探しに来るのではいかと。
だからアルマは、川から少し離れた林の陰に隠れようと立ち上がる。
しかしそこで、アルマの後ろの森から、誰かが草木を掻き分けながら走って来る音がした。
「だ、誰か!! たす、助けてくれぇッ!!」
そう言って森の中から出てきたのは、頼りのない皮の防具を身に着けた若い人間の男だった。
その男はアルマを見つけるなり、アルマの元まで駆け寄る。すると男は、アルマを盾にする様にしてアルマの後ろに隠れた。
「ちょっと! 何なの!?」
「死にたくない! 頼む! 助けてくれッ!?」
「このッ! 触るな!!」
アルマは自身の両肩を掴んでいる男を、振りほどこうとしていると。男の左腕に『緑のバンダナ』が見えた。
「……緑のバンダナ? 貴方、もしかして……」
この大陸で、その緑のバンダナが意味をするのは――
「止まれぇッ!! 『レジスタンス』!!」
アルマがその名を出そうとした所で、またもや森の中から誰か出て来た。
森の中から現れたのは、白い防具を付けた3人の人間の男達だった。
男達の身に着けている白い防具はどれも統制されたもので。胸当てには、背景色が青色の盾の形をしたエスカッシャンの中に、巨大な有翼を広げた3つ首の白い龍蛇が描かれていた。
アルマの嫌な予感は的中してしまった。
新たに現れたのは、アルマ達を捕えていた『聖国軍』の兵士達だった。
「――! おい! いたぞ! レジスタンスの野郎だ!!」
「ん? ほう、商品の一人もいるじゃないか」
「よし、囲め。逃がすなよ」
現れた聖国軍兵士は、アルマとレジスタンスの男を川辺に追いつめる様に囲むと。剣先を突きつけて、じりじりと詰めてくる。
アルマは湧きあがる殺意を抑えて、冷静にこの場をどう対処するかを考える。
すると、アルマを盾にしているレジスタンスの男が叫ぶ。
「た、頼む! 殺さないでくれッ!? 頼むから!!」
「うるせぇッ!! とっとと投降しやがれ!!」
「ま、まま、待ってくれよ!? ……そ、そうだ!! こ、こいつ! この女だ! この女をやるから俺は見逃してくれ! この女を犯すなり殺すなり好きにしていいからよぉ!? 俺は殺さないでくれ!! た、頼むよぉ……!!」
レジスタンスの男は、自分が助かりたいが為に女性であるアルマを、慰めの道具として差し出してきた。
「こんのクズ野郎が……ッ!」
「ひいぃッ!?」
レジスタンスの男の思いもよらぬ発言に、アルマはギチギチと歯を剥き出しながらその男を殺す気で睨みつける。
聖国軍兵士達は、2人を監視しながら相談する。
「さて、どうする?」
「商品の女は捕まえるとして、男はいらねぇな」
「……よし、分かった。あの手でいこう。おい……道を作れ」
「……ほぉ、なるほど。了解した」
「了解っと。なら、俺に任せな」
聖国軍兵士達は話合いの後、全員が剣を鞘に納める。
「よし、いいぞ。その女を置いて、お前はとっとと行け」
「へっ!? ほ、本当か!?」
レジスタンスの男は兵士達が剣を納めて道を開けるのを確認すると、安堵の顔を浮かべ、次にはいやらしい顔でアルマの耳元で彼女にささやく。
「へへ、わ、悪いなキャルトのお嬢さん。おかげで助かったよ。後は……しっかり可愛がってもらえよ? まぁ、キャルトの女を抱く変態がいればの話だがな! じゃあな!!」
そう言うと、レジスタンスの男はアルマを突き飛ばし、兵士が開けた道へと走り出す。
しかし――
「――って、逃がすわけねぇだろバカがッ!!」
レジスタンスの男が兵士達が開けた道を抜けようとした所で、1人の兵士が勢いよくレジスタンスの男の足を蹴り飛ばす。
引っ掛かけられる様に足を蹴り飛ばされたその男は、地面に顔面から倒れる。
そしてそこに、すかさずその兵士がその男の背中に剣を突き刺す。
何度も何度も突き刺し、レジスタンスの男がピクリとも動かなくなったところで、突き刺すのを止めた。
レジスタンスの男は、体を剣で穴だらけにされて死んだ。
「ハァ、ハァ……はは、バカなやつだな」
「そっちは終わったか? なら、とっととその女を捕らえろ。大事な商品だ、傷つけるなよ」
「分かってる分かってる、大丈夫さ。この女、恐怖で固まってる。縄で縛らなくてもいけるさ」
兵士達は、レジスタンスの男が死んだのを確認したら。今度はアルマを捕らえようと、別の兵士が近づいて来る。
その兵士は、完全に油断しながらアルマに接近する。
それが、命取りとも知らずに。
アルマが羽織っていた毛布が、静かに地面に落ちる。
「へ?」
近づいて来た兵士が、アルマの腕に触れようとしたところで……アルマはその兵士に抱き付いた。
それから兵士の後ろに回した左腕で兵士の頭を後ろに傾け、右手で首筋の防具をずらす。そしてそのまま――
――アルマは、油断した哀れな兵士の頸動脈めがけて首筋にかぶり付く。
「――ッッ!?!? ぎ、ぎゃぁぁぁあああッッ!?」
「んな!?」
「はぁ!?」
アルマの突然の行動に、アルマに噛まれている兵士だけでなく、それを見ていた兵士達も動きが止まってしまう。
彼女はそのチャンスを逃す事なく、捕らえた兵士の首の肉を素早く2度噛み千切る。そして3度目で、兵士の頸動脈をズルズルと体内から引きずり出すと……そのまま噛み千切った。
大量の血が流れる頸動脈を噛み千切られた兵士は、首から「ぴゅー」っという音と共に大量の血を吹き出し。やがて顔を真っ青にして、その場に力無く崩れ落ちる。
哀れな兵士は、首を噛み千切られて死んだ。
アルマは血で真っ赤に染めた口で薄ら笑いを浮かべると、次の獲物を見つめる。
「う、うわぁぁああッ!?」
「な!? おい、待て!!」
アルマに向けられた殺意、仲間の死、そしてその惨い光景からパニックになった兵士の1人が、アルマに向けて剣を大きく振りかぶって斬りかかってくる。
それを待ってたアルマは口元を歪めながら、その兵士に近づく。
パニックになった兵士の剣筋は素人でも読めるもので、アルマはその下手な剣を避けると。大きく振り下ろした事により体重が前のめりなった兵士の足を、彼女の足が引っ掛ける。
そして思いっきり、引っ掛けた足を上に蹴り上げた。
パニックになった兵士は、勢いよく石のある地面に顔からぶつける。
その兵士は、その衝撃からそのまま一時的に気を失った。
アルマはすぐさまその兵士が手放した剣を取り、兵士の首目掛けて剣を振り下ろす。
「やらせるかッ!!」
しかし、剣を振り下ろしきる前にもう1人の兵士に体当たりされてしまう。体重の軽いアルマは、軽々と飛ばされて体制を崩し倒れてしまう。
兵士はそのまま、その体当たりによって倒れたアルマの腹部に目掛けて、加減のない蹴りを何度も入れた。
「あ”ぁ……ッ!? ぎぃッ!」
兵士はそれからアルマを仰向けにして、その上にまたがり。今度はアルマの顔面に、体重を乗せた拳を数回叩き込む。2発、3発、4発とアルマは抵抗する間も無く殴られる。
やがて、アルマはその打撃により体が動かなくなった。
「ハァ! ハァ! よ、ようやく落ちたか!! 手間かけさせやがって……」
「……ぐぅ! こ、ころ……す……ッ!」
「なッ!? しぶといぞクソ猫!!」
最後の力を絞って手を伸ばしてきたアルマを、兵士はもう一度殴り、アルマに怒鳴る。
「おいクソ猫……お前は商品として売るつもりだったがやめだ!! お前は、捕らえたレジスタンスと一緒に処刑してやるからな!!」
その兵士はアルマを縄で拘束した後、気を失っていた兵士を起こし。その後に、アルマを担いで燃えた橋の方へと向かった。
アルマは意識がうすれて行く中で、必ずこの兵士の首を噛み千切って殺してやると、心に決めると。そのまま意識を手放した。