第16話 母直伝『悪行断罪拳』
「う、うわぁぁああ!?」
兵士長の方から男の悲鳴が上がり、ガルディアとリシェス、そして私の3人はその悲鳴の方向を反射的に見た。
兵士長の方に目線を向けると、そこには尻もちをついて兵士長から離れようとしている兵士と、その兵士にゆっくりと近づいて行く兵士長がいた。
兵士長のその手には、真新しい赤い血で濡れた短剣が握られており。兵士長の背後には、心臓を貫かれて大量の血を流しながら息絶えた兵士が倒れていた。
「ま、待って!? こ、ここ、殺さないでぇ!?」
「うふ、ふふふ……そう、そうよ、あれは失敗作なのよ……そう、失敗、失敗よ」
兵士長は尻もちを付いた兵士に跨り、逆手に持った短剣を両手で握って振り上げる。一瞬の間の後に、血で濡れた短剣をその兵士の心臓へと一気に振り下ろす。振り下ろされた短剣は、兵士の肋骨の間を抜けて心臓を貫いた。
心臓を貫かれた兵士は、刺された事にしばらく硬直する。兵士長の目を見ながら徐々に目の焦点がズレていき、やがては瞳孔が開いたままになり光が消える。それに合わせてその兵士からはゆっくりと力が抜けていき、やがては重力に従って体を沈めて息絶えた。
兵士長に一体何が起きたのか理解ができない。自身の最高傑作である召喚魔法が敗れて本当に気が狂ったのかもしれない。こっちとしては勝手に仲間割れしてくれるのは逆に良いが……嫌な気配がする。
「そうだ……素材の数が足りなかったんだ、もっと質の良い素材が必要なんだ……」
立ち上がった兵士長はブツブツと何かを呟きながら、殺した2人の兵士を一か所に集積する。
兵士長は手に短剣を持ったまま、血で濡れた赤い手で魔法の本を開く。手に付いた血が年季の入った本の紙に付着し、赤く染まっていく。
「うふ、これで素材の量はいけるはず……あとは、質の良い素材だけど……あぁ、そうだわ……ふふふ……ここにいたじゃない、〝私〟という素材が……! うふ、うふふふ! 私の優れた大量の魔力と、魔導士として優れた私の血! そして……その私の魂があればッ!!」
兵士長が自らの手首を短剣で切り裂く。
すると、その手首から真っ赤な血がドクドクと溢れて地面へと落ちる。
必要となくなった短剣を捨て、兵士長はそのまま魔法の本へと魔力を込める。今度の魔法は詠唱というものをしていなのにも関わらず、本が魔力の光で青白く輝き、地面には血の魔法陣が描かれる。
そして、またあの〝赤黒い魔力の光〟と〝黒い霧〟が現れ始めたのだ。
再び私の体に悪寒が走り、毛が逆立つ。本能が危険を知らせる合図だ。
「ア、アルマ! あれ、は……ヤバイぞ……ッ」
「……えぇ」
ガルディアも感じているのだろうか? 彼も顔の血の気が引き、額から冷や汗を流し始めていた。
私達はその異常な空気を読み取って、ゆっくりと後退りしながら下がり距離を取る。
「そうよ! 他者の血肉を使って召喚した召喚魔を操るんじゃなくて、私自身が召喚魔になればいいのよぉッ!! アハ、アハハハハハハハハ!!!」
発狂する兵士長。その兵士長の足元にある2人の死体が血の魔法陣の中へと、ずるずると沈んで行く。
完全に死体が沈んだ後、間を空けて血の魔法陣から大量の黒い霧が出現する。そして、その黒い霧が自らの意思を持って一斉に兵士長の口から侵入していく。
兵士長は苦痛の悲鳴を上げ、体を大きく痙攣させながら、強制的に侵入してくる全ての黒い霧を飲み込んでいった。
全ての黒い霧が兵士長の体へと侵入した後に残ったのは、静寂だった。
「ハッ……ハッ……ハーッ……はぁぁーっ……はぁ、はぁ……あ、あは、あはは――ぁうッ!?」
……だが、その静寂は兵士長の異変によって破られた。
「「ア"ァ"ァ"ァァアアアアアアアアッ!?」」
兵士長の体が衣服を破きながらボコボコと異常に膨れ上がり、断末魔と共に兵士長の体が異形な姿へと変貌した。
ボコボコと膨れ上がった丸々とした赤黒い巨体で、背丈は10メートル程。
その体からは、異常な方向へと曲がり伸びた6本の腕が生えている。その腕はまるで赤子の様に膨れ上がった肉質で、不規則な位置から生えており。不規則に動くその腕は何かを掴もうと曲げたり伸ばしている。
その腕と同じ様に異常な方向へと伸びた、既に脚として機能していない6本の脚。その脚は歩行の為の脚というよりも、直立する為の脚だった。
そして、その巨体に付いた3つの頭……いや、内2つは頭というより顔だ。その丸々とした巨体に男の顔のような物が体から浮かび上がっているのだ。その顔には黒く大きな目と歪んだ口が付いているが、不規則な位置に付いている為に辛うじて顔と判断できるものだった。また、その口の中には黄ばんだ大きな人の歯が生えており。生暖かい白い吐息と共に、悪臭と涎を垂れ流している。
残りの1つの頭は、女の面影を残した頭だ。首というものは無く、頭が体に乗っけられた様に生えている。頭部からは女の長い髪が生えているが、頭皮が非常に薄く、それが醜さを更に増す要因ともなっていた。その頭の顔はというと歪な形をしており、大きな口が頭の下半分を埋め尽くしていた。
そんなので〝女の面影を残した〟と言うのかと思うが、口より上の顔の右半分が整った形をしているのだ。それを強く表しているのが目であり、それは正しく〝女の目〟……兵士長の目だった。その目だけは他の目と違って白く、人の瞳があった。特に興味が無かったからよく見ていなかったが、その瞳は灰色の瞳をしていた。
だが、その瞳の中には既に『人』というものは残ってはいなかった。
兵士長が召喚した召喚魔……いや……〝兵士長だったもの〟は、兵士長の究極召喚魔法で召喚した『炎の悪魔』とは程遠い全く異なった醜い異形の化け物になっていた。
「「ア"ァ"ァァ……」」
「ひっ……!? ひやぁぁぁああッ!?!?」
「離せ!? い、嫌だ嫌だ嫌だぁぁああ!? 離せぇぇぇええ!!? 嫌だぁぁあ!?」
「い"あ"ァ"ァぁぁああああッ!? いてぇよ"ぉ"! たす、けて……! か、母さ――」
異形の化け物は歪に生えたその赤子の様な手を伸ばし、残りの生き残っていた3人の兵士達全員をその手で掴むと、3つの口へとそれぞれ1人ずつ放り込む。
その口へと入れられた兵士達は、その黄ばんだ人の歯でパキパキと音を鳴らしながら咀嚼され、口の奥に広がる闇の中へと飲み込まれて行った。
「うぷっ――」
「――ッ!? リ、リシェス!? 大丈夫か……!?」
その光景を見てしまったリシェスが顔を真っ青にして、口元を手で押さえてしゃがみ込んだ。ガルディアはそんなリシェスを気遣い、一緒にしゃがみ込んで優しく背中をさする。
「ガルディア……リシェスをお願い」
「え? ア、アルマ……? まさか1人で行くのか!?」
「いいから、リシェスを連れて下がりなさい……」
私は心配するガルディアをよそに、1人あの醜い化け物へと近づく。
それに気が付いた異形の化け物が、いくつもある大きな目をギョロリと私の方へと一斉に向ける。その目には、ただ食らう事への食欲と殺意だけがあった。
「本当に醜いわね、お前」
異形の化け物は歩行する機能を失った6本の脚を動かして、ズルズルと少しずつ私の方へと近寄って来る。手を私に向けて精一杯伸ばし、口からは血と混じった唾液を垂らし悪臭を放つ。
私は立ち止まり自分の右手を胸の高さまで持ってくると、その手を見つめる。
「あの兵士長といい、あの幹部の男といい……魔法を使う奴らは皆して魔法の名を言葉にして叫んでいたわよね……」
私とガルディアがこれまでに戦ってきた魔法を使用する奴らは皆、詠唱や魔法陣を使って最後には魔法の名を呼んで魔法を発動させていた。
私は何気なしに、詠唱や魔法陣を使わなくても頭の中で想像した事を魔法にして発動していた。私はこれまでの人生で魔法を扱った事は無いから、魔法の知識なんてほとんど無い。魔法を使えるのはきっとあの謎の覚醒によるものだろうが。
「……魔法を声に出すことで、より正確でより強力な魔法が発動できるのかしら?」
今思い返せば、あの炎の巨人を焼き殺した時も……私が『業火』と口に出したら魔法のイメージがしやすくて、変な引っ掛かりの様な干渉も無く、すんなりと魔法が発動していた気もする。
もし、〝はっきりとした具体的な想像〟が強力な魔法を生み出すきっかけになるのなら……。
右手を握り締めると共に、私の口元が思わず歪む。ギラリと歯を剥き出しにして邪悪な笑みが零れてしまう。
私の中で何かが疼く。可能性への期待が膨れ上がる。「試してみたくて堪らない」とその可能性に鼓動が高鳴り、私の体が熱くなる。
「そういえばあの兵士長は、あの炎の巨人を自分の最強の魔法として究極魔法だとか奥義だとか言ってたけど、いわゆる『必殺技』ってやつかしら? ふふ、だったら……」
私を包む炎がゆっくりと勢いを増していく。
炎の光が強くなり、私を中心に周囲の暗闇に染まった世界を炎の光で照らす。周囲の気温がぐんぐんと高くなる。周囲の人が離れていても、じっとしていても汗が滲み出て来る程に熱くなる。
「だったら私にも……『必殺技』……あるわよ?」
握り締めた右拳に魔力を一点集中する。
ただ魔力を溜めるだけではダメだ、より濃く、より圧縮し、より密度を高くし、より精密に研ぎ澄ます。すると青白い魔力が青紫色の魔力の光へと変わっていき、やがては青紫色の魔力が眩い程に光り輝く。
私の拳が重くなる。私の周りの空気が重たくなる……異様なオーラを放つ重たい空気が重圧を掛けてくる。
異形の化け物もこの只ならぬ空気に気が付いたのか歩みを止め、その場でたじろぐ。私を見つめ困惑するその目には、恐怖があった。
あの異形な化け物を見ていると、私の中で何かが叫ぶ。
〝――あの悪を、善なる炎で焼き殺せッ!!〟
……そう、叫ぶのだ。
これは私が聖国軍共とあの兵士長に対する殺意だけではない、別の何かだ。
あの化け物に対する殺意か? いや違うな……もちろん殺意はあるが、むしろ同時に憐みも少し感じる。
恐らくあの化け物の中だ、あの化け物の奥底にあるもの……もっと根本的なものだ。あの兵士長や他の兵士達をあのような人にしてしまった元凶だ。
私の拳に地獄の炎が灯る。青紫色の魔力と共にその炎は更に熱く加熱し、音を立てて激しく燃え上がる。圧し掛かる重圧が増し、私を中心に地面が沈む様に地に亀裂を作って歪む。
「「イ゛、ア゛ァ゛アァア、アア……ッ!?」」
異様な雰囲気を感じ取った異形な化け物が、私に向かって指を指す。それはまるで「お前は一体なんなんだ?」っとでも言っているかの様だった。
「なに? 私が何なのか知りたいの? ……ふふ、そんなに知りたかったら……」
地獄の炎を纏った拳を自身の後ろへと引き付けるようにして構える。
腰を落とし身を低くする。空いた左手を地面に添えるように地に付け、足先に力を込めて地面を抉り足場を作る。それから腰だけを上げる。私の体が思いのままにとったこの姿勢は、走り出す力を0から100へと切り替えるのに最適な姿勢だった。
「地獄に行けば分かるんじゃないかしら?」
足に魔力と共に力を込めて地面を抉り飛ばす様にして蹴る。
「ドンッ!」という音と共に走り出す。圧し掛かる空気の重圧を身に背負いながら、魔力で強化した肉体で無理やり走る。重力を感じさせない速度で化け物へと走るも、その一歩は重く、地面を歪めながら重い音を立てて行く。
近接してくる私に、異形の化け物が手を開いて「来るな!」「やめろ!」とでも言いたげに手のひらを向けてくる。表情が読み取れない歪な顔から恐怖が感じ取れる。
その顔を見て、私の顔が更に歪む。〝あぁ、楽しい! 面白い! 心が躍る! 愉快だ!! もっとその顔を歪めて私を笑わせてくれッ!!〟……そう感じ、笑みが零れてしまう。
異形の化け物の懐へと入り、そこで静止する。一歩踏み出せば化け物に手が届く距離。私の〝この技〟の射程圏内。
足の幅を広げ、重心を真っすぐ下に落とし地に根を張る。最大火力が出せる姿勢へと。
「必殺――ッ!」
魔力を極限まで込め、右拳が更に勢いを増して熱く燃える。
全てを焼き尽くさんと地獄の炎が空気を揺るがす程に音を立てて激しく真っ赤に燃える。
「――母直伝ッッ!! 悪行断罪拳……ッッッ!!!!!」
足先を踏ん張り、脚を絞り、腰を捻って回転させ、足先から繋げて行った力と体重を肩から拳の先へと伝えて、捻り込むようにしてその拳を突き出す。その拳に極限まで一点集中させていた高密度の魔力を地獄の炎と共に解き放つ。
母より受け継いだ『悪行断罪拳』は、授けられた謎の力によって一筋の真っ赤な閃光を放った。その一筋の閃光は空気を突き破り、空間を歪め、化け物の肉を貫き、夜空へと伸びて行った。
〝凄まじい爆発が起きた〟などでは言い表せない程の威力の破裂音と衝撃波が、大地と空気を揺るがした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜空へと伸びた一筋の真っ赤な閃光
その光に貫かれた異形の化け物の体は、貫かれた一点を中心に円を描く様にして体の半分以上が消し飛び、次には貫かれた点の中心へと空間が吸い込まれる様にして歪み、そこへ化け物の残骸が収縮し爆発と共に弾け飛ぶ。
次の瞬間……爆炎の光、音速を超えた破裂音、強烈な衝撃波、爆発による轟音が鳴り響いた。
衝撃波が付近の物を吹き飛ばし、爆風となって爆煙と土煙が舞い上げ、その風は拠点の建物を燃やしていた炎を全て消し去った。そしてその爆風は爆心地へと戻り爆風となって、吹き飛ばしたものを引き寄せて帰って来た。
やがてビリビリと空気を揺るがす振動は収まり、未だに顔をしかめる耳鳴りは残るも、世界は暗闇と静寂に包まれた。
ただ……一点の光を除いて。
その場にいた人々は見た。
暗闇と静寂に包まれ、肌を刺す様な冷気が漂うこの世界で輝く炎を見た。
その炎はまるで地獄を連想させる様な恐ろしい程に真っ赤な炎であり、その者の怒りを物語るかの様に熱く激しく燃えていた。
だが、それを見ていた者達は誰一人としてその炎に恐怖を感じなかった。その光に誰も恐れなかった。
彼ら彼女らの目に映るその炎は恐怖ではなく……『勇気』だった。
何者にも恐れない勇気、立ち向かう勇気、勝利を掴む勇気、生きる勇気を与えてくれる……『聖火』だった。
そんな炎を纏いながら腕を組んで立ち、尻尾をゆらゆらと揺らしながら、時たま耳を動かしている炎の猫
その炎の猫の後ろ姿を見つめながら、誰かがポツリと呟いた。
「ネコのおねぇさん……まるで‶聖火から生まれた聖火のネコさん〟みたい……」