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東を守護する憤怒の王が治める、華国・アールヴは魔界一美しい国である。
木々は青くお生い茂り、草花が色艶やかに咲き乱れ、純度の高い澄んだ水が国の至る所から流れている。とても憤怒の王が治めているとは思えないほどに美しい白を基調にした、自然に溢れる、色彩豊かな国だ。
そんな華国・アールヴの近くにエステルはいた。
早朝に魔王陛下であるラインハルトと話し合い、時の三神を殺す手はずを計画した。そのついでに裏切り者の元・魔王を粛正しようと、バルバゼスと10人の同族を連れて華国・アールヴの近くまで転移したのだが・・・。よもや敵に包囲されているとは予想していなかった。だがまぁ、思わぬ好展開だ。
裏切り者の魔族と愚かな人間が数百、数万・・・とにかく、それだけ集まってわざわざ殺されに来た。怠惰の王ではないが、面倒が省けて嬉しいものだ。口角をつりあげ、エステルは笑う。そして――強欲の王と共に蹂躙し、視界を綺麗に一掃したのが10分前。
人間はともかく、最近の魔族は骨がない。
月の女神を帰し、こてりと首を傾げた。こうもあっさりと殺せてしまうと、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。けれど。
「バルバゼス」
「なんだぁ」
「最近の魔族は馬鹿しかいないのか?」
探ってみたが、裏はないようだった。
風の精霊王に礼を言ってからこちらを向いたバルバゼスの双眸を歪め、溜息を吐き出した。
「悪いがぁ、そいつらと同列にしないでもらえるかぁ」
「それは失礼」
心のこもっていない謝罪をする。
「けどまぁ、これで視界が一掃された。あとは」
「元・魔王を殺すだけだぁ」
「ついでに七聖女の役割を勘違いしてる馬鹿も、殺さないと」
「・・・聖女と言うよりも、魔族側に近い笑みだなぁ」
「何言ってんだよ」
エステルが呆れた声を出す。
「俺は始祖の吸血姫。お前達の頂点に君臨する、正真正銘の始祖だ。人間じゃないんだから、当たり前のこと言うなよ」
「知っているよぉ、母上」
「やめろ、せめて父上と呼べ」
生物学上、それは無理だろう。そうは思っても、バルバゼスを合わせた11人の始祖の吸血鬼は口を閉ざし、そっと視線もエステルからそらした。
「あ」
空を見上げたエステルが、思わず声を漏らした。
「どうやらアッチも、成功したらしいな」
「は?・・・ああ、そうらしいなぁ」
遥か彼方の上空から落下する、白い塊を見上げてバルバゼスは頷いた。徐々に近づいてくるソレを見ながら、ちらりと隣にいるエステルを見る。
身体を小刻みに震わせ、熱い吐息を吐き出していた。
「ああ、いよいよか」
歓喜に身体を震わせ、興奮から頬を赤く染める。
うっとりと、夢心地のように蕩けた瞳に不釣り合いな殺意が宿った。
「いよいよ――――俺の最愛を奪った、時の三神を殺せる」
始祖の吸血姫――。
とある2人の魔王陛下を除き、魔族の中で唯一を愛し、最愛と呼び慈しみ、唯一だけを求める愛情深い存在。
それ故に、奪われた時の悲しみはとある魔王陛下同様に深く、殺した相手が誰であろうと報復し、何年経とうと、どんな手を使ってでも復讐を果たすほどの執念深さを持つ。
もっとも、始祖の吸血鬼にはそんな特性はなく、あるのは母である吸血姫のみ。
だから始祖の吸血鬼は知らない。
愛した者を奪われた悲しみがどれほど深いのかを。
愛した者を殺した者に対する憎しみの深さを。
理解できるのは唯一だけを愛する――――2人の魔王陛下だけ。
「でもその前に」
にたりと、口角をつりあげて残忍にエステルが嗤った。
「殺されに現れた裏切り者を――――殺そうか」
視界に映り込んだ元・魔王と役割を勘違いした2人の聖女に向かって、ゆっくりと右手を伸ばす。
「俺の可愛い子達、喜劇を始めよう」
バルバゼスを除く、10人の始祖の吸血鬼が懐から赤い液体の入った試験管を取り出した。蓋を開け、一気に躊躇うことなく飲み干す。
「俺の血肉を喰らって、魔王を殺せ」
試験管に入っていたのはエステルの血肉。
それを飲み干した10人の始祖の吸血鬼の身体から赤黒い気が視認され、血走ったような眼が3人の裏切り者を映し出す。外見的に何も変わっていないが、始祖の吸血姫の血肉を口にしたことで、一時的に始祖の吸血姫に近い能力を手に入れた。それにより10人の始祖の吸血姫は魔王に匹敵する、否、魔王を殺せるだけの力を得た。
普通の魔族ではありえない現象、事実。
魔王陛下を除き、魔族の中で一番、敵に回してはいけない存在。
「バルバゼス」
「ああ、解っているぅ。――行くぞぉ!」
餓えた獣のように3人の裏切り者の元へ駆ける10人の始祖の吸血鬼を見送ってから、エステルとバルバゼスも駆け出した。愚かにも役割をはき違えた、哀れな煌の聖女と時の聖女を殺すために。
時の三神の神殿が地上に落下する前に殺すと、声に出さずに決めながら。
「・・・・・・あの、ライさん」
「何んだ」
「神殿って、簡単に落ちるものなんですね」
ライさんに言われるがまま、空の聖女の力を発動させて時の三神の神殿を狙ったら、あら不思議。たった一撃で神殿が崩れ、浮力が落ちたのか不明だが神殿が落ちた。
それはもう、見事としか言えないくらいあっさりと。
・・・あんな脆い造りでいいのか。
仮にも神様が住まう場所なのに、脆くていいの?脆くていいの!
「七聖女だからあんなあっさり落とせたんだよ」
「・・・それはそれで」
もうちょっと強度とか耐久性とか、そう言うのをしっかりした方がいいんじゃないだろうか。まぁ、私には関係ないことだけども。
それよりも、だ。
ちらりと視線を地上の様子、基、エステル達の状況を映像で見ながらなんとも複雑な気持ちになる。エステル無双だ。いや、エステルが最強すぎて怖い。
血肉を口にしただけで、10人の始祖の吸血鬼が元とは言え魔王を圧倒している。
この事実が恐ろしくてならない。
あれ?魔王って魔王陛下の成りそこないだけど一応、選ばれた存在だよね?まさかルナディアみたいに親の権力とコネで成った訳じゃないよね?・・・とか思ってしまうほど、始祖の吸血鬼無双。エステルの力が恐ろしい・・・っ。
「始祖の吸血姫の血を、その直系である吸血鬼が口にすれば一時的にとは言え、能力は親と同等になる。だからまぁ、魔王に成れなかった奴でも元・魔王を簡単にさくっと殺せたりする。・・・一番は始祖の吸血姫が夜の聖女でもあることだろうけど」
むしろそれが強さの秘訣だと思う。
「あれ?なんで始祖の吸血姫がいるのに始祖の吸血鬼までいるんですか?エステルだけでいいんじゃ?」
「吸血鬼のことは吸血鬼に聞け」
や、まぁ、そうなんですけど。
「・・・始祖の吸血姫が夜の聖女だから、それを隠すために直系である11人の子限定に始祖の吸血姫を名乗らせたんだろう。夜の聖女が始祖の吸血姫だってばれたら、時の三神が何をするかわかんねぇからな」
「全ては時の三神のせいですか。エステルの最愛も殺したみたいですし、恨みは深そうですねぇ」
メインディッシュの前の前菜だとばかりに、うきうきと言う効果音付きで攻撃をしかけるエステルの表情は――――般若を通り越して修羅だった。効果音の嘘つき。
隣にいるバルバゼスの顔色が悪い。
顔面蒼白じゃなくて土気色です。もう死にそう!
「ああ、逢いたかったぞ愛し子!」
「ごふっ!!!」
腹部に・・・何か、硬いけど柔らかい物体がっ。
「久しぶりの愛し子の体温。ああ、この小さいながらも弾力のある膨らみ。そして何より、シビルに似たこの匂い。・・・匂いだけで興奮する」
「変態か!」
「死ね、変態が」
べりっと力任せに胸元に張り付いた鳥状態のオルフさんを剥がせば、ライさんが奪って勢いよく地面に叩きつけた。そして流れるように足で踏みつぶし、火の攻撃魔法を放とうと・・・それは駄目!
やるなら私が傍にいない時にしてください!
「お、オルフさんがここにいるってことは、時の三神の残りの居場所が分かったんですよね!ね!」
「ああ、その通りだ。愛し子」
ライさんに向けていた剣呑な眼つきを一瞬で蕩ける眼差しに変え、良い笑顔で私に言う。
豹変ぶりが凄いな。ある意味、尊敬しますよ。
「時の三神の1人は王都・ヘルヘイムにいる」
「王都ごと潰せるわね!」
「ルキ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんでそんな遠くに?」
「安全のためよ!」
「いや、だからって入り口よりさらに遠いって・・・えー」
青白い顔で、それでも普段通りを振る舞うルキに呆れてしまう。この部屋を恐れてるくせに、虚勢を張ってまで無理して・・・。いや、無理はしてないか。うん、だって距離が遠いし。
もしかして過去、この部屋に入って死にかけたとか?いや、死んだとか?
・・・ありえそうで怖い。
「王都にルキ1人で行くの?」
「何、言ってるのよ」
あ、違うのか。
「カイザー君と新・王都なんて滅んじゃえ撲滅殺戮兵器Xを投下するだけよ」
「まって、意味が解らない」
「もしくは王都の頭上からアタシが明の女神を呼んで、ぷちってしてもらうわ!」
「ぷちって潰せる大きさだっけ・・・?」
本気で、意味が解らない。
「・・・えっと、ルキが造った兵器を王都に落とすために向かえばいい・・・・・・んでしょうか?」
「いいんじゃね?兵器落として、それでも死ななかったら陽の聖女とオズとオルデゥアで殺させればいいし」
誰を、とは聞かないけど、兵器で死ぬんじゃないでしょうか。普通は。
あ、神だから死なないか。
「あの勘違い命の聖女と、馬鹿で聖女なんて名を与えられるのも場違いで存在自体が害でしかない森の聖女は、十中八九、王都にいるわ!」
「・・・・・・森の聖女が嫌いなのがよく解った。で、根拠は?」
「女の勘よ!」
「・・・そっか」
そっとルキから視線をそらし、痛む頭を抱える代わりに額を抑えた。女の勘って、私が言うのもアレだけどあてに出来るものだろうか?
いや、それよりも気になるのは――。
「ユフィーリアさんはそこで何をしてるんですか?」
「お気になさらず」
「ええ、そんな白いドレスを何着も部屋の中に投げてる姿を見て、気にするなって」
「お気になさらず、どれか一着をお選びください」
「気にするなと言いつつ選べと?!」
「花嫁のドレスです」
「なんで!?」
「花嫁のドレスとは、ある種の戦闘装束」
「いや、いやいやいやいやいやいやいやいや、そんなの聞いたことがないんですけど!」
「と、わたくしは思っています」
どや顔で言われても、反応に困る。
と言うか、何で今、花嫁のドレス?てか、花嫁のドレスって・・・え゛?
「ちなみにこちら、魔王陛下の衣装となります」
「何であるの!?」
純白と対をなすような漆黒のタキシード。うわ、ちょ・・・ちょっと何で?!
「世の中、何があるか分かりませんので」
だからって・・・え、えええええぇ。
熱かった顔が一気に冷え、血の気が引いた気がする。そんな、死亡フラグを押すような台詞はやめてくれません?私、死ぬつもりはないですよ?もちろん、ライさんだって。
・・・ないですよね?
「そう言うのは、全部終わってからだろうが。気がはえぇよ」
呆れた顔をしつつも、眼は嬉しそうですね。
「と、喋っている間についたみたいだな」
「私何もしてないんですけど!」
「リィンが王都って言った時点で、王都に向かってたからな」
もうやだ、この近未来的技術。怖すぎる。
膝から力が抜け、地面と仲良くしながら項垂れた。慌てるオルフさんの声が聞こえるけど、正直、何を言っているのかさっぱりです。ああ、耳がおかしくなったみたい。・・・いっそ、本当におかしくなれば。いや、駄目だ。
ふるりと首を横に振って、息を吐き出す。
「えっと・・・で、王都についたら何をするんですっけ?」
私はきっと、死んだ魚の眼をしているだろう。
「陽の聖女が造った奇天烈兵器を落とす」
「奇天烈とは何よ!いい、あれは天才であるアタシが造り出した最強最悪最高の兵器よ!どんな魔法も弾き、何かに衝突したら爆発する仕組みに改造した至高の平気なの!」
最強最悪最高・・・って、何それ。あと、改造って魔、改造でしょう?とかツッコまない。疲れてそんな気力もないからね!
「さぁ、アタシの兵器を落としなさい!」
「どこから!」
流石にこれは無理だった。
いやだって・・・落とすって、落とすってどこからどうやって?!窓?窓から1体1体落とすの!?どんんだけ重労働させるの!?
「穴を開けるのよ!」
「どこに!?」
「どこって・・・床に」
さも当然とばかりに言うルキに、眩暈がしてぶっ倒れるかと思った。床って、床って・・・穴が開くわけないでしょうが!!
馬鹿なの?!
天才を騙る馬鹿なの!!
「流石に床は開かないな」
「何よ。開くように設定しなさいよね!」
「我を指さすな、つつくぞ」
頭が痛い。
物凄く頭が痛い。
頭痛で気を失いたいぐらいに、頭が痛いんですけどぉ・・・!
「だからオズとオルデゥアを使え」
項垂れる私の両脇に手を入れ、持ち上げたライさんを淡々とした声でそう言った。・・・使えって、確かその2人、疲弊して寝てるんじゃ?
「で、地上に降りて命の聖女と森の聖女、あと本命である時の三神を殺してこい」
前を向いていて判らないけれど、絶対にライさんは良い笑顔をしている。悪人に相応しい良い笑顔をしてるんだ・・・!
だって語尾に星が付きそうな勢いだったし!
ひぃ、ぞわっとした。背筋がぞわっとした!首筋がぞわぞわするっ。
「愛し子から手を放せ、この不埒物が!」
「あ、俺達これが終わったら結婚するから」
「だからそれフラグ!」
何を言い出すんだ!振り返って怒鳴れば、それを待っていたかのようにキスされた。何で?何で今、キスをするの・・・?思考が止まったんですけど。
リップ音を鳴らし、すぐに離れたライさんの唇に眼が行って、困惑から瞬いた。今、キスする必要性・・・あったのかな?ないよね?なんでした?訳が分からなくて間抜けな顔をさらしてしまった。いやだって・・・本気で理解できない。
「けっこん・・・?ケッコン、血痕、結婚、っけ、けけけけけけけけけ結婚!?」
オルフさんに対する嫌がらせか。
「なでっ?!なん、何で結婚?!そ、そんなの我は認めない、お父さんは認めません!!」
本来の姿に戻り、私の肩を掴んでガックンガックンと揺らすオルフさんの動揺が酷い。
頭がシャッフルされ、気持ち悪い。後ろに逃げようとしてもライさんがいて無理で・・・あれ、これって前門のオルフさん、後門のライさん状態?何それ。まったくもって嬉しくない状況だ。助けて、誰か。
とか思ってたら、ライさんがオルフさんを投げた。・・・え、どうやって?!
唖然とルキの傍まで飛ばされたオルフさんを見やり、ライさんを見上げた。え、どうやって?さっぱり判らない。・・・あ、魔法か。成程、魔法だね。魔法ってことにしておこう。
「それはめでたいわね!」
なんとも微妙な空気を壊すのは、やはりルキだった。
正直、助かった。
「めでたいことは盛大に祝わないといけないわ!だから――――王都を破壊しましょう!」
良い笑顔でそんなことを言われても、そんなお祝いいらない。
「めでたくないし我は認めてない!」
「そんなのどうでもいいのよ!アタシが、勝手に、祝うだけなんだから!」
無駄に胸を共闘し、腰に手を当てるルキはオルフさんを鼻で笑う。
「さぁ、逝くわよ!」
「なんかニュアンスが違う!」
「間違えたわ・・・。さぁ、行くわよ!」
「待て!我を放せ!我は、我は・・・そこのクソガキを殺さなければっ!!!」
どこにそんな力があるのか、オルフさんの襟首を掴んで走っていった。オルフさんの両足、宙に浮いてたんだけど、どんな馬鹿力?・・・深く考えないでおこう。頭が痛くなる。
「さて、リィン。最後の時の三神が見つかるまで、ここで許嫁らしいことでもするか」
「許嫁らしいことって何!?いや、いいです。言わないでいいです」
「えー」
「まったく残念がってない顔で、残念そうな声をださないでくれません?」
身の危険を感じて仕方がない。
別に嫌って訳じゃないんですよ?ただ時と場合と状況と場所を選んで欲しいだけで・・・。いや、やっぱり嫌です。フラグにしかならない。死亡フラグが立つ予感しかしないので自重しましょう?ね?
「あ」
「あ・・・、ルキが落ちた」
まさか、自作した兵器と共に王都へ落ちるなんて・・・予想してませんでした。
「まぁ、オズ達も追いかけていったようだし、大丈夫だろう」
「落ちるまでに何があったんだろう・・・」
映像に映るルキの右手には、しっかりとオルフさんの髪が握られていた。・・・髪はやめよう?禿ちゃうからやめよう?
痛みに何やら叫んでいるオルフさんに、禿ないように祈ることしか出来なかった。・・・毛根、丈夫だといいですね。そっと視線をそらした私はきっと、悪くない。




