7
何かから逃げるように、足を動かし続けた――。
背後にあるはずがない炎の幻影が見えたのは、きっと黒煙と焦げた臭いのせいだろう。
「・・・は、っは・・・ぅあ・・・っ」
息が荒い。
額から滝のように汗が流れて、鼓動が早鐘のように鳴り響く。動きすぎて心臓が痛い。てか、身体全体が痛い。もう無理、走れないから私。
満足に喋ることも出来ず、視線で訴えたけど無視された。華麗にスルーだよ、畜生。
何処に行くのかも、何処へ行けばいいのかも解らないまま、私は2人の子供に手を引かれるがまま走る。もう限界。きつい。死ぬ。
誰も追ってはいないのに、どうしてだか追われている気にすらなってしまう。錯覚だと解っているけど、前を走る2人の様子からそう思えなくて心が困惑した。まるで、本当に誰かに追われているのでは?なんて思ってしまうぐらいだ。呼吸するのも辛いんですけど。
後ろを見ても、誰もいないと言うのに・・・。本当・・・死にそう。
「リグル!どうだ?!」
「こっち!右に逃げた方が臭いがしないよ、ヨフェス!!」
鬼っ子が狐耳の少年をリグルと呼び、狐耳基、リグルが鬼っ子をヨフェスと呼ぶ。そんな名前だったのか、2人とも。場違いなことを思ってしまった私は、ある意味余裕に見えるんだろうな。
そんな余裕、欠片もなくて今にも死にそうだけど。正直、本当もう無理。限界。死ぬ。
足がガクガクして、これ以上は走れそうにないんですよぉ。
「っひ・・・・・・はぁぅ、ぅ、ぅあ・・・あ・・・・・・もぅ、む」
もう無理だから足を止めようとするけど、2人がそれを許してくれない。ぐいぐいと腕を引っ張られ、止まるに止まれない状況。誰か助けて、死ぬ。
うあ・・・視界がぼんやりとするぅぅ。
息が上手く出来なくて、頭が上手く回らない。さ、さんそください。
「もうちょっとだから頑張って!」
「なんで俺達より体力ねぇんだよ!もやしより貧弱!体力ゴミ!」
言葉に気をつけて、と言いたいけど事実なので否定できない。体力皆無で悪かったな。畜生。
頑張っても体力がつかなかったの。
パロメーターが上がらなかったの!体力値なんて100ぐらいしかないの!生命値もそれぐらいだけどね!!神様の馬鹿!どうしてこんなステータスにした!!私の努力が足りないのかな・・・いや、まさかそんな。
「っああもう!リグル、個の近くに隠れるぞ!!」
「ええ!?」
「この人間、体力カスすぎて駄目だ!安全な場所に着く前に死ぬぞ!!」
「あーもう、解ったよ!」
どうしてこの2人は、私を見捨てる。と言うことをしないんだろう。
見捨てた方が、楽だろうに・・・良心でも痛むの?他人なのに、痛むなんて魔族は人間より情が深いのかもしれないなー。
人間とよりも良い人だ、魔族は。
「ぅぐふ!」
物凄い勢いで前に引っ張られて、茂みに突き飛ばされた。酷い。感動を返せ。
いきなりのことだから顔面から地面にダイブして、鼻が痛い。ついでにおでこも痛い。泣かないけど、痛い・・・ジンジンする。あ、鼻血でてた。うう、格好悪いなー。
えっと、鼻血には圧迫・・・がいいんだったかな?んー・・・とりあえずハンカチでおさえておこう。
「・・・やばいな、この近くにいるぞ」
何がいるっていうのさ、野生の獣?凶暴な魔獣?・・・魔族が怯えるとは思わないけど。
「おい、リグル。空間魔法使って何とか誤魔化せ」
「む、無茶言わないでよ!ぼ、ぼぼぼぼぼぼくに出来る訳ないでしょう!?」
「馬鹿、声がでけぇ!」
物凄く、痛そうな音がした。
「状況を考えて声を出せ、声を!」
「り・・・りふじん」
「煩い、早くやれ馬鹿」
「う・・・うぅ」
叩かれた頭を右手で抑えながら、リグルは左手を上げた。掌を空にかざすようにして、眼を閉じる。・・・魔法を使うみたいだけど、何だろう。
ライさんの時とは、何かが違うような・・・。詠唱がないから、かな?いやでも魔族は精霊の詩がなくても魔法が使えるし・・・あ、解った。
使う魔力が違うんだ!
・・・・・・何で解ったんだ、私?
そんなもの、今まで見えたことないのに。まさかまさか、空の聖女の・・・・・・考えるのはやめよう。
ワタシハナニモミエナカッタ。
「・・・な、何とか【foschia di calore】を使って認識ずらしてみたけど・・・いつまで持つかは解らないよ?」
「騙せればそれで十分だろう。後は・・・・・・」
ちらりと私を見るヨフェスに、ハンカチで鼻を押さえたまま首を傾げた。
何か言いたいことでも?
物凄く、ものすごーく、馬鹿にした眼を私に向けて、そして溜息をついた。こ・・・この鬼っ子め!鼻血でたのは君が押したからなんですけどっ!!
「この人間を連れて、どこまで逃げ切れるか・・・だな」
「嫌そうな顔をするぐらいなら、君達だけでも逃げればいいでしょう」
「魔界にいる限り、人間は同胞だ。見捨てることは出来ない」
驚いた。
真剣な顔で同胞なんて言うモノだから、私は間抜けな顔をしたまま固まってしまった。いや、本当に驚いた。
魔界にいる人間は、魔族にとって同胞なんですか。
・・・本当、人間より情が篤いよ。
「ねぇ、どうして滑舌がよくなってるの?」
「今、聞くことですか?・・・僕達、子供を演じてたんですよ。だからこっちが素です。ちなみに言えば貴方より年上です」
「・・・演じてた理由は?」
「教えるか、ばーか」
こ、この鬼は・・・っ!
苦笑するリグルも教える気がないようで、ヨフェスと何か話している。く、放置か。
「ついでに索敵してみたけど、そう数はいないみたい。ただ・・・・・・視た限りだと、かなり強い。僕やヨフェスが全力で戦って勝てるかどうか・・・。あっち、なんか変な武器持ってるし」
「変な武器?」
しかし【foschia di calore】って火属性の空間魔法かな?認識ずらす空間魔法って何ソレ。
ぼんやりとだけど、赤い色が見えるし。・・・どれだけの範囲なんだろう。かなり大きい?それとも小さい?ライさんと比べると小さそうだけど、あの人と比べるのは駄目だよねー。
だって魔王だし。
「何だろう・・・。視ただけなのにゾワゾワした」
「ゾワゾワって・・・何だよ、それ」
「解んない。解んないけど、アレは駄目だ。僕達が素手で戦っていいモノじゃない」
「たぶんそれ、光属性の精神魔法が付属された武器だと思うけど?」
腕の良い鍛冶職人を城に呼び、神聖なる武器?だかを創るために何人も酷使して過労死させた。魔術師も同様のありさまで、こちらは恐ろしい形相で死んでいたと猫友から聞いたことがある。あの時の猫友、かなり死にそうな顔だったなぁ。
そう言えば、機密情報らしいけどぼろりと猫と戯れている時にこぼした猫友は罰せられてないだろうか。それだけが心配だ。・・・随分前だし、だぶん大丈夫だと思いたいな。うん。
「それ、本当かよ。精神魔法が付属された武器って・・・嘘だろう?」
「実物見たことないけど、知り合いから聞いたからたぶん本当、だと思うけど」
な、何だか解らないけどリグルとヨフェスがこの世の終わりみたいな顔をしている。
変なことを言った覚えはないけど・・・。私の発言に何か不味いことに気づいたのかな?良く解らないけど、ごめん。謝っておく。
私、悪くないと思うけど。
「人間達、僕達のことに気づいたんだ!!僕達が不死属性の魔族だってことに気づいちゃったんだよっ」
なんですと・・・?!
え、つまりこの2人は既に死んでて、さっきの眠りの湖に肉体を沈めて亡霊となった・・・魔族。と言うこと?
ご、ゴーストって触れられるんだね。
いや、アンデットと言う可能性も・・・いやいやいや、そう言うことじゃないだろ、私!
「ちょっとそれって・・・光属性の魔法と相性、最悪じゃない」
「最悪どころか即死だ、即死!」
「・・・精神魔法でも僕達、ぽっくり逝きますね。死んでるのに逝くと言うのもおかしいけど」
悲愴な顔だけど、私にはどうしようも出来ない。
だって魔法、使えないもん!威張ることじゃないけどね。
・・・空の聖女の力は、極力使いたくないからね。だって暴走したら怖いし。誰かを殺す覚悟なんて、私にはないんだ。
脅しはするけど。
「どうしよう、どうしようよっちゃん。ぼくたちしんじゃうよっ」
あ、滑舌が悪くなった。
「幼児化するな、馬鹿!な、何とかこの場を凌げれば・・・たぶん、大丈夫だろう。確信はないけど、おそらく、きっと・・・・・・・・・だいじょうぶだといいなぁ」
「よっちゃぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁあぁぁん!
遠い眼をして彼方を見るヨフェスの姿が、燃え尽きた老人のように見えたのは幻覚だろう。それに縋るリグルは「そこは確信してよ!」と泣きながら怒っていた。
あー・・・どうしよう、この状況。
落ち着いて思考を巡らせてみた。
自他共に認める体力カスで足手まといな私。
魔族だけど不死属性、おそらくアンデットなリグルとヨフェス。
王国軍は光属性の魔法を付属させた武器を所持。リグルとヨフェスが不利。足手まといな私が魔法を使えるはずがない。空の聖女の力が発動するとも思えない。
と言うか暴走すると確信しているので使いたくない。
巻き込んでジ・エンドは嫌だ。
けど・・・・・・・・・う、うぅぅん。
「死亡フラグしかないね」
「言うなよ」
力なくヨフェスに頭を叩かれた。
深く、重い溜息を吐きだしたヨフェスは頭を抱えてしゃがみ込む。この世の終わりみたいな顔をするリグルは、先程からぶつぶつと何かを呟いていた。ぶっちゃけ、不気味だよ。
私はさほど痛くない頭を撫でながら、ゆるりと周囲を見渡して・・・あ。
「王都騎士団・・・」
見覚えのある白銀の甲冑と、もはや懐かしいとさえ感じる六芒星に世界樹の国章が揺れる旗が見えた。うわ、う・・・わぁ。王都・ヘルハイムの騎士団だぁ。
甲冑姿の騎士の後ろに見えるのは、白の軍服に紺色のラインは近衛騎士団・・・だね。間違いなく。猫友があの服を着ていたから、間違えるはずないし。あ、でも肝心の猫友はいないようだ。よかった、よかった。
・・・いや、よくないから。
「王都騎士団の人間が3人、近衛騎士団の人間が2人。・・・小隊って人数が少ないの?」
「少なくても11人ぐらいだから、少ないと言えば少ない。そもそもあれは小隊とは言わない。ただのパーティメンバーだ」
そんな情報はいらない。
「一個師団じゃなくてよかった、と喜ぶべきか、はたまた悲しむべきか。個人的に後者だな。光属性の魔法なんて武器に付属させんじゃねーよ」
「かすってもアウトだからね」
八つ当たりのように地面を殴るヨフェスの肩を、リグルが世を儚んだ顔で叩いた。いや、表情と言動が合ってないからね。
・・・どうしよう。
本当、死亡フラグしかない。
「・・・・・・あの、ねぇ。なんか・・・変な音、しない?」
騎士団の人間が歩く音とは別に、何かが軋む音が聞こえて2人に聞いてみたら怪訝顔を向けられた。なんか、解せない。
「音って、別に何も」
「え?だってこんなに・・・」
激しく鳴っているのに、聞こえないとはまさか心霊現象?
・・・ないな。うん、ない。
と、なれば――――。
「・・・あ、空間魔法にヒビが出来てる」
もしやと思ってリグルが張った空間を見上げれば、緋色の亀裂が見えた。うわ、蟻の巣みたいに細かい。
あ・・・これは、裂けるな。
軋む音から硝子が割れる音に変わった。う・・・わぁ、不吉な予感しかしない。頬が引きつる。
「・・・リグル」
「い、急いでたからちょっと、失敗したみたい」
「こんな時に失敗すんじゃねぇよ!馬鹿!おいこら、俺の眼ぇみて言え!馬鹿狐!」
「う、うううううううう煩いなぁ!焦って上手く魔法が使えるほど、僕は魔法に秀でてないんですよ!!」
2人がポカポカと互いを殴り合っている間にも、亀裂の数は増えていく。うわ、壊れた硝子みたいに破片が降って来た。火属性だからか、欠片の色は赤か。なんて幻想的で、綺麗なんだろう――なんて現実逃避はやめておこう。
身体に当たる前に粒子となって消えるそれを見てから、私は視線を騎士団がいる方へ動かした。
距離にして10メートル。
・・・魔法が消えたら、即座に見つかって殺される未来しか想像できない。
あ、でも私人間だから大丈・・・・・・じゃないな。魔界に人間がいたら、魔族に組したと認識されて殺される。敵認識されて人生終わりだ。
これで何度目の死亡フラグだろう。・・・今度こそ、詰んだ。
いや、いっそのこと制御できるか判らない空の聖女の力に頼ってみようか。自爆しそうな気しかしないけど、多少は生き残れる可能性があるはず。・・・あるといいなー。
「っひ?!」
とか場違いに呑気なことを思っていたら、硝子が割れる音がした。
え、ちょっと・・・!どう言うことだと音がした方を見れば、長剣を振りかざした姿からゆっくりと体勢を直す甲冑姿の騎士の姿があって。あ、コイツが空間魔法を切ったのか。とやけに冷静すぎる思考が答えを割り出した。
「こんなところでかくれんぼか、魔族め」
憎しみが籠った声に、ゾッと背筋が凍った。
冷やかな眼差しに慈悲の欠片は見当たらず、子供だからと言って見逃してくれる優しさはないように見える。・・・相当、魔族が嫌いなんだろうな。
纏う空気から「魔族は殺す、全滅させる」と言うのがありありと感じ取れる。
「小体長、魔族2人と裏切り者の人間を見つけました。今すぐに殺しますか?」
「げっげっげっげ・・・せめてもの情けだぁ。村と共に滅んでもらえぇ」
下品、と言える笑みを浮かべる小隊長と呼ばれた年老いた男が、値踏みするような視線を私に向けた。胸と腰・・・いや、下半身を見る眼はケダモノのソレだ、気色が悪い。
「待たれよ、ご両人。我らが皇帝陛下より直接賜った命は魔族を殺すことでも、裏切り者の人間を粛清することでも、ましてや村を滅ぼすことでもない。それは他の者にやれせればよいこと」
裏切り者の人間、ってところで私を見ないで欲しい。
視線から逃げるように顔をそらせば、ヨフェスが腕を引っ張って小さい背中に私を隠した。
おそらく、害意から護ってくれているんだろうけど・・・ごめん。身長差故にあんまり意味がないんですよ。でもその優しさに涙腺が崩壊しそう。
人界より、同族より、魔族の方が優しいよ・・・っ。
「――――っ!!!」
もういっそ、魔界に永住したい。この状況を脱して生きてたら!
半ば本気で思ってたら、刃物のような視線が突き刺さって身体が硬直した。こ、これは言わるゆる殺気ですね!・・・魔族に護られる人間の図に、不快感でもあったんですか。
恐怖からヨフェスの小さな背中にしがみつけば、右隣に立ったリグルがぎゅっと抱きしめてくれた。うう・・・君も震えてるのに、何かごめん。
軍服を着た、顔に醜い火傷の痕がある巨躯の男が一歩、一歩とゆっくりした足取りでこちらに近づく。ヨフェスが警戒し、獣のような唸り声をあげた。
巨躯の男が何かを確かめるように私を見る。その視線が、何かと比べられているようで嫌だ。
「その劣化した髪色に瞳の色。フィン様の妹であるリィン=アウラディオだな」
その言葉に、私の中からごっそりと感情が消えた。
「フィン様がお前を探している。大事な大事な、失いたくないほど大切な妹が消えたと泣いていた。さぁ、帰るぞ」
気づかいを見せるのは、私にではなく姉にだけ。吐きだす言葉に、私を心配する台詞がないのがいい例だろう。
「あまりフィン様を困らせるな、出来の悪い妹殿」
嘲笑するように私を見下ろすその瞳に、私と言う存在は映っていない。
あるのはただただ、姉に――フィン=アウラディオに対する狂おしいほどの愛慕だけ。反吐が出そうだ。
さっきまで確かに抱いていた恐怖も、不安も、何もかもが綺麗に消えた。
面識のない、初対面の人間に何故、私は貶されなければならない?どうして、出来の悪い妹と呼ばれなければいけない。姉がそう言ったから、知らない人間までそう呼ぶの――?
『リィンには何も出来ないわ。でも大丈夫、出来そこないでも私がいるから。愛してあげる。私だけが、アナタを愛してあげられる』
かつて、私にそう告げた姉の言葉が蘇る。
他の騎士団が同意するように嗤う声が聞こえる。耳触りで仕方がない。
私を抱きしめるリグルの腕に、力が籠った気がする。
「・・・うざい」
無意識に出た言葉は小さく、誰の耳にも届かなかった。残念、聞こえていたらよかったのに。心の中で冷笑する自分に気づいて、随分と冷静なことに気づいた。どうでもいいけど。
木の葉が音を鳴らす。
枝がしなるように揺れた。湖に近いからか、風が冷たく感じる。
「姉さんが私を探しているって、本当?」
「ああ、そうだ。フィン様は貴様がいないと涙を流し続けている。余程、フィン様に愛されているようだな」
「へけ・・・私、愛されてたんだね」
馬面の男の言葉に笑えてしまう。
愛、愛、愛・・・そんなもの、向けられた覚えはないんだけどね。私は。
「何を当たり前のことを。フィン様は誰よりも何よりも、貴様のことを愛している」
愛しているなら、妹の恋人を奪うの?
免罪符に出来ると思っているのかな・・・?
ああ、本当・・・・・・嘘つきだな。姉さんも、騎士団も。嘘つきしかいないのかな、人界には。笑えちゃうよ。
「私を連れ戻すつもりならどうして・・・・・・剣を向けているの?」
鋭い切っ先に眼を向け、次いで剣を持つ騎士を見た。表情は残念ながら甲冑のせいで見えないけど、嗤っているように感じる。たぶん、被害妄想が多大に入っているんだろうけど。
でもね、空気が嗤っているように感じたんだ。
その証拠とばかりに、軍服の人達も薄ら嗤いを浮かべている。ああ、気味が悪い。
「いえ、何・・・妹殿が死ねば、魔界に対しての戦争理由が出来ると思いましてな」
巨躯の男が悪びれもなく言う。
「300年前の戦争を繰り返すつもりか、愚か者が」
ヨフェスが馬鹿にした声で告げた。
背中越しに殺気に似た怒気を感じ、魔族にとって300年前の出来事はあまり良くない記憶何だろうな。と言うことだけは理解した。300年前に何があったのか、可笑しなことに人界では記録されていない。
断じて、私の記憶にない訳じゃない。違うから!
300年前に境界線と呼ばれる魔界と人界を隔てる、見えない壁が出来たことぐらい。
はて・・・人間は300年前に何をしたのかな?――どうせ、碌でもないことに違いない。
「不浄なモノはこの世に必要ないだろう?」
馬面の男がさも当然、とばかりに言う。・・・馬鹿らしくて頭が痛い。
「300年前は失敗した。だが、此度は失敗も失策もしない」
何故、巨躯の男は堂々とそう言えるのか。力の差を理解していないのかな?
「魔族により荒地に変えられた我らが陣地、取り戻させてもらおうかぁ」
小隊長が不敵に笑う。馬鹿だ、この人達。
「不浄・・・俺達が不浄だと?自然を壊し、喰らうことしかしないお前達に言われたくはないな」
ヨフェスの声が荒い。
相当、お怒りのようだ。
「300年前、魔族を恐れたお前達は恐怖に駆られ、魔界を、この村を襲撃した。それによって今まで保たれていた平穏が崩れ、俺達魔族が報復としてお前達がやったように殺戮と破壊をしたことを忘れたか?因果応報、自業自得、人を呪わば穴二つ」
嘲笑の声がする。
「もっとも、俺達はお前達みたいに犯しも、拷問まがいなこともしなかったがな」
「そんなことしたら、僕達の品位を下げちゃう。下等生物になっちゃうからね」
吐きだすようにリグルが言う。
私から腕を放し、ゆっくりと立ち上がってヨフェスの隣に立つ。ちらりと見た横顔は、何の感情も見えない無表情だった。・・・ちょっと怖い。
しかし人間、不可侵を無視して攻め入ったのか。魔族がいつ襲ってくるか解らない恐怖に負けて、無抵抗な人達を殺したのか。・・・最悪。そんな人間と同じ種族なのが最悪。
魔族は人間だからって差別しないのに、恐怖心って恐ろしいね。
いや、知らないから、知ろうとしなかったからの行動か。馬鹿らしい。
「その通りだな」
良く通るその声に、安心感を覚えて緊張感が消えた。
「俺達は人間とは違う。だが、売られた喧嘩を買って倍返しするけどな」
むしろ、喧嘩を売る相手を考えた方がいいと思うんだけどな。私は。
騎士団の人間が周囲を見渡す。
残念、四方八方に人影はないよ。ほらほら、そんな茂みを剣で突いても誰も出ないから。蛇でも出て欲しかったの?なんて、心の中で馬鹿にする。
気配も碌に探れなくて、よくもまぁ・・・騎士団に所属出来たモノだね。
・・・なんか、口が悪くなってる気がする。魔界の影響?
「とりあえず、眼ざわりだから消えてくれ」
上から青白い炎が流星の如く降って来た。何これ、怖い。
「・・・【meteora rossa】、だとッ!」
馬面の男が眼を見開き、即座に水属性の結界魔法を張った。
いや、張ろうとして、その前に炎を纏った流星に頭を潰された。ぐらりと身体が前に傾き、首から黒煙が立ち上る。肉が焼ける嫌な臭いがした。
血が出ていないのは、炎によって細胞ごと燃やされたからかもしれない。
残酷なその光景に、どうしてだろう。私は恐怖することも混乱することもなく、ただ静かに、物語を読むような冷静さで眺めていた。
もう、同族に対して・・・ううん。人界に対して、何の感情も抱いていないからかもしれない。
他人事のように、そう思った。




