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「恐れながらバルバゼス様」
信じたくないが、後の老武士が魔王の名を呼んだ。
と言うことは間違いなく、この眼の前の中年が魔王の1人なんだろう。うわ、想像してたのと全く違う。
魔族って、美形だらけじゃないんだね。
ちょっと賢くなったよ。
「ここに来た用件を果たすのが先と思います」
「ふん、解っているぅ!俺に指図するなぁ、老害がぁ」
「ッ・・・失礼いたしました」
うわ、うわぁ・・・殴ったよ。裏拳で殴りよったよ、この魔王。
派手な音をたてて壁にぶつかった老武士は痛むであろう右頬を押さえ、理不尽なことに怒ることもなく謝罪した。左の隻眼に諦めと、僅かな呆れが見える。あ、慣れですか。嫌な慣れだなぁ・・・。
後で軋む音が聞こえ、ちらりとそちらを向けばライさんが起き上がっていた。
「・・・」
暗闇で良く解らないけど、双眸に不穏な色が見えました。怖いっ。
「――――何故、ここにいるぅ?」
それは私にではない問いかけだった。
「『飽きた』の一言だけ書き置きし、魔界から消えた筈の貴様が何故、ここにいるのかと聞いているんだぁ。魔界が恋しくなったか、あ゛あ゛ん?」
と、なれば必然的に誰への問いか、なんて考えなくても判る。
「答えろぉ。――――魔界の王、ラインハルト=ガルム=ガルド=オーフェ!!」
怒号に近い叫びに、堪らず耳を押さえた。こ、鼓膜が破れる・・・っ。
それだけじゃなく、声に威圧を乗せていたのか身体が畏縮して上手く動いてくれない。声も出ない。石化したみたいに、指すら動かせないなんて。やっぱりこの中年、魔王なんだ。変な確信だけど、そう思った。
「別に恋しくはないが、俺が何処にいて何をしようと勝手だろう?なぁ、バルバゼス」
嘲笑の声が背後から聞こえる。
否定しないと言うことは、ライさんは魔界の王・・・つまり魔王の1人と言うことになる。
うわ、うわぁぁぁ。嘘だ。絶対嘘であって欲しかった。バルバゼスが魔王だってことと同じくらい、嘘であって欲しかったよっ!
「ま、あえて魔界に帰って来た理由を言えば」
ライさんの足音が近づいてくる。
それに相反してか、バルバゼスの顔が険しくなった。う、醜悪だ。
「魔界を案内するって約束したから、だな」
「戯言を」
いえ、事実です。
「戯言はお前の発言だろ、バルバゼス」
ライさんが喉を鳴らして嗤った。
見えないけど、絶対に底意地の悪い顔をしていると思う。その証拠と言っては何だけど、老武士が顔を真っ青にさせて冷や汗を滝のように流しているから。間違いはないと思う。
暫く私は床と仲良くして――ぅお?
「ほら、立って」
両脇に手を入れたライさんによって、強制的に立たされた。
仲良くしようと思ったのに・・・。唖然とする私を無視し、ライさんは肩を抱き寄せて身体を密着させた。こう、胸板に顔を押し付けるような・・・って、何で?!
これ、何か意味があるんですか!?
思わずフリーズ。いや、すでに身体は固まってたわ。突然のことに動転が隠せそうにないっ。ついでに顔の赤みもね!
うぁ、うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ、恥ずかしい!
「この俺の発現が、戯言だとぉ・・・?」
「俺がお前に渡すはずがないと解っていながら言ったんだ。十分、戯言だろうが。それと・・・この娘の価値、お前じゃあ理解できないぜ」
「き、貴様ぁ」
おおぅ、ちらりと視線をバルバゼスに向けたら憤怒に顔を染めていたよ。怖いってば!
「事実なんだから怒るなよ。ま、例え価値が解ってもお前には渡さないし、お前が持っていても分不相応だ。宝の持ち腐れ。豚に真珠」
ライさんが喋るごとにバルバゼスから激しい憤りを感じる。
と、言うか殺気に魔力でも込められているのか壁や鉄格子にヒビが入ってるんですけど。天井、亀裂が入って不気味な音をたてて怖い。崩壊しそうで物凄く怖い!
恐怖からライさんに縋りつきたいけど、ああもう!指すらまだ満足に動かないぃぃ!!
「まだ言い足りないけど、つまり――――人のモノ欲しがるんじゃねぇよ」
心臓が締め付けられるような恐怖を感じた。
シュチュエーション的に言えばときめくのだろうけど、いかんせん、冷たい北風のような殺気のせいでそんな余裕はない。顔は赤いけど。
ライさんの心音が規則正しいのがせめてもの救いですね!私は煩く鳴ってるけどね!
「あ、それと」
ついでのようにライさんが口を開いた。
「本人の意識を壊すことなく、記憶の改正をちゃんと行えよ――ツヴァイン翁」
「!」
知らない名前に驚いたのは、バルバゼスだけだった。
背後にいた老武士は眼を閉じ、静かに佇んでいる。まるで眠っているみたい・・・じゃなくて、意識がなかったようで膝から崩れるように倒れた。
それに気づいたバルバゼスが背後を振りかえり、暫し呆然とした後に品のない笑い声を上げた。唾が飛んで汚いよ。
「ひひ・・・くひひ・・・くっひっひっひっひ。よもや、魔王たる俺の下僕を諜報に使うとはなぁ。久方ぶりに驚いたぞぉ」
パンパンと肉付きの良い手で喝采するバルバゼスは、愉快だとばかりに笑う。その表情に嘘偽りはなく、本当に楽しそうだ。
えっと・・・つまり?
「それで、いつまで隠れてるつもりだ。いい加減、出て来いよ」
呆れたライさんの声に返答するように、倒れた老武士の身体から黒い霧が現れた。
なにあれ?
魔法?
「魔王に対して失礼とは思いましたが、バルバゼス殿。情勢を見るためにはいたるところに耳目はあるべきと思いませんかな?」
物凄く渋く良い声が黒い霧の中から聞こえてきた。
「それに何より――気づかれなければ何も問題はない。そうではありませんか、バルバゼス殿」
黒い霧から現れたのは白く長いヒゲを三つ編みにし、赤い紐で結んだ姿が特徴的な隻眼の――ナイスミドル。
黒に赤いラインのある軍服を着た姿は、ただそこにいるだけで威厳を感じた。襟元にある階級章――残念ながら私は魔界を知らないので、この人がどれだけ偉いのか解らない。けど、金色に輝くソレはかなり高位の存在じゃないかと思える。
だって雰囲気が歴戦の将って感じだから。
バルバゼスは喉を鳴らし、おそらくツヴァイン翁の言葉に頷いた。
意識を完全に失っている老武士を一瞥し、バルバゼスは口角をつりあげた。にたりと笑えば、眼に痛い金歯の犬歯が見える。成金趣味か、悪趣味めっ。
「違いない、違いない。今回のことは教訓にさせ、下僕らを鍛え直すことにしようかぁ」
「それがよろしいかと」
平坦な声でそう告げたツヴァイン翁は、冷やかな色を宿す左の隻眼をライさんに向けた。
「さて」
閉じられていた右眼が開いて、左眼と異なる藍色が見える。――宝石みたいな輝きだけど、まさか宝石な訳ないよね。
「我らが魔王陛下にいくつかお聞きしたいことがありますが――――その前に、牢屋から是非とも出てきてもらいたいものですな」
「・・・ん?」
我らが魔法陛下・・・?確かにツヴァイン、と呼ばれた老人はそう言った。聞き間違いでも幻聴でもないから、間違いはないはず。だけど――。
だけど、その名で呼ばれるのはただ1人――魔界の王のみ。
「え、ライさんただの魔王じゃなくて魔界の王なの?!」
「そうだけど?」
あっさりと即答され、どう反応していいのやら。
「あ、コレはツヴァイン=ディ=アーク。通称、ツヴァイン翁。魔界の軍を総括する軍師の1人だ。ついでに言えば俺の教育係だった。怒らせると怖いから気ぃつけろよ」
それは・・・怒られることをするのが悪いんじゃないだろうか?
「それで、そちらの娘さんはどこのどちら様ですかな?」
「人間って解ってる癖に聞くか?」
「ええ、聞きますとも」
何だろう・・・ツヴァインさんが喋るたびに空気が冷たくなっているような。気のせい?
ぶるりと身震いする私をさらに抱き寄せ、ライさんが困ったように溜息をついた。・・・あ、違う。困ったようにじゃなくて呆れた、だ。あの顔は絶対、呆れた顔だ!
「魔力を込めるな、魔力を。下手したら凍死するぞ」
「人間は脆弱で困りますな」
まったく困っていない表情で、冷めた眼を向けられながら言われても。
えっと・・・とりあえずライさん、私を解放してくれませんか?なんか、物凄く居心地が悪いんですよ。はい。ツヴァインさんの視線が冷やかさを増して痛いんです。
視線で死ねそうな程に!
漸く動けるようになった身体で必死に、それはもう一生懸命にライさんの腕の中から出ようともがくけど・・・無理だった。
「この暴れてるのがリィン・・・・・・なんだっけ?」
「リィン=アウラディオです!それはいいから放してください。一刻も早くっ」
「そうそう、リィン=アウラディオ。人界で死にかけてる所に遭遇して、リタンに脅迫されて旅の同行者になった関係」
事実だけど言い方!
言い方ってものがあると思うんですけどっ!
「で――俺のお気に入り」
その一言が原因だろうけど、ツヴァインさんが魔法を使っていないのに石化した。それはもう、見事に音をたてて。
「無気力・無関心・無興味な貴様が・・・お気に入りだとぉ?」
信じられないと大きく眼・を見開き、ライさんを指差すバルバゼス。
「天変地異の前触れかぁ?」
「酷くね?」
「面倒くさがりで適度に不真面目、力を抜く所を思いっきり抜いて駄目っぷりを見える貴様にお気に入りが出来た、という事実自体が信じられんからなぁ」
ライさんの評価が酷いけど・・・否定できない台詞だな。
・・・ん?と言うことは、アルディアーノのあの台詞ってライさんのことだったんだ。うわ、本人眼の前に凄いこと言ったな。そう言えば彼女、どうなったんだろう?
今更だけど生存が気になる。
出来れば生きてて欲しいな。魔族とは言え、誰かを殺すのは嫌だし。
「あ、そう。・・・そう言えば人界でお前の淫婦と遭ったんだけど何?お前、人界侵略でも考えてんの?止めてくんない、そう言うの。面倒事って俺にまで来るから嫌なんだよ。もしそうなら俺の代わりに魔王陛下になってからしてくれよ。むしろ魔王陛下になれ」
「出来るか、馬鹿がぁ。そもそも何故、俺が人界侵略などしなくてはいけないのだぁ。淫婦など知らん」
「十貴族の落ちぶれ令嬢」
「知らん」
「お前の寵愛を受けてる、とか言ってたけど・・・・・・ああ解った、解った。その心底不愉快ですって顔見たら解った。あっちが勝手にそう言ってるだけか。苦労するね、モテる男は」
物凄く、ツッコミを入れたいけど我慢する。
と、言うかこの2人。
「魔王同士って仲良いんですね。てっきり、覇権争いとかで不仲なのかと思ってました」
「そうそう、俺とバルバゼスは仲良しなの。面倒なことは全部、バルバゼスに任せて俺は悠々自適に逃避行に行けるほどの仲良しさん」
「・・・・・・コレに戦いを挑んでも負けるのが眼に見えているから、俺は適度な仲を保っているだけにすぎん」
苦虫をかみつぶした顔でそう言ったバルバゼスに、同情の眼を向けてしまった。
「こっの怠惰の魔王が少しは働けぇ!」
「働いてるぜ、給料分だけど」
「何故、この俺が貴様の分まで働かなければならない!俺は強欲の魔王だぞぉ!強欲とは言え仕事にまで強欲にはなりたくないわぁ!!」
「陛下のお気に入りとか仕事をしないとかそんなことよりも!」
おおっと、ここで石化していたツヴァインさんが復活!
鋭い眼光が私を射抜き、思わず身震いした。な・・・何ですか?
「その娘は何者ですか?ルシルフルによればヴォルヴァでの件はこの娘が原因とのこと・・・人間が使う旋律とは異なる言葉を口にしたようですが」
「人間とは異なる・・・成程なぁ。確かに、貴様には価値のある人間だなぁ。俺にはとっても、だがぁ」
「やらねぇぞ」
ぐぇ・・・!それ以上抱きしめないで、中身が出そうっ。
バルバゼスとライさんの会話で察したのか、ツヴァインさんが驚いた顔をした。何に驚いた?
「まさか陛下・・・・・・仕事を放棄して魔王城から逃げ出したのは、空の聖女を探すためだったのですか!?」
「そうそう、そうなんだよ。俺って面倒事嫌いだろ?時間がかかりそうなことは手早く済ませようと思ってな」
嘘だ、絶対に嘘だ!
適当なことを言って感動しているツヴァインさんを騙してるんだ、絶対!バルバゼスも小さく「嘘つきめぇ」って悪態ついてるからね!気づいてツヴァインさん。
ライさん、仕事が嫌で逃げた先で偶然に空の聖女を見つけただけだからッ。
「では、その娘を連れて魔王城へと帰還いたしますか」
「え、やだ」
ツヴァインさんの顔が般若になった・・・!
「帰還していただきます、陛下」
「嫌だって言ってんだろうーが」
「き・か・ん・していただきます」
「嫌だってばー。帰っても仕事、仕事、仕事ばっかりだろう?飽きたんだよ。他の奴にやらせろよー」
「陛下の判子待ちの書類が山とありますから、帰りますよ」
「えー・・・。そんなの、俺の代わりにバルバゼスがやってくれるって。魔王なら誰が判子押したって代わりねぇし。よ、流石は強欲。仕事にまで強欲なんて素晴らしいね」
「んなぁ!?こ、これ以上俺に貴様の仕事を肩代わりさせるつもりかぁ!」
「他の魔王に迷惑をかけるなと、あれほど言ったというのに・・・っ」
真っ青になるバルバゼスと、憤怒に顔を染めるツヴァインさん。
左手で耳穴を弄るライさんは、2人の叫びを聞いているのかないのか・・・前者ですね。顔を見れば判ります。
で・・・あの、何で荷物みたいに小脇に抱えてるんですか?嫌な予感しかしない。
「じゃ、そういうことで」
何がそう言うことなのか明確に告げる前に、ライさんは魔法を使った・・・と思う。
「陛下・・・っ!」
「き、貴様ぁ!」
精霊の詩がないからどんなのを使ったのか判別出来ないけど、多分――風の拘束魔法だと思う。
風を纏った緑色の鎖が厳重に、それはもう猛獣でも縛るようにバルバゼスとツヴァインさんの動きを封じているから。わぁ、床に縫いつけられた。別の魔法も使ったんですか。
やっぱり規格外だ、ライさんって。
「魔界を全部案内し終わったら帰るよ、たぶん」
輝かんばかりの笑顔を浮かべ、ライさんは明るく告げた。
「追手を差し向けたら――――誰だろうと殺す」
それは、部下であろうと容赦はしない。と言うことなんだろう。
ライさんの表情を見るからに、嘘でも冗談を言っているようにも見えない。本気だからこそ恐ろしい。
あぁ・・・確かにこの男は人でなしだ。
けれど、そんな人でなしに私は救われた。力を使いこなすまで護ってくれると言われた。それが一時の退屈しのぎでも、約束を果たしてくれるならいっか。と思える私の感覚は麻痺しだしているのかもしれない。
なんて、苦笑した。
「それじゃ、仕事は任せたぜ――バルバゼス」
語尾にハートがついてそう。
「ふざけんなぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
バルバゼスの絶叫を聞きながら、ライさんは牢屋からようやく出た。
拘束された状態でもがくツヴァインを見下ろし、にこりと笑う。うわ、なんてあくどい笑みなんだろう。
「魔法使っても無駄だから、自然と解除されるまでそのままだぜ」
「ぐぅぅぅぅ・・・この借りは、いずれ必ず返させてさせていただきますぞ」
「あ、そう。頑張れ。俺はもう忘れる」
素っ気ない。
素っ気なさすぎじゃないですか、ライさん。
ツヴァインさんが血涙流して睨んでますよ?オドロオドロシイ何かを纏ってますよ?
その対応でいいんですか?
――よくもまぁ、下剋上も反逆もされないものだ。
「さてと、リィン」
その笑顔に寒気がした。
「何処でもいいから転移、しようか」
「ど・・・何処でもって」
「俺としては辺境の地・・・そうだな、人が少なくて街も国も大きくないけどそれなりに賑わって、娯楽がある場所がいいな」
どこだよそれ。
唖然とする私を無視して、ライさんはまた映像を私に見せる。やめてー!今、ここから逃げたら共犯者にされるから止めてー!と思っても、流れる情報に耐えきれず眼を瞑れば、巨大な湖の傍にこれまた巨大な古木が見えた。どこここ・・・?
古木の周辺にヴォルヴァやエッダに比べると少ないけど、立派な建物が見える。建物はヴォルヴァよりも故郷に近いかもしれない。妙に懐かしさを覚える建物に、行ってみたいな。と思ったのが悪かったんだと思う。
「んぁ!?」
「よしっ!じゃ、元気でなー。仕事は任せた」
黒い何かに呑みこまれる――その瞬間、ライさんは物凄く無邪気な笑顔で罵詈雑言を浴びせていた2人に手を振った。
いや、いやいやいやいやいやいやいやいやいや!
待って、お願いだから待って良く解らないこの力!
私、共犯者だって思われるのも嫌だし、呪い殺しそうな眼を向ける2人の魔族を敵に回したくないんですけどっ!
お願いだから制御されてよ!!
――なんて願い虚しく、私の視界はブラックアウト。
ああ・・・死亡フラグがまた1つ、生まれてしまった。泣きたい。




