父へ
その道を追いかけることはしない。
彼は明け方前に漁に向かう。
電灯が一本だけ立つあの波止場から。
子はまだ眠っている。
彼の妻は毎回味噌汁を暖める。
ニットを被りジャンパーを這おって家を出る。
波止場に人はない。
黙々荷物を船に下ろす。
空にはまだ星と月がある。
風は山から海に向かって吹き下ろす。
何か事が有れば海の果てに流れされるだろう。
彼は一本のタバコに火を付ける。
魔性は光と煙を嫌うから。
願掛けにいつも一本だけ吸う。
火を付けたまま潮の先を見つめる。
船のエンジンは山影に反響して鳴る。
そのざわめきだけが彼の船出を見送った。
今はまだ目には見えない。
まだ見ぬ成果を見るために。
彼も夜が更けて家路へ向かう。
街灯の立ち並ぶあのマンションへ。
子はもう眠っている。
妻は毎回夕げを暖める。
ネクタイを直しコートを羽織り会社を出る。
町には人が溢れかえっている。
黙々進み終電に乗り込む。
星はないが故郷と同じ月は見える。
風はビルの谷を四方に走る。
何も事が無ければこのまま我が家へ帰れるだろう。
彼も一本のタバコに火を付ける。
父の勇姿を光と煙に見たから。
帰りがけにいつも一本だけ吸う。
火を付けたまま街の灯を見つめる。
終電の車輪は空気に反響して響く。
その音を聞きながら誰かの帰宅を見送った。
父もきっと眠っている。
明日の漁に向かうために。
その背中を追いかけてはいるけど。