三日目‐3 ともやのこと
私に残された時間は少ない。
もう一つ、やらなければならない事がある。
五年間逃げ続けた決着を、つけなければならない。
「おい、いるんだろ」
少しの間をおいて、ヤツが出てくる。
「なんだよ、いちゃ悪いかよ」
ふて腐れた表情だ、仕方ないか。
「飴やるよ、ソーダのヤツだぞ」
「飴なんかで機嫌とろうっていうのか?」
こっちを睨みつけながらも、しっかり右手は前に出している。期待を裏切らない素晴らしい反応だ。
「お前も私にやっただろ? 未遂だけど」
既に口の中に飴を放り込んだせいで、黙ってころころしている。凄く反論したいといった表情だ。
「私は明日帰るんだ、今日が最後だぞ」
きょとんとした顔でまだころころやっている。噛み砕いちゃえばいいのに。
「ぁんへぇだお、もぉっほいいえわぇえあん」
そこまで、でかい飴ではないと思うんだけど……。コイツは口を閉じないで北海道と言わせたら、ホァッカイダァーとかおかしな発音をするタイプだろう。
飴玉を与えたのは私なので、諦めて飴玉を食べ終えるまで待ってやる事にした。
その間私は、自分の食べた美味しい棒と言う名の罪の数を数えながら、カロリーと言う名の業を計算を始めた。
私の背負った業は余りにも大きく、もう過去の自分を抹殺するしかないな、と思った。絶望に打ちひしがれている私に声がかかる。
「何してんだよ? 変な顔して」
やり場のない怒りをぶつけてやろうかと思ったが、年上なのだから、と感情を押さえ込んで一言。
「ウルセーヨ、ナンデモネーヨ」
とだけ返事をした。珍しくしおらしい態度を取っていた。空気を読む、が出来るようになったようだ、偉いぞ少年。男子三日うんたらかんたらとか言うけど納得だな、毎日会ってるけど。
「明日帰っちゃうってホントか?」
「少年よ、ホントだ」
なぜ嘘を吐かなければならないのか。
「お前、寂しくないのか?」
「むしろ少年が寂しいんじゃないか?」
何を考えてるのかなんて分らないけど、困った顔をして言う。
「そんなにさみしくなんて無いよ。でも、もっと寂しいのは俺じゃないんだ」
なんでそうなっちゃうかな、これじゃ私が完全に悪者だ。そうだけどさ……。
発端は私だけど、そこまで悪者になるつもりはないんですよ。君にばっかり負の感情を押し付ける事になったのは私の業だろう、それにヤス兄を巻き込んでしまったのもまた私の業だ。
私が始まりを作ってそれが連なってここまで引き伸ばしてしまった。分かっていたつもりだけど、やっぱり、きっついなぁ。
汚れた存在を実感させられるのは、どうしようもなく辛い。コイツの存在が汚い私をより際立たせてしまう。ここまでお膳立てされなきゃ、私は何も出来なかった。結局、流れに任せて自分からは動けないダメな奴だ。
でも、私は今、チャンスを貰ったんだ。
ちゃんと、伝えるんだ。
怖くて声に出すことが出来なかった一言。
「トモ……」
やっと名前を呼べた、ずっと怖くて、呼べなかった。
「俺はちゃんと知ってたんだぜ? 夏子」
「私だって……ちゃんと解かってたよ。でも、名前、呼べなかった」
ちゃんと喋れてるのか自分でも不安になるような震えた声だった。
「ありがとう。私に会ってくれて」
「ナツコは怒ってばっかだったな。あと口が悪くなった」
こんな時にまでまだ言うか。
「こういう時は恰好つけた事言うんだよ、わかってねーな」
「大人ぶってんじゃねーよ、子供の癖に」
私の精神年齢は、随分と低いみたいだ。売り言葉に買い言葉で言い争うなんて。
でも、こういうの悪くない。
「ヤス兄には会わなかったの?」
「見えてないんだ、兄ちゃんって呼ぶと、たまに気付くけど……」
「ごめんね、トモ……」
胸が苦しい。
「ごめん、ごめんね、私があんなもの渡さなければ、きっと今も三人でいられたのに」
トモが私の手を強く握ってくれた。ちゃんと触れることが出来てる。ちゃんとあったかいのに……。
申し訳なさとトモの優しさのせいで、今までの隠してきた気持が、押さえつけていた気持が、反動で一気に涙が溢れてくる。
「やめろよ、そんなのヤだよ!」
急に大声を出すもんだから、びっくりするじゃないか。
「兄ちゃんも、泣きながら謝ってたんだ。俺、いいよって、怒ってないって、ずっと言ってたのに、聞こえてないみたいで。泣いて欲しくなんてないのに」
トモの声音が小さくなっていく。
「それなのに、いつも兄ちゃんは悲しい顔してんだ……毎日……」
トモの言う毎日はきっと夏だけなのだろう。あの川の景色に切り取られた夏だけがトモの毎日だったんだ。成長していくヤス兄を、どれ程の辛さで見ていたのだろう。
トモが感じたであろう大きな、余りにも大きな悲しみは、生を持つ私なんかでは到底理解できないだろう。
「ナツコはずっと見えなかったしな」
トモは見えないと思ってたんだ。私が逃げ出したなんて、思わなかったんだ。
私はもう耐える事は出来なかった。
「泣かないでくれよ!! 夏子にも会いたかっただけなんだ……あと兄ちゃんにも……」
言い終えてトモは顔を赤くした。
「私に会えて光栄だろう?」
偉ぶったけどぐずぐずの鼻声だった。ダサい。
別に、と小さく呟いてそっぽを向いた姿はやはりあの当時のままだ。勝手に自己満足をして、踏ん切りをつけて終わるはずだったのに、トモにおんぶに抱っこになってしまった。
もう少しだけ、この時間を過ごしたいと思うのは我侭が過ぎるとは思うけど、自重しようなんて思えるほど私は人間出来てない。
私が泣いている間は、トモは優しいから居てくれるんじゃないかって甘えさせて貰うことにする。
私は聞きたい事が二つあった、あの日トモは私を誘いに家まで来たのか、それとなぜ虫取り網と虫篭を持っていったのか。
「あの日、私の家、来たの?」
「行ったよ、気が変わってたら可愛そうだと思ったからな。夏子、起きなかったけど」
ちょっとむすっとした顔で言う。
「あとさ、なんで虫取り網と籠持ってった?」
何言ってんだコイツって顔で私を見て言った。
「だって、鬼火を見つけたんだろ?」
そうか、トモは鬼灯を鬼火って読んだのか、だから夜中だったのか。それにしても鬼火を捕まえる気だったのか……。私はあの時の折り紙を取り出してトモに見せた。
「これはね、ほおずきって読むんだよ、勉強になったね? トモ」
みるみる顔を真っ赤にして「知ってるよ!」なんて怒鳴る。本当に私はバカなことをした。
「ごめんね、トモ」
まじめな顔つきになったトモがいう。
「いいんだ。夏子、笑ってくれたからな!」
最後の最後で格好付けやがって、これじゃ笑って送ってやれないじゃないか。
「じゃあな!」
だんだんと姿がかすんで行く。さっきまでちゃんと触れることが出来たのに。
「もう会えないの?」
私には格好良くなんて出来なかった。さっき泣いたばかりなのに、ぽろぽろと、止まらない粒がいくつも、いくつもこぼれて落ちた。
トモが、困った顔をしながら見えなくなってしまった。
青く青く高い空から降り注ぐ陽光は、木々がそれを独り占めするように伸ばした枝や葉に遮られている。それを逃れた光はきらきらと川の流れに溶け込んで流されていった。




