過去と探偵
多くの人にとって過去とは、文字通り過ぎ去ったものでしかなく、過去を振り返り、懐かしむものでしかない。
だが、過去とは過ぎ去ったものではない。
過去を忘れたものに過去が牙を剥く。
過去の過ちを覚えるものに罪悪感を。
隠されたり、捻じ曲げられ、すれ違い、思い違い、過去とは見えづらくなり、聞こえづらくなり、分かりづらくなっても、何処かにあるのだ。
探偵とは過去と切り離せないものだ。
それが自分のものであったり、他人のもであろうが、探偵はそれを燃やし続けて、暗闇を照らすのだ。
ただ、それは探偵の言い分であり、探偵ではないお仕事中のメイドさんに聞く事ではない。
「そんな事で、わざわざ仕事の邪魔をしに来られるとは、余程お暇なんでしょうねぇ」
食事の支度をしているのだろう、野菜や魚がまな板の上に並べらている。
そう、食事の準備をしているのだから、包丁を持ったまま、こちらへ身体を向けても、致し方ない事であり、その切っ先が偶々僕に向けられていると思いたいと、一種の自己防衛気味に考えてもみたが、どう考えてもお仕事中の川中さんの怒りしか感じない。
なにも暇すぎて、退屈しすぎて、川中さんのお仕事の邪魔をしに来たわけでは無いと、弁明することは、可能ではあるけれど、弁明したところで、彼女の怒りが鎮まるともかぎらない。
いや、むしろ弁明することで、この状況が改善するという、僕にとって都合の良いようなビジョンは見えてこないし、川中さんの怒り炎にガンガンと石油をぶち撒けるような愚行としか思えない。
誰にだって経験した事があるだろう、何か言いたいことあるのならば言えばと言いつつも、喋ったら烈火の如く怒りだすという理不尽な空間に存在するあの辛さが、僕に今襲いかかっている。
そして、僕の助手はそれを察する事もなく、助け船どころか、僕に追いうちでトドメをさすかのごとく、口を挟んだ。
「じゃあ、そう言う無駄口はいいですからぱっぱと教えてくださいよ」
もっと他にもいろいろと言うべき言葉があるはずなのに、ロボ和歌子初号機のコンピューターは、なんでギャルゲーのバッドな選択肢を選ぶ縛りでもしているのか。
「所長、やっぱりメイドルート選んだのは失敗したんじゃないでしょうか?」
逆風、逆流、逆境とロボ和歌子初号機はいったいいくつ僕にそのシュチュエーションを提供しようと言うのだろうか。
そのシュチュエーションに対応出来るほど、人間できていないし、涼しくすまして、我関せずのように出来るほど、ロボットでもない。
「じゃあ、とっとと帰って貰うために喋りますから聞いてくださいよ」
ドンっとまな板まで叩き割りそうな勢いで振り下ろされた包丁が人参を無残に真っ二つにする。
「お見せした通り、食事の準備に忙しいものですから」
「じゃあ、お嬢様と緑川さんが友達になったきっかけはなんですか?」
「知りません、要件が済んだのでしたら準備の邪魔ですのでお帰りください」
とっとと出ていけと、実にわかりやすいものだった。
本当はおそらく知っているだろうけれども、これ以上聞き出すのは、もちろん僕には無理であるし、ロボ和歌子初号機にだって答えてくれるはずもないだろう。
お礼もお詫びもそこそこに、これ以上川中さんの機嫌を悪くする事を避けるために、逃げるように飛びだした。
「所長、まだ聞きたい事があったのですが」
「あれ以上聞こうとしたら身が持たない」
「どれだけ、所長はヘタレているんですか」
「過激なだけだと思うけどね、もう目眩とか冷や汗が止まらないかと思ったよ」
「しかたありません、門番の茂田さんにでも話を聞きにいきたいところですが、部屋に戻りましょう」
それは実にありがたい申し出で、断って調査を続ける理由もなく、部屋に戻ることにした。
「そう言えば、聞きたいことってなんだったの?」
「お嬢様がたの小さい頃の写真をお持ちであれば見せてもらいたかったのです」
「小さい頃の写真か」
仲良く写っている写真があれば、小さい頃から仲がよいという事実の証拠になるだろう。
「まぁ所長のせいで、言い出せませんでした」
「僕が何をしたって言うのか」
「まぁメイドルートとかいう変態に写真を見せるとは考えづらいですから」
いや、確かに僕も言ったけど、僕のせいなのそれと言いたいけど、言えずにいる。
過去とは、過ぎ去ったものではなく、いつのまにか自分を苦しめるものなのだ。




