例え、全てが違っても
「美味いか?」
「――まぁまぁね。悪くないわ」
「そうか」
彼は、彼の食事を頬張りながら子供じみた虚勢を張る私を怒りもせず、ふと笑った。
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何日も食べ物を口にしていなかった。今日こそは何か食べないと死んでしまう。微かに漂う美味しそうな匂いにつられ、足を踏み入れたのは彼のところだった。
彼が食事を残して、その場を離れた隙に駆け寄ってがっついた。
匂いどおりそれはすごく美味しくて、生まれて初めて口にするものばかりだった。
つい食べることに夢中になり、ここの主が戻ってきたことに全く気付けなかった。
いつの間にか戻ってきていた彼は、近くで見るとものすごく大きかった。
筋肉質な身体はがっしりとしていて足が長い。小柄な私が見上げると首が痛くなるほどだった。
正直、殺される、と思った。
すみかに勝手に入り込んだ上に食事を盗み食いしている時点で何をされても文句は言えない。
慌てて逃げようとした私の背中に、思いがけない言葉が投げかけられた。
「食べていけば良い」
とても優しい声だった。驚いて振り返ると彼は精悍な顔を和らげた。
どうしてだか、私の足は逃げることを止めた。
******
洗ったように皿を綺麗にしてから、少し距離を取って座っている彼を見た。
「ありがとう」と言おうか「ご馳走様」と言おうか――どうでもいいことで悩んでいると、彼が先に口を開いた。
「久しぶりに自分以外の仲間を見たよ」
「そうなの?」
窓の外に人の姿は見かけるが、この殺風景な空間には彼以外誰もいない。彼の世話係は仕事が済ませると忙しそうに出ていってしまう。
正確に言うと彼と私は同じようで少し違う。
少し怖いと思えるほどの精悍な顔立ちや、立派な体つきも私の周りにはいない。私を追いかけ回してくる乱暴なボスですら、彼と比べれば子供みたいに思えてしまう。
「寂しい?」
聞いたところでどうにもできないくせについ言ってしまった。でも彼は顔を顰めることも呆れることもせず、無表情のまま空を見上げた。
「寂しくはないが――」
そこで彼の言葉は途切れた。私には彼が何かを諦めているように思えて仕方なかった。
何もない、誰もいないこの狭い空間でただ一日を過ごす。
食事もろくに食べられないし怖い思いもするし嫌な男には追いかけられるけれど、それでも遮るもののない広い世界で暮らしている野良の私には、それがどれだけのことか想像すらできない。
気が付けば私は背伸びをして彼の頬に口を寄せていた。しばらくして我に返ると彼は目を丸くして私を見下ろしていた。
しまった、と思ったがもう遅い。だから必死に取り繕った。
「ご、ご飯の――お礼、だから」
我ながら苦しい言い訳だと思う。恥ずかしくて視線を下げた。
「そうか」
その声はどこか楽しそうで、ふと顔を上げると頬を優しく舐められた。
噛まれる、と咄嗟に身構えたけど彼はそうせず、ただ優しさだけを残して離れていった。
「お礼のお返しだ」
そう言って今度は首筋に顔を埋めた。
「な、お返しって――」
お礼にお返しされたら、この後私はどうすればいいのよ?
でも不思議と嫌じゃなかった。むしろ心地良いとさえ思ってしまう。
だから私もお返しのお返しとばかりに彼に身体を低くしてもらい、額や耳元を舐めた。
どのくらい時間が経ったのか、奥の部屋で人の気配を感じた。
きっと世話係だ。
彼も気付いたようで身体を離して視線を向けた。
もう少しいたかったけれど、仕方なく私はすっと立ち上がった。
「また来てくれるかい?」
立ち上がっても座っている彼の視線は私の頭上にある。
「――ご飯の時間にね」
私はさよならの代わりに彼の首元にしがみついた。
それから私は毎日彼の元に通っている。
最初は食事の時に顔を出していただけだったけれど、今では一日一緒にいる。
彼の世話係も、私が彼の傍にいても追い出そうとしなくなった。
だから来ても良いものだと勝手に解釈している。
どうせならずっとここにいれば良い、と彼は言ってくれるけど、私だってそこまで図々しくない。
ここは本来、私がいていい世界ではないことくらい知っている。
だから夜になると私は自分の世界に戻っていく。そして朝がくれば私は彼に会いに行く。
例え種族が違っても、住む世界が違っても彼のことが好きだから。
ただ、彼の傍にいたいから。
動物園のヤマネコに一目惚れした野良猫の話に、こんな風だったらいいなぁと脳内補完しながら書きました。
見た目もだけど、ふらりと来た野良に餌をあげるところとかヤマネコが男前すぎると思う。