温泉はゆっくりくつろぐ場所
「ぷはぁー……」
と、売店で売っていた神様牛乳を一本飲みする裏方の神、月裏ラキナエル。そんな姿を見て後ろに居た試練の神である日向ラファエルは残念そうな目で見ていた。
「月裏。いくら温泉上がりに牛乳は美味しいと言うのは私でも知っている事だが乙女が易々とやって良い物かどうかと言えば、違うと思うぞ。温泉上がりに牛乳を飲まないと言う選択肢は、ある意味乙女にとっての試練である!」
「こんな時まで試練、試練と言わないでくださいよ。ここは旅館なのですから」
『理想郷温泉 ミランダ』。
それが今、月裏と日向の居る場所であった。温泉の神である天見ミランダが経営しているこの旅館へと、日向ラファエルは天見アバユリに連れて来られたのであるが、天見アバユリが連れて来られたのは月裏ラキナエル、戦恋ルルリエル、そして新たに任命された転送の神もまた天見アバユリに連れて来られていた。
月裏と日向の2人は温泉からあがって、浴衣に着替えている。ちなみに月裏の浴衣の色は桃色、日向の浴衣の色は黒である。
「温泉は疲れを癒す場所であって、試練の場所ではないですと思いますよ。日向ラファエルさん」
「人間であろうと神様であろうとも、常に何者も試練を受けてその試練に打ち勝つしか方法がないのだよ! 常に試練をやるしか方法がないのだよ、月裏さん」
「……そう言われても――――――」
と、日向に文句を言おうとする月裏だったが、後ろから出て来た人物を見てニヤリと笑う。
「……はぁ? 何、笑ってやがるんだ、月裏。ここは上司として部下のちゃんとした教育をだな……」
「――――――温泉は休息の場であり、上司部下と言う仕事上の関係を誇示する場所ではないと指摘してやろう」
その声に驚いて日向が後ろを見て、明らかに動揺の顔を浮かべる日向。そこに居たのはガスマスクを付けた男性、天見アバユリの姿があった。当然、彼も藍色の浴衣を着ていた。
「……あ、アバユリさん? なんでここに居るの? 確かまだ温泉に入ってたんじゃ……」
「温泉は休息の場であり、適当な時間で切り上げて温泉から出て来たんだけれども。良いタイミングで出て来たようであるな。
……あっ、そうだ。ラファエル。ちょっと鶴の間に行ってくれないか? ルルリエルが呼んでるらしいよ」
「戦なんとかさんが? 用件は何か言っていました?」
「確か、『大やけどした部分に塩水をかける簡単なお仕事をしたい』と言っていたな。『ラキナエル虐めの犯人を痛ぶるようなとても清々しいお仕事』とも言っていたような……」
「嫌な予感しかしないけれども、ちょっと行ってみるわ。じゃあな、月裏さん。アバユリさん」
そう言って、明らかにがっくりした様子で日向は旅館の客室の一つである鶴の間へと向かって行ったのであった。残されたのは月裏ラキナエルと天見アバユリの2人。
「一応これで助かったか、月裏。なんだか困ったようだからちょっと話しかけてみたんだけれども。間違っていたとするのならば、謝罪するしかないが」
「いや、助かりました。……ありがとうございます、アバユリさん」
「ならそれの意趣返しと言う訳でも、恩返ししてと言う意味でも無いのだが、少し助けてくれないか。
この前決まった転送の神の主神さんとも交流を深めておかなければいけないから、ここに呼んだはずなんだけれどもどうやら少し前の場所で道に迷ったらしい。と言う訳でちょっと道案内を頼めるか。電話は繋がっているはずなんだがどうもまだ電波が悪いようでな……。確か月裏は道案内が得意だったよな」
「えぇ、まぁ。アバユリさんよりかは……」
そう言って、天見アバユリは月裏ラキナエルに通信用の装置を渡す。渡された通信用装置を耳に付ける月裏ラキナエル。
「はい、もしもし。私、天見アバユリさんから変わりました裏方の神である月裏ラキナエルと申します。私が今からあなたを誘導……」
『そこに存在せしめし者は我に道を指し示す希望の使徒であるか』
「えっと……存在せしめし? 希望の使徒?」
『我、只今長きに渡る沈黙の時がいつ破れんばかりと示唆していたが、遂に今、長きに渡る暗黒の世の停滞が終わろうとしている』
「えっと……ところで今はどこに居るんですか?」
『我、清浄なる手のある方向には強大なる風の結晶を集めて別の力へと変える異形の物体の姿を仰ぎ見る事が出き、不浄なる手のある方向には愚民どもが自らの必需品を集めるための売買の密集地が広がっている』
「えっと……その……まずあなたのお名前は……」
『我に刻まれし真名はこの世界に存在する者達には理解出来ない言語であるが、敢えて我が貴君らの言語で指し示すとするならば、新たに転送の神の統率者に選ばれし存在、浅尾ミカゲと申す』
「浅尾ミカゲ……さん? 転送の神の主神さんですか。あの、もう少し分かりやすい言葉で話して欲しいんですが……」
『我はこれでもこちらの世界でも通じる言語にて、話し合いを望んでいる。そして今すぐに我らが合流せしめし場所の案内を頼みたい』
「えっと……」
「ハハハ……。頼んだぞ」
天見アバユリはそう言って、そろりそろりと逃げて行った。
「あぁ! アバユリさん! この人の対応、私に任せたままどこに行くんですか!」
『して、今居る場所は水の精霊たちが水浴びするのに適した人工的な憩いの場所へと舞い降りたのだが、ここからどちらに向かえば?』
「そっちに行きますから動かないでください! あぁ、もう」
浴衣に着替えてすっかりOFFモードだった月裏だが、どうやら彼女の相手をしないといけないらしい。
「いつになったら、私はゆっくり休めるんでしょう……」
月裏は「はぁー……」と溜め息を吐いたのであった。