二、
それにしても、俺は、何かこの上なく気まずい空気を感じていた。そして、とても息苦しかった。店員や他のお客たちの刺すようなきつい視線をさっきから、心なしか感じているだ。
もちろん、誰も貧相な俺など注目してなどいない。だが、彼らの堂々とした態度が、俺の小市民な心をえぐるのだった。
きっと、店員やお客たちから見ても俺は場違いな程に浮いて見えることだろう。俺もさっさと出て行けばいいのだが、客との待ち合わせがよりによって、屋外で、その時間まで1時間もあるのだ。
本来なら門前払いされてもおかしくないのだろうが、さすがにデパートなので、そうも出来ないという事情に俺はずうずうしく居直っているにすぎないのだ。
実際、店員たちはどう思って俺を見ているんだろうかと思うと、胃の中を蝶々が羽ばたき、胃の内壁をその羽根でちくちく触るような痛みを覚えていた。
こんな気苦しい思いをするなら、手前にあった喫茶店で六百円のアイスカフェオレでも飲んで一時間潰すんだったと後悔した。
今から出てもいいのだが、この涼しさはカフェなんかではとうてい味わえない快適さだろうと思うと、なかなか足が外へ向けられなかった。しかし、同じ場所に長々と突っ立っているのも目立つので、俺は、そろそろ別の場所へ移動しようと歩き出した。
すると、突然、背後から「お客様、そちらのグレーの背広のお客様」と、俺を呼ぶ声がした。
俺を呼んだのは、まるでモデルのような着こなしの中年の男性店員だった。物腰はとても低く、控えめな話し方と身のこなし。まるで、接客の手本のような人だった。
「お客様、何かお探しでしょうか?」
「ええ、ああ」
俺は自分が何の売り場にいるのかさえ気に止めてなかった。あたりを見回すとそこは高級腕時計売り場だった。
陳列ケースを見ると、その〇の多さというか価格にたじろいだ。一番安いものでも十万円だった。何回数えても〇は五つあった。
『まずいぞ、今は持ち合わせも無いし、第一、こんな高価な時計は俺の趣味じゃ無い。こんなもの買ったりしたら、同僚達から、”腕時計にはめられている”と言われかねないぞ!どうする、このまま突っ走って逃げ出すか?』
俺は二度と来ることが無い店ならそうしたかったが、いかんせん職業柄、この店に来ないとも限らないので、怪しい行動をしてはいけないという社会人気質というか、臆病な心が、俺に妙な自制心を与えてしまった。