禁則破りの臨界温度 16
次の日、俺が起きた頃理子姉が赤ちゃんを抱いていた。
「あれ、未優さんはいないのか?」
「おかしいんだよね。私が起きた頃にはいなかったけど」
理子姉が抱いている赤ちゃんはまだ眠っている。
俺は未優さんを探しに、外へと出た。
旅館から少し行ったところにある崖で、未優さんの姿を見つけた。
朝の光で輝いている海を見ながら、その場で一人たたずんでいる。
俺が来た事に気づくと、未優さんはその場でそっと言った。
〈……そろそろ、私は行く事にします〉
「未優さん……」
後ろから、赤ちゃんを抱いた理子姉と美香姉も駆けつけてきた。
だが、姉さんたちの様子がおかしい。
「あれ、将君。未優さん見なかった?」
〈……〉
理子姉には、未優さんが見えてないのだ。
「ここにいる」
「……誰もいない」
〈言っても無駄です。私はそろそろここから消えますから〉
未優さんの方を向くと、そこには半透明になった未優さんの姿があった。
その頬には涙が伝っていて、光は中を通過していく。
そして、理子姉が抱えている赤ちゃんは涙目になった。
「あ、泣いちゃう」
「将。どういう事なの?」
未優さんの姿はどんどん薄くなっていく。
そして、消える寸前に未優さんは言った。
〈また、あの洞窟に来て下さい。何かお礼を……〉
未優さんの姿は見えなくなった。
赤ちゃんは大声で泣いてしまう。
「あわわわわ」
「……少し、一人にさせてくれないか?」
「……わかったよ」
理子姉は悲しそうな顔でうなずいた。
俺は例の洞窟にいた。
ライトで辺りを照らし、奥まで進んでいく。
そして光が差している所まで来た時、一枚の紙と鉛筆を見つけた。
「何だこれ」
そこには、未優さんと思われる筆跡が残っていた。
〈願い事を一つ書いてください〉
それを見た時、頭の中に理子姉の出ていた番組が思い出された。
願い事を一つ叶える事が出来るという伝説だ。
ひょっとしたら、未優さんからのお礼だったのかもしれない。
「……俺は」
鉛筆を動かし、俺は自分の願い事を書いた。
何を書いたかは……恥ずかしいから秘密だ。
「……出来た」
その時、洞窟の中を突風が吹きぬけた。
紙は洞窟の外へ飛んで行ってしまい、やがて見えなくなる。
取りに行こうとしたが、場所が分からないので諦めるしかないだろう。
「いた」
後ろを向くと、そこには理子姉の姿があった。
俺を見つけると心配そうに走ってきて、そして急に抱きついた。
「むぐぅ」
「将君……急に一人で行っちゃうから心配したんだよ」
理子姉は、その場で弱弱しい声でつぶやく。
辺りを見回したが、理子姉以外の人はいない。
「ずっと、将君とこういう事したいって思ってた」
「……なんか、ごめんな」
「将君が謝る事じゃない。ただ、私が……」
理子姉はそこで口ごもると、さらに俺を強く抱きしめた。
よく見ると、理子姉の横顔には涙が伝っている。
もうすぐで、理子姉の感情のダムが決壊してしまいそうな位に。
「頼りにされてて、いつも将君のお姉ちゃん。だけど、それが嫌なの」
「理子姉……」
そして、その場で理子姉は立ち膝になった。
俺の胸元に顔をうずめ、理子姉の黒髪があたりに舞う。
両手で掴まれている俺のシャツはぐしゃぐしゃになっていた。
「たまには、将君に甘えたいの」
そして、理子姉は泣き出した。
洞窟中に理子姉の泣き声はこだまする。
今まで我慢していた感情が、欲望が、ここであふれ出てしまったのだろう。
俺と理子姉以外に誰もいない、この洞窟で。
「二人で、どこかに行くか?」
「将君……でも、百合姉たちが」
「何とかなる。理子姉には無理をして欲しくないんだ」
「……嬉しい。そう言ってもらえると、何だか安心する」
俺は理子姉の頭に手を置き、そっとなでた。
理子姉は泣きやみ、俺をさらに強く抱きしめる。
後ろから風が吹いてきて、理子姉の濡れた顔を乾かした。