踊り子の姉 2
何故か、うちの姉が不機嫌である。
不思議な夢を見た次の日のことだった。家の手伝いをする為にリビングに掃除機をかけていると、洗濯物を持って駆け回るエプロン姿の愛理姉とすれ違う。その際に僅かだけ視線が合ったような気がしたのだが、こちらが声をかけるよりも先に向こうが急ぐようにして去ってしまうのだった。
まるで美香姉と一緒に精神世界に潜っているようだった、昨日の夢。一応そのことを美香姉に聞いてみたのだが「知らない」と物凄く怒り混じりの返事を返されてしまった。確かにあれは俺と美香姉の二人だけの秘密だから、俺と愛理姉の間に同じことが起きると嫌なのは予想できるけど……
「あ、将君、お手伝いなんて感心だねー」
「理子姉? あれ、今日ってお仕事あったんじゃないの?」
「えへへ、写真集の撮影だったんだけど、カメラマンさんがどっか行っちゃって」
「えぇ……」
VRゲームの機械を取りに来た理子姉と出会った。聞いた限りだと仕事がなくなって家に帰って来たとのこと。お仕事がこんな感じなのに彼女が日本随一のアーティストなんだからびっくりである。
すぐに部屋を出ていくかと思いきや、理子姉は何か思い出したように立ち止まった。
「そう言えばさ、今朝愛理にあのゲームの事聞かれたんだけど」
「ゲームって、あれか」
「うん。なんだか上級職? を取りたがってるみたい」
「上級職……んー、なんだろう」
「美香ちゃんなら知ってるかな。ネタバレにならない位に教えてくれるかも」
あーっ、美香姉なら確かに知ってそうだなぁ……
「いや、美香姉は少し『おこ』だから今は聞けない」
「そうなの? あんまり喧嘩しちゃだめだよ。あ、でも喧嘩するほど仲が良いのかな?」
「近いうちに仲直りします……」
「愛理のことも手伝ってあげるんだよ? それじゃ、これ借りてくから」
ふんふん、ふふふん♪ とご機嫌な様子で理子姉は自分の部屋へ戻っていく。
彼女の後ろ姿を見守った後に掃除機をかけ直すこと五分、リビングが一通り綺麗になったのを確認していると空になったカゴを持って帰ってきた。洗濯物を吊るす作業が終わったのだろう。
ちょっとだけ目が合った。声をかけるか迷っていると向こうから話しかけてくれた。
「ねえ、将君」
返事が僅かに遅れる。しかし彼女はそんな事を気にすることなく、そのまま距離を縮めて耳元で続きの言葉を囁きかける。
「理子姉の次……一緒に、しない?」
ごくり、と生唾を飲む。違う意味だって分かってるのに、声色がそれっぽくて……!
「い、いいよ、する」
「する、じゃなくて。将君は、したいの? したくないの?」
「ええっ……」
肩にそっと手を載せられ、それに従って腕が柔肉の洗礼を受けた。
かっと頭が熱くなるのを堪え、ゲームのことだと何度も念じながら答える……!
「し、したい」
「私と一緒にしたいの?」
「うんっ、愛理姉と、一緒にしたい……」
しどろもどろになりながらそこまで答えると、回答を聞いていた愛理姉が突然ぽんと顔を真っ赤にしてこちらへ背を向ける。そのまま何もなかった、と言わんばかりの勢いで彼女はそそくさとリビングから去って行ってしまった。一人残された俺は口をぽかんと開けながら首をかしげている。
「……なんだったんだ、いまの」
激しくなっていた動悸を沈めながら愛理姉の消えて行った方を向く。
ああいう誘惑は百合姉の担当だと思っていたけど、やっぱり、姉妹だ……!
昼食後、ゲームを堪能した理子姉と後退する形で俺と愛理姉がプレイすることになった。リビングでやっていると彼女が恥ずかしい思いをしてしまうらしく、今回は愛理姉の部屋を借りてそこでVRゴーグルを装着する。あっという間に周囲は西洋の物を模したような教会へと変わって自身も「勇者」の装備に早変わりする。
おかしい所がないか確認していると、隣に「踊り子」の服装になった愛理姉が降り立つのが確認できた。最初はちょっと見慣れなかった赤いドレスだけど随分とまぁ慣れてきたものである。でもやっぱり愛理姉が着てるとえっちく見えてしまうんだけど。
「また変な所見てる……」
「ごめんって。ところで、今日はどうする?」
「えっとね……一緒に、スキル上げの練習してくれる?」
その言葉を聞いた時に思い出したのは理子姉との会話だった。愛理姉が上級職になりたがっている、ということを思い出した俺は顔に出ないようにして状況を飲み込む。しかしそれを頼み込んできた肝心の愛理姉はどうも心の距離を作っているようだった。
「いいよ。一緒にやろう」
「ほんと? よかった、断られるんじゃないかと思った……」
「踊り子のことは分からないけど、そんなにキツい条件のスキルがあるの?」
この「Star Gate Online」というゲームのスキルはある特定の条件が満たされると「スキル」が解放され、それを獲得していくことで上級職へのクラスチェンジが可能となっている。勿論使う職業によってそれも千差万別、やるべきことも随分と変わってくるのだったが……
「……かけ」
「え?」
「い、『いろじかけ』!」
「んん……!?」
返って来たのは衝撃的な答えだった。いやほんと衝撃的過ぎます。
踊り子、というものがやはり「そういうこと」とは縁が切れないものだからスキルにもそれが反映されているのだろうけど、まさかここまで火の玉ストレートに来るものとは思っていなかった。面くらっていると愛理姉は顔を赤くしながら手を繋いでくる。
さらさらと滑らかな、家事をしている人の手。まるで若妻と一緒にいるような……
「……あ、ちょっとずつだけどできてる」
「えっと、それって、何をするの?」
「ん……ステータス、見て……」
美香姉のように喋らなくなってしまった愛理姉を前にステータス画面を開くと、そこにはいつの間にか「誘惑」状態の状態異常を示すピンク色の「♡」が浮き上がっていた。本当に軽微なものである為か自覚症状は薄かったが、言われてみれば愛理姉に誘惑されているような気がしないでもない。
「一定時間、他の人を『誘惑』することが条件で……」
「うん、分かった。それじゃあ別の場所行こうか、愛理姉」
俺がそう言うと彼女は小さく首を動かして頷いてくれた。他のプレイヤーから度々注目されながらも俺と愛理姉は手を繋ぎながら近辺の森を訪れる。他人に見られることがちょっと恥ずかしい愛理姉がダンスの練習に使うこの場所はいつものように姉弟二人きりの空間となる。
そうなると普段通りにお話をしてくれるようになった。事が事だからやっぱり恥ずかしかったのかもしれない。
「……昨日、ちょっと変な夢見ちゃったんだ」
愛理姉がそんなことを言うまでは、普段通りだった。
「こんな感じに森の中でいろいろ練習してたんだけど、我慢できなくなっちゃった将君に襲われて、いろんなことしちゃって……」
「それって」
それは、もしかして、こんな感じのことだったか――
あまりにも「べた」な台詞を飲み込みながら愛理姉へ一歩だけ歩み寄ると、彼女はその場で小さな舞を踊ろうとして転んでしまった。手と膝をついていた彼女は振り返るようにして口の端から涎を垂らす。
「あれっ、おかしいなぁ。ステップ、失敗しちゃった……」
「け、怪我はない?」
「うん……♡ でも、ちょっとだけ痛いから、後ろから支えてくれない?」
あまりに弱々しい姿で放っておくことができず、俺は愛理姉に言われるがままに彼女の後ろについてそっと肩に手を当てる。そのまま彼女の身体を起こそうとしたが、姉さんは何故か地面に手を付いたまま動こうとしない。それどころかこちらの手を引き寄せて胸板と背中を密着させる。
姉の身体を押し潰さないように地面へ片手をついて体重を分散させるが、こうなればもう後ろからのしかかっているのと大差ない。否が応でも心臓の鼓動がバクバクと激しくなっていく。
「やあっ♡ 弟にのしかかられてる……♡」
「愛理姉、その言い方は――」
「もう、ダメだよっ♡ 通報されたら、二人一緒に牢屋の中なんだからっ」
「くうっ」
ステータス画面を見るとそこには「♡」がこれ以上ないぐらいの輝きを放っている。それだけ愛理姉の色香で頭がやられているということなのだろう。でも、そうだという客観的事実を分かっている中でも目の前の禁断の果実を見逃すことは難しい。
まて、おちつけ、まだ慌てる時間じゃない。いや、ダメだ、これは本当にダメだ……!
「愛理姉! それは!!! 無理ぃ――――!」
「きゃっ……♡ んっ、そんなことしちゃダメっ♡」
今更の如く甘い声を上げ始めてももう遅い。自分が今までやって来たことがどういうことかを分からせてやるんだ、そうしないと目の前の姉はいつまで経っても理解しない。これまでどれだけ理不尽な思いを積み重ねてきたかしっかり叩き込んでやるからな……!




