紫タイとかぼちゃの姉友 1(なぎささん)
しとしとと雨降る夏の日の朝。理子姉の事務所近くのコンビニでカップ麺売り場を眺めていると店内になぎささんが入ってきた。
「なぎささん、こんにちは」
「こんにちは、将さん」
灰色のカットソー、黒のボトムスという湿った夏の日に合う格好をしていたなぎささんは白いショルダーバッグを肩に掛け、白と紫の傘を手元に持っていた。いつもの淡青髪のサイドテールを揺らしながらやって来た彼女は少し緊張した面持ちで挨拶してくれる。
二人で会うのは久しぶりだった。その為か、なぎささんは落ち着いていながらも嬉しさを言葉の端に滲ませている。前々からデートの約束をした甲斐があった。
「雨降っちゃいましたね。なぎささん、どうします?」
「動物園はこの天気だと遠慮した方がいいでしょうか……」
「そうですね、動物園はまた後日にしましょう」
折角のデートの待ち合わせ、だが雨が降ってしまって当初の場所へ行くことが出来なくなってしまった。こればっかりは動かしようがない為、二人で今後の予定を考える。
しかし、もともと二人で話し合って決めた行き先だ。これから考えた所ですぐに代替案が思いつくわけでもなく、時間がなんとなく過ぎていくばかり。買い物一つもしないでコンビニに長居することも出来ず、雨の中二人で傘を差しながら町を歩き回ることになった。
空一帯が灰色の雲で覆われている為か外は薄暗く、デートで外を歩くには向いていない天気だった。喫茶店や飲食店が立ち並ぶ通りを二人で歩いていると、なぎささんがぼそっと呟くように提案してきた。
「あの、将さん、私の家に来ませんか?」
「えっ?」
「お昼は外で食べていく形になりますが、それでもいいなら」
そんな事を話していると雨足が少しだけ強くなったような気がした。
あまり考えている時間はない。彼女の言葉に静かに頷く。
「そうしましょうか。でも、いきなり行って大丈夫ですか?」
「そこは……まぁ」
言葉を濁したなぎささんはさっさと歩いて行ってしまった。後を追いかけるようにして進むとちょうど良い場所にファミリーレストランがあるのが見えた。会話もない内になんとなくそこで昼食を取ることになり、入り口で傘を畳んで置いた後に店の中に入る。
暗い屋外とはうってかわり、陽気な音楽と暖かい色の光に満ちたレストランはぱらぱらとまばらに客が座っているのみだった。あまり人がいない辺りの席になぎささんと二人で座り、メニューを広げて昼ご飯を考える。
「ふーっ、やっと一息つけます……」
「さっきまで仕事だったんですか?」
「はい。マネージャー業はまとまった休みがなかなか取れないので……でも、理子さんの助けもあってなんとかなってます。今日だってデートに行けましたし、この後家にいらっしゃいますし――」
そこまで言った後になぎささんは一人で赤くなってしまう。そのまま視線をテーブルに落とし、口をもごもごと動かして意味のない声を漏らし始めた。
すっかり落ち着かなくなってしまった彼女に気を取られ、何を頼むか決めていなかったことに気付いた俺は慌ててメニューをめくって注文を選び出す。テーブルの向こうから長いため息が聞こえてきた気がしたが気のせいだろうか。
「私、なんで将さんのことになると後先考えられなくなっちゃうんでしょう」
「えっ、なんて言いました?」
「すいません、大丈夫です。独り言です」
食べたい物を必死に探していたせいでなぎささんの言葉を聞き逃してしまう。一つの事に集中するともう一つが出来なくなるのがもどかしい。さっきよりもなぎささんが少しだけ不機嫌になったような気がする。
「よし……なぎささん、決めました?」
「あ、はい」
店員を呼んで注文をし、料理が来るまでの間を待って過ごす。その間もなぎささんはテーブルの向こうで妙によそよそしくなった態度をしていた。なにやらもじもじとしている動きを見ているうちになぎささんと初デートした時の事を思い出す。
確か、あの時は姉さんたちに黙ってこっそりとドライブデートに行ったんだっけか。そのまま温泉に行って、なし崩し的にファーストキスも済ませちゃって……うん、なんだか、思い出しただけなのにこっちも恥ずかしくなってきた。
「あの、部屋、あんまり片付いてないですけど、良かったですか?」
「そうか、いきなりでしたもんね。大丈夫です、部屋の外で待ってますよ」
「ありがとうございます。部屋、頑張って片づけます」
その後にまた静まり返ってしまう。なぎささんが目をぱちくりさせたまま「あれ?」となっているのに気付いて声をかけようとしたが、折り悪く料理が来てしまう。
ナイフとフォークでハンバーグステーキを食べている間、なぎささんの部屋がどんなだったかをぼんやりと思い出す。前に理子姉と行った事はあるんだけど、如何せんそこで起こった出来事が強烈過ぎて部屋の記憶は逆に薄れてしまっていた。
たまにテーブルの向かいを見るも彼女が食事するペースは一定ではなく、宙を見つめたまま動かなくなる時が何度もあった。考え事をしているのだろうか。
「なぎささん、大丈夫ですか?」
「え、はい、多分大丈夫です。多分……」
はぁーっ、と意味ありげな湿った息を吐いたなぎささんは自分の分のハンバーグを口元へ運びながらじっとり熱い視線を送ってきた。視線を合わせたらいけないような気がして食事に集中しようとするが胸のどきどきは収まらない。
品定めをされているような感覚だった。なぎささんは、これからどのように距離を縮めて身体を重ね愛を囁くかを考えているようにも見える。
「将さん、責任取ってくださいね」
「へっ……?」
その言葉の意味を理解できないままレストランでの時間は過ぎていく。どこか様子のおかしいなぎささんに見つめられながら落ち着かない食事をなんとか終えた。
入り口で待つこと数分でなぎささんが借りてる部屋に入ることが出来た。記憶にぼんやりと残っていた通り、家具が少なく全体的に整っている綺麗な所だった。
なんとなくの雰囲気でベッドに座ると、なぎささんは頬を赤らめながら隣にゆっくりと座ってきた。そのままこちらの腕へ身を寄せて切なそうな息を漏らす。
「将さん……」
「なぎささん、大丈夫ですか?」
「大丈夫、じゃ、ないですっ!」
脇の下から腕を通され、ベッドへ倒れ込みながらきつく抱き締められた。我を失っているような彼女はこちらの胸元に顔を突っ伏しながらフーフーと辛そうな息をしており、その一方で俺の身体はなぎささんの両腕から力を受けて痛みさえも覚えていた。
身動き一つとることが出来ない中、淡青色の髪の毛から柔らかい花の香りが漂っていた。文字通り全身でなぎささんを感じていると、ふとした時に手が彼女の尻に触れてしまう。
「ひあぁっ♡」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
「だ、駄目です、将さんに触られると、私……」
ぷるぷると震え出したなぎささん。
もしかしてこれは、と唾を飲んでいると、突然ぱたりと動かなくなってしまった。
「……え?」
「はぇ……♡」
全身に掛かっていた彼女の腕の力は抜けていた。ゆっくりとなぎささんを横にさせ、胸元からそっと引き離す。すると、彼女はなんとも幸せそうな表情で気絶していたのだった。しかも時折えへへ、えへへ、と一人で笑っている。
なんとなく微妙な気持ちになりながらも、なぎささんのとろけた表情を見守っていた。突然彼女に抱き締められてドキドキしていた気持ちが心地よい幸福感に変わり、そのまま隣で目を閉じて一息つく。
(なぎささんが幸せならいいんだけど……困った所ではあるよなぁ)
コンビニで会った時の真面目な姿を思い出し、今とのギャップに思わず口の端が上がってしまった。雨のせいで動物園には行けなかったが、これも悪くないだろう。




