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藍絵と赤薔薇の姉 2(終)

「将君、大丈夫?」

「ん……」


 昼休み、大学の食堂でぼうっとしていた所、講義が終わって合流した愛理姉に声をかけられた。百合姉から言われた言葉でいっぱいだった頭を切り替え、不思議そうな顔をしている彼女に微笑む。今度は心からの笑顔になる事が出来た。

 向かいに座った彼女の目はまっすぐこちらを見ている。それが嬉しかった。


「ああ、大丈夫だよ」

「美香ちゃんは……あ、来た来た」


 人ごみの間を縫うように美香姉はこちらのテーブルへ来ると、背負っていたリュックを膝の上に抱えて俺の隣に座った。喧騒に疲れたのかぽんと溜め息一つ。


「それじゃ、ご飯食べよっか。今日は美香ちゃんの大好きな玉子焼きです!」

「ん……」

「おおっ、今日も美味そうだ」


 テーブルの上に広げられる愛理姉の手作り弁当。

 美香姉の大好きな玉子焼きが沢山敷き詰められているが、しっかり俺の大好きな鶏の唐揚げが入っている辺り抜かりが無い。別の箱からアルミホイルに包まれたおにぎりを一つ貰い、心地よく冷たくなったそれを一口食べた。


「やっぱり愛理姉の作るご飯は美味しいね」

「うん」

「そう? えへへ、嬉しいなぁ」


 昨日のぼんやりした悩みを経たせいだろう、普段三人で何気なく食べているこの手弁当が特別な物に思え、感傷に浸ってしまっていた。美香姉も愛理姉も、今この瞬間一緒にいてくれることが本当に嬉しくて涙が浮き上がりそうになる。

 隣でおにぎりと玉子焼きを頬張っていた美香姉がそれを察したのか、そっと心の中で寄り添ってくれた。真向かいでは幸せそうな表情で愛理姉がこちらを見つめてくれている。ぼんやりと身体の内側が暖かくなり、姉さんたちへの感謝で胸がいっぱいになっていく。


「二人共、いつも、ありがとう」

「あはは、突然どうしたの? 変なのっ」

「な、何でもないって、うん、気にしないで」

「……ふふっ」


 本心を口にしてしまったことが恥ずかしくなってその場を誤魔化そうとするも、美香姉にはそれが通じない事に気が付いて顔を赤くする。愛理姉にもこの素直な気持ちは隠すことが出来なかったようだ。

 思っている以上に、未来は悪いものにはならない――百合姉の言葉を思い出す。

 この当たり前の日常が終わってしまうかもしれない、と思う時がないわけではない。だが、人生をこちらより長く生きていた姉の言葉は自分に強さを与えてくれた。


「そうだ、今日の帰り、百合姉のカフェに寄ってっていいかな?」

「大丈夫だよ。あ、でも、私は晩御飯の買い出し行かないといけないから早く帰らなきゃ。ごめんね……?」

「いや、大丈夫だよ。今日の晩御飯も期待してるから」

「やったーっ、よし、お姉ちゃん頑張っちゃうぞ……!」


 美香姉はどうかと視線を送ったらこくりと頷いて賛同してくれた。

 もうベッドの中で暗くなっていた自分ではない。百合姉にも感謝しなければ。



 午後四時、駅付近の町は買い物客や帰りの学生で賑やかになっていた。美香姉が嫌がる人込みを避けて細い道へ入り、蛇のように曲がりながら進むと静かな通りに出る。そこに百合姉のカフェはあった。

 立地のせいか、テレビで見る超人気店のように人が溢れていることは無い。しかしそのせいで店内は静かに落ち着いており、他の客がいない時は百合姉と気兼ねなく話が出来た。


「あら、いらっしゃい」

「い、いらっしゃいませ……!」


 店に入ると二人がいつものカフェエプロン姿で出迎えてくれた。こちらを見ておどおどしている希さんと、いつも通りに立っているだけでエロく見えてしまう百合姉。彼女らに軽く挨拶をし、美香姉と二人で厨房近くの席に着く。

 テーブルに頬杖を突いた美香姉はじっとこちらを見つめてくる。

 表情一つ変えず、じーっと……


(将、今日は楽しそう)

(え、そうか? そんなことないと思うんだけど)

「え、えっと、ご注文はなんでしょうか……?」


 希さんが茶髪のロングヘアを揺らしながらこちらへ歩み寄る。姉さんと違っていつも顔を合わせる訳じゃないから、こうやって久しぶりに会うとちょっとだけドキドキしてしまっていた。もっとも、彼女もそうなんだろうけど。


「えっと、それじゃ――」

「希」


 いつものようにコーヒーを頼もうとしたら店の裏手の方から百合姉の声が飛んでくる。それで何かを思い出したのか、希さんはこくこくと赤べこのように何度も頷く。


「あ、えっと、将さんは注文ないです」

「えっ?」

「店長が、出したいメニューがあるって、言ってます……ひっ!?」


 いつの間にか表の方に出ていた百合姉が希さんのことを睨みつけていた。そのせいで彼女は縮みあがってしまい、眠そうな顔をしている美香姉から注文を取った後にカウンターの奥へ戻って行ってしまう。

 結局何がどういう事かも分からず、天井で回っているシーリングファンをぼんやり見つめる。姉さんの事だ、きっと何か考えているのだろう。


「何か、した?」

「いや……何も)」


 怪しげにこちらを睨んでくる美香姉に悟られぬよう、何も知らない素振りで心も取り繕った。彼女からそれ以上詮索されることは無かった。


(美香姉、一つ質問いいかな。あんまり他の人にバレると恥ずかしいんだけど)

(何?)


 厨房の辺りにいる二人に聞かれないよう、目の前の彼女に念を送る。きちんと答えてくれた。息を整え、言葉を選んだ後に姉さんへ尋ねてみた。


(俺と美香姉は、死ぬまで……死んでも、ずっと一緒かな)


 僅かに間を置いてから彼女はくすっと小さく笑った。

 優しい目でこちらを見る姉さんの姿を見て、言葉も無い内に彼女の返事を理解した。


「え、えっと、お待たせしました」


 そんな事をしている内に希さんが注文の品を持ってくる。

 美香姉にはキャラメルフラペチーノのキャラメル多めが、そして俺には赤い花が入った紅茶が渡された。花、とは言っても蕾のように小さい物で水面をゆらゆらと揺れている。フレーバーの香りはそれほど強くはなく、ふんわりと鼻に心地よい。


「えっと、これって薔薇ですか?」

「はい。ローズティー、という紅茶です、はい……」


 かくかくとぎこちない礼をしていた希さんはそのままいなくなってしまう。美香姉がストローでフラペチーノを飲んでいる前で、俺は渡されたカップを持ち上げて再び匂いを嗅ぐ。

 百合姉が何故これを出したのだろう。彼女が意味のない事をするとは思えない。


(赤い薔薇……確か花言葉は……)


 息が止まる。

 姉さんがカップで何を伝えようとしているかを察して身を硬くしてしまった。


「あっ……」

「将?」

「あ、ああ」


 愛してる――これ程に分かりやすく相手を想うメッセージは無いだろう。

 それが分かった瞬間、火が灯るように心が温かくなった。昨日のこととも合わせて百合姉への感謝の気持ちが止まらなくなり、甘く胸焼けする中で紅茶に口をつける。


「百合姉……」


 ちらと厨房がある方に視線を向ける。黒いロングTシャツとベージュ色のパンツ、その上から緑色のエプロンを纏った百合姉の後ろ姿が見えた。相変わらずうっとりしてしまうような背中と尻のラインだ。


(用事思い出した、帰る)


 そんなことをしていたせいだろうか、美香姉がそう念を送った後にフラペチーノ分の代金を机に叩きつけて立ち上がる。まずい、と思って彼女の方を見たが、特段怒っているような表情をしている訳では無かった。


「今日は……そう言う日だから」


 小さな声でそう告げた彼女は店から笑顔で去って行く。テーブルの方を見ると既にフラペチーノは空になっていた。美香姉の配慮が嬉しいと同時に、百合姉と再び真正面から向き合う機会が近づいている事を悟って緊張してしまう。



 それから姉さんのカフェを勉強場所にさせてもらった。講義の復習を簡単に済ませた後しばらくぼうっとしていると店の閉店時間が近づいてくる。夏が近いせいかまだ外は明るいが、カウンター越しに聞こえてくる二人分の騒がしさはこの時間帯独特の物である。


「え、えっと、これで大丈夫ですか? 店長」

「ええ、ご苦労様。後は私がやっておくから先に帰りなさい」


 二人の会話を聞いた俺もテーブルの上に広げていた勉強道具を片付けに掛かる。その間にもエプロンを脱いで初夏の装いになった希さんが挨拶をして店から出て行った。ついでに店の前にあったOPENの看板がひっくり返されてCLOSEDになる。

 他に客はいなかった。百合姉と、二人きりだ。


「……あら、まだ帰ってなかったの」


 裏手から出てきた百合姉はわざとらしい声で驚いた素振りをするとそのまま店の窓にブラインドを下ろし始める。外を歩く人たちから見えなくなっただけで、このまま彼女と何をしても悟られることはないのだと変な気分になってしまう。


「今日はどうだったかしら。昨晩よりは楽しそうにしているけれど」

「うん。これも、百合姉のおかげ……かな」

「そう、それで貴方はどうして店に残っていたのかしら」


 緑色のカフェエプロンを身に纏ったままの百合姉はこつこつと足音を立てて俺の座っている席へやってくると、先程美香姉が座っていた場所――テーブルを挟んだ向かい側――に座って足を交差させた。

 布を何枚重ねても百合姉の身体つきを隠せている訳では無い。低い位置で腕組みしたせいで姉さんの胸が強調されて、否が応でも視線がそちらへ動いてしまう。


「百合姉と、二人きりになりたくて」

「また甘えたくなっちゃったのね」


 百合姉の表情が愉悦で歪む。

 肯定の沈黙を作ってしまい、姉さんより弱い立場になってしまった。いや、最初から俺はずっと姉さんたちより弱い立場なのだ。姉弟に生まれた宿命として――


「駄目……かな」

「弟の面倒を見るのは姉の役目じゃない。これまでも、これからも、ね……」


 身を乗り出してきた百合姉がこちらの頬に手を当て、額にキスをする。至近距離で見つめ合った後、彼女は我慢できなくなったように唇を奪ってきた。

「もう少し付き合ってもらうけど……いいわよね?」

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