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新緑と瑠璃と姉 2

 理子姉と来ていたはずなのになぎささんと一緒にいるのは何だか変な気持ちだった。勿論なぎささんは隣にいるだけで気が抜けてしまう程に魅力的な人ではあるが、やはり理子姉と約束をしている事が今の自分にとって大きく、いつものようになぎささんのことしか考えられなくなるようなことはなかった。


 ぼんやりとした深い青の中、下方にあるダムの様子を見下ろすようになぎささんと二人で駐車場に並ぶ。アーチ状に造られた壁の上に理子姉やカメラマン、監督たちが集まっており、そこでもうすぐ撮影が始まる様子だった。


「マネージャーってあんまりお仕事ないんですか? 芸能界だとそう言う人は物凄く忙しいって話をテレビなどで聞きますけど」

「基本的には歌手活動に専念しているので、テレビなどでお仕事がすし詰めってことは無いですね。多分それは将さんも知っていると思います。理子さんはしっかりしてるから私のやる部分は多くは無くて……」


 言われてみればそうである。生活の大体は家にいるから、理子姉のマネージャーであるなぎささんの仕事も予想以上に多くはないのだろう。


「仕事の間はしっかり真面目にやってますけど、休憩時間はずっと将さんのことばかり話してますよ。私以外にも、番組の共演者や演奏家で仲のいい方とか」

「えぇ……? それ、大丈夫なんですか?」

「世間のイメージの通り、楽屋ではすっかりブラコンで通ってますよ。本当に裏表なくて、キャラを作ってる人たちもいるこの世界では珍しいタイプです」


 知らないうちに自分の事を話されて少しくすぐったいような気持ちになっていた。だけど、それだけ理子姉がこちらを想ってくれているという事でもある。時と場所を選ばないのが玉に瑕だけど。

 そんなことを聞いていると、ふとある疑問が湧いてくる。それは昔からぼんやり抱いていた物で、なかなか聞くに聞けない大事なことだった。


「なぎささん、理子姉のことで尋ねたいんですけど」

「どうしましたか?」

「理子姉は、どうして俺のことがそんなに好きなんですか?」


 それを尋ねると、なぎささんは口元に手を当ててくすくすと笑ってきた。どういうことか分からずに動揺していると、彼女はこちらへ視線を向けて甘い笑みを浮かべる。


「理子さんがどう思ってるかは知らないですけど、思い当たる節なら」

「それは……っ」

「将さんは、自分より背の高い女性の前だと弱弱しくなっちゃうんです」


 その言葉を聞いてドキリとしてしまった自分に気付く。

 百合姉や千秋さん、理子姉になぎささん……た、たしかに、そんな気がする。


「私は少しヒールで誤魔化してますけど……これでも、いいでしょう?」

「は、はいっ」

「そうやって貧弱になった姿が可愛くて、守ってあげたくて。私はそう思います」


 なぎささんに言われた通り、さっきから自分は美香姉や愛理姉、希さんと一緒にいる時とはまた違う性格になってしまっていた。ひょっとしてこれは俺が「弟」だから、身長と言う分かりやすい所でお姉ちゃんであることをアピールされてこうなっているのでは……!?


「あ、向こうで動きがあったみたいですね。私はこれで失礼します」

「はい、行ってらっしゃい……」


 かつかつとヒールを進ませるなぎささんの背中を俺はぼんやりと見守っていた。

 理子姉につい甘えてしまう理由は、もしかして、これが関係しているのか?



 登山道のすぐ近くを清流が流れている。

 理子姉と二人で上り始めてから約一時間、予定していた休憩地点である小さな河原に辿り着いた。場所も幾分か開けており、先程まで木々で覆われていた上方が開けてそこからは空が見えている。晴れ渡った青空だった。


「ふいーっ、大分歩いたね……」

「中間地点だっけ。少し休んだらもう一息だな」


 少し大きめのごつごつとした岩に理子姉と二人で腰掛ける。何分、岩が小さいものだから自然と彼女と密着してしまっていた。身体のラインが見えないレインスーツ越しでも理子姉に触れていると暖かく幸せな気持ちになる。

 スポーツドリンクの入ったペットボトルに口をつけていると、隣にいた姉さんが突然それをひょいと奪い取って一口飲んでしまった。


「ごめんね、突然間接キスしたくなっちゃって」

「あっ……そ、そうなんだ」

「はい、ちゃんと返すから。将君もお姉ちゃんと間接キスしていいんだよ?」


 その一言を聞いただけで頭の中がぐらぐらと重く、おかしくなっていく。

 ゆっくりと口をつけて飲むと、さっきよりもほのかに甘い味がした。


「姉弟で間接キス、しちゃったね」

「うん……」

「あーもう、将君は本当に可愛いなぁ……♡」


 遠慮と言う言葉を知らないように横から腕を回されて抱き締められる。ぴったりとくっついているだけで頭の中をとろとろに溶かされて、理子姉の事しか考えられなくなって……


「理子姉、好き……」

「んーっ、お姉ちゃんも将君の事が大好きだよ……」


 心地よい大自然の下で、好きな人の腕の中に収まる幸せ。

 二人でこのまま何時間でもいられそうな空気だったが、突然理子姉のスマートフォンに通知が入り、びくりと震えた俺たちは立ち上がるようにして慌てて離れてしまう。


「だ、誰だろう……あ、なぎさちゃん」


 少しだけ表情を硬くして理子姉が電話に出る。

 向こうからの会話は聞こえてないが、何かを聞いた理子姉がぽんと顔を赤くした。


「ま、まだそんなことしてないよ!」

(何を話してるんだ……?)

「えっと、あっ、違うの、お願い待ってなぎさちゃん……切られちゃった」


 短い電話だった。しょんぼりとした理子姉の姿はさっきまでの「お姉ちゃん」のそれとは違い、ひどく恥ずかしそうに俯きながら上目づかいでこちらの様子を窺ってくる。


「山の中でえっちしちゃ駄目だって、怒られちゃった」

「えぇ……」

「誰か来るかもしれないけど……」


 じんわりとした暖かみのある目を向けられ、さっきまでそう言う話をしていたこともあってか妙に心の中がざわつき始める。


「お外で、しちゃう? お姉ちゃんは大丈夫だよ……?」


 ひょろひょろと細い声で、理子姉がいけない提案を持ちかけてきた。

 それだけで心の奥がきゅっと締められた気分になって、息をするのが辛くなる……


「あ、あはは、何言ってるんだろ私。ほら、休憩終わり!」

「あっ、う、うん、そうだね」

「よーし、い、一緒に後半戦頑張ろー!」


 二人慌てたように、また緩やかな上り坂へ一緒に足を踏み入れる。

 頭の中から煩悩を払う為に歩く事へ集中しているのがお互い馬鹿らしく感じていたのか、山を登りながら姉弟で一緒に自嘲した。



 それからまたしばらく歩き続け、遂に山の尾根まで上って来た。今まで周囲を覆っていた木々は腰の高さほどまで低くなって青々と晴れた空が一面に広がる中、あと一息と無理ない範囲で足を進める。

 山に入ってからしばらく景観には縁が無かったが、ここまで来て遂にいい景色を拝むことが出来た。付近には色とりどりの高山植物の花が咲き乱れ、近くを連なっている山々は夏を控えた眩しい緑色に輝いている。遠くには白い綿のような雲がいくつか浮いており、地上とはまるで別世界の光景が広がっていた。


「いい感じだな……」

「頑張って登った甲斐があったねぇ」


 額に汗を浮かせながら二人で立ち止まり、しばらくの間絶景を堪能する。

 スポーツドリンクを飲んで立ち休憩をしていると、隣に立っていた理子姉が頭をぽんぽんと優しく撫でてくれた。思わずそのまま理子姉の方へ倒れかかろうとしてしまったが、まだ山頂についていないからと何とか自分を落ち着かせる。


「あと少しだから、もうひと頑張りだな」

「この分だと昼過ぎには頂上に着くね。ご飯もそこで食べちゃおっか」


 細い稜線に沿って歩みを進めると、この付近で一番高い場所が近くなってくる。風も強くなり、寒さを覚えながらも二人で手を取り合って進む。そうして遂に、一枚の立て札の前に辿り着く。


「頂上……長かったようで短かったな」

「ふーっ、それじゃあブルーシート引いちゃうね」


 一番高い場所、と言う事もあって景色も一番だ。ただ、少し雲が出てきたせいか遠くまで見渡すことは出来ない。それでも近くの山肌の赤茶けた様子は圧巻だし、何より周りの物が全て自分より低い場所にあると言う事が見ていて信じられなくなる。

 そんな風景だけど、一番嬉しいのは隣に理子姉がいることだった。


「よっこいしょ……あーっ、ここでも風が強いから大変だね」

「それじゃこっちに荷物置いて、ほら」

「いい感じ。将君偉いぞぉ」


 並んで腰を下ろし、頂上からの風景を自分たちの物にする。

 他に人が来る様子もなく、理子姉と二人きりだった。風除けの岩が近くにあるけれどそれでもシートの端はバタバタと忙しなく動いており、登山用の服装に身を包んでいても冷える。それ故か、自然と理子姉と距離が縮まっていく。


「お昼ご飯は……お姉ちゃん手作りのおにぎりだよ!」

「理子姉が作ったの? これ全部? 凄い……」


 姉さんがザックの中から出したのは、アルミホイルに包まれたおにぎりがぎゅうぎゅうに詰まった弁当箱。理子姉と二人で頂上にいるせいか、それらはいつも食べるようなおにぎりと比べてもきらきらと輝いていて魅力的だった。


「はい、将君の好きなツナマヨだよ」

「お、ありがとう、理子姉……!」

「他にもいっぱいあるから焦らないでね♪」


 姉さんから受け取ったおにぎりをアルミホイルの中から出す。白くつやつやとしたご飯が眩しい。そのままかぶりつくと、心地よく冷たいご飯とツナマヨのまろやかな味が口の中に広がってあまりの美味しさに目を瞑って唸ってしまう。


「んん……これ凄く美味しいよ理子姉!」

「そう? 将君が喜んでくれて良かった……お姉ちゃんも食べちゃおっ」


 理子姉が一つ一つ握ってくれた、それだけでも嬉しくて仕方がない。

 そんな俺を見つめている彼女は本当に優しそうな「お姉ちゃん」の目をしていて、その前では余計な事を考えず純粋な気持ちになってしまっていた。姉さんに甘えることが心地よくて、笑ってくれたり褒めてくれたりすることが嬉しくて……


「理子姉、好き……」

「んぐっ……あはは、またふにゃふにゃになっちゃったの?」


 おにぎりを一個食べ終わり、安心しきって理子姉にもたれかかってしまう。姉さんは力が抜けた俺を優しく受け止めると、正面からぎゅっと優しく抱きしめてくれた。

 ブルーシートの上に横になり、身を寄せ合って暖め合う。風は強いけど姉弟で一緒ならちっとも寒くはない。


「大丈夫だよ、お姉ちゃんがちゃんと面倒見てあげるからね?」

「うん……好き……」

「えへへ、私も将君のことが大好きだよ……」


 蕩けた理子姉の顔が目の前にある。

 好きな人と二人きりで見つめ合っている幸福感が胸を満たし、頭が沸騰する。


「将君……だいすき」


 んちゅ、と音を立てて唇が触れ合った。理子姉の口の中は僅かに鮭の塩っぽい味がして、心地よい舌触りに息を吐くとそれすらも姉さんの物になってしまう。互いの背中へ回している腕も力が篭り、服が擦れあう中で相手の身体の凸凹を確かに感じながら、呼吸に熱を帯びさせる。


「んっ……将君、ちゅぅ……」


 一口吸われる度に姉さんのことが一層好きになっていく。とろとろに流れる唾液を舐め取りながら、ほんのりと甘くなっていく蜜の味に酔いしれる。頭の中がぼうっとしてきて、照り付ける日差しも受けて身体が熱くなっていく。


「世界で一番、大好きだよ……んんっ……♡」


 山登りの疲れもあってか、なんだか一眠りしたくなってくる。

 あれ、今は晴れてるけど、理子姉とお昼寝しちゃって大丈夫かな……?

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