黄昏とオリーブと姉 3(終)
翌朝になると、愛理姉はもう自分で動けるようになっていた。
朝六時。俺が台所で朝食を作っていると、そこにまだ眠そうな彼女がやって来る。サラダ用にレタスを手でちぎっている様子を見て驚いたように尋ねてきた。
「あれ……将君、どうしたの?」
「愛理姉には今日は休んでいて欲しいから、代わりに朝ご飯作ってるんだ」
柔らかい黄色のルームウェアに身を包んだままの彼女はぼんやりと俺の方を見つめていた。そして、その場で立ちすくんだまま俯き、そわそわと落ち着かない態度を取る。
「いいよ、私がやるよ?」
「愛理姉には別の事をやって欲しいんだ」
「何したらいいかな?」
「お風呂掃除」
きょとん、とした顔。やっぱりそう簡単に台所から離れてくれない。
それでも愛理姉にはお休みして欲しい。少し強引な手を使ってでも……
「その……後で、一緒にお風呂入らない?」
「あっ、そ、そうっ?」
それを聞いた愛理姉がぴくりと震えた。
ぽん、と顔を赤くした姉さんの口調は乱れ、視線もふらふらと定まってない。
「いいよ、うん、後で一緒に入ろ……?」
「ご飯は俺が作っておくからさ」
彼女からの返事はなかった。それでも、嬉しさを隠せないような顔で部屋を去って行く。炊飯器の方から炊けた音が鳴り、釜の中のご飯を混ぜっ返していると今度は理子姉が入ってきた。緑色のすっきりしたナイトウェアを着ている姉さんは今日も綺麗だ。
「おはよ、将君」
「おはよう。もうすぐご飯出来るよ」
「愛理はどうしたの?」
「何かやりたそうだったからお風呂掃除を任せてる……いててっ」
そこまで言って、俺は理子姉に後ろからぎゅっと羽交い絞めにされ、背中にふにっと柔らかい物が当たる。うおおっ、理子姉まだ下着付けてない……と楽しんでいる間もなく、ぐいぐいと両肩を引っ張られて関節がミシミシと痛み始めた。
「今日は愛理をお休みさせる日だって昨日決めたでしょー!」
「いででっ、いでっ、ごめん、ごめんって!」
そんなことをしていると部屋の戸が開き、眠い目を擦りながら美香姉が入ってくる。理子姉は離れて行き、俺は五人分の朝ご飯を作る為、肩を何回か回した後にフライパンへオリーブオイルをそっと引いた。
そして、午前七時半頃――
「わっ、これ全部将君がやってくれたの!?」
「全部一からって訳じゃないけどな」
ソーセージに目玉焼き、レタスとキャベツとトマトのサラダ、炊き立てご飯にシジミの味噌汁。それが五人分テーブルに並んでいる光景を見て、食卓に着いた愛理姉はきらきらと目を輝かせていた。
もっともソーセージと目玉焼きはフライパンで焼いただけだし、野菜は簡単にちぎったり切ったりしただけ。ご飯も理子姉に言われた通り炊いただけで、味噌汁に至ってはお湯を入れるだけで出来るインスタントだ。だが、うまいこと並べればそれっぽく見える。
皆で手を合わせて挨拶し、普段と同じように朝食の時間が始まる。美香姉、理子姉、百合姉は時折こちらを見ながら微笑んでくれ、俺の右隣に座っている愛理姉は目玉焼きとご飯を頬張りながら目をうるうると潤ませていた。
「ううっ、すっごく美味しいよ、将君……」
「愛理姉が喜んでくれるなら良かったよ」
隣で喜ぶ姉さんの姿を見ていると五人分の料理を作った苦労が吹き飛ぶ程に嬉しい。今日は愛理姉を休ませるために俺が作ったけど、愛理姉以外にも百合姉たちが美味しそうに食べてくれている姿を見ると、またご飯を作るのも悪くないな、と思っていて……
(もしかして、愛理姉はいつもこう思ってるのかもな)
愛理姉が何か手伝おうとしている理由がちょっと分かったような気がして、何かすることがないかと尋ねてくるだろう彼女を無下に出来なくなってしまう。だが、今日は理子姉も言っている通り、愛理姉はお休みする日なのだ。
そのことを考えていた時、丁度百合姉が彼女へ一つの提案をする。
「愛理、朝ご飯の後、将と一緒に風呂に入って来なさい」
「えっ……いいの? ご飯の片づけとか、洗濯物の取り込みとか……」
「大丈夫だって。将君も愛理とゆっくりしておいで」
百合姉と理子姉のお墨付きを得て、この後愛理姉とお風呂に入ることが半ば確定した。左隣にいる美香姉へ視線を動かすと、彼女もまたこくりと頷いて承諾してくれる。元から俺が誘っていたことだったが、これで他の姉さんに変に嫉妬されることも無い。
するとなんだかドキドキしてしまう。淡い黄色のルームウェアに浮き上がる大きな胸、想像するだけで抱きしめたくなるような腰つき、柔らかくて気持ちよさそうなお尻……
愛理姉と一緒にお風呂か、ううむ。
(またそう言う事考えてる)
美香姉に心の中でたしなめられた。ごめんなさい。
※
朝食を終え、その片づけを理子姉に委託した俺は湯を張った浴槽に入浴剤を入れていた。湯船に黄色が広がるとともに愛理姉の好きな柑橘系の香りがふわりと舞う。これでよし。
「もう入れるぞ」
「うん……なんだか、恥ずかしい」
脱衣所に二人、気まずい雰囲気で見つめ合う。
頬が燃えているように赤い愛理姉はさっきから自分自身を抱き締めながら俯き、一方の俺も彼女へうまく声をかけることが出来ていない。
「ぬ、脱ぐか?」
「えっと……さ、先にどっちか入ってから! 一緒だとなんか……ううっ」
そこまで言って愛理姉はくるりと身体を回し、脱衣所から出て行ってしまった。その後に顔を少しだけ覗かせながら、ぼそぼそっとちっちゃい声で言葉を置いていく。
「先に……入ってて」
「あ、ちょっと――行っちゃった」
一人残され、少しだけ寂しい気持ちになる。だが仕方ない事だろう。
愛理姉が戻って来る前に、と俺は服を脱ぎ、そのまま浴室に入った。
シャワーで軽く身体を流した後に湯の中へ体育座りで身を沈めていると、さっきいなくなった愛理姉が戻ってきた。そして、一枚のすりガラス越しに、するすると布のこすれる音が聞こえ始める。
薄い黄色が脱げ、その下にある白がぼんやりと現れる。ついにはそれすらもなくなってはっきりとしない肌色が露わになり、恐る恐ると言った様子で愛理姉が戸に手を掛ける。
僅かに開く戸。その隙間で、顔を真っ赤にした愛理姉が声を震わせた。
「将君……入って、いいかな」
「あ、ああ、勿論」
「えっと、後ろ、向いててくれる?」
こくこくと機械人形のように頷いた俺はゆっくりと彼女に背を向ける。そして、戸が半分ほど開けられた音が浴室に反響した。ひた、ひた、と湿ったタイル床へ足音が染みこみ、戸が閉められることで二人だけの密室が完成する。
次は、シャワーの音だ。人の身体にお湯がぶつかって跳ねる音が一分程してから、それも止まる。そして遂に、俺の座っている隣にある空いたスペースへ姉さんの片脚がゆっくりと入れられた。
浴槽から、湯が姉さんの分だけ溢れていく。水面も心も乱暴に揺れ動く。
「……もう大丈夫だよ、将君」
隣から聞こえてくる愛しい人の声に反応し、胸中穏やかでない状態で首を僅かに捻る。こちらと同じ体育座りをした、生まれたままの姿の愛理姉がそこにいた。
入浴剤の黄色で水面より下の様子は窺えない。身体が火照っているのか緊張しているのか、その顔はほおずきのような色合いをしていた。
「久しぶりだね、こうやって、一緒にお風呂に入るの」
「うん、そうだね……」
「あはは、緊張しちゃうね、やっぱり……」
しゅるしゅるしゅる、と姉さんの語気が弱まっていく。そして、お互いに何も喋られなくなってしまった。
何を話そうか、彼女と何をしようか、考えているだけでも幸福感で胸が破れそうになる。それが邪魔してまともな言葉が頭に出てこない。
「いろいろやってくれて、ありがとね」
「愛理姉……」
「いつもは私が家事やっていて、私もそれが楽しいと思ってるんだけど……楽しいって思っていても疲れは残っちゃうみたい。だから、今日の朝にご飯を作ってくれて凄く嬉しかった」
愛理姉が微かに身体をこちらへ向ける。ちゃぷり、と湯が浴槽の端で跳ねる。彼女の視線は湯船の濁った底へ落ちたままだが、その感謝の気持ちは本物だろう。
「えっと、ここで言う事じゃないよね……うーっ、何話せばいいんだろう」
「俺も、愛理姉と同じだよ。何話したらいいか分からない」
愛理姉がやっとこちらと目を合わせた。
恥ずかしさが吹っ切れてきたのか口の端を上げ、姉さんは呟いた。
「言葉が出てこないなら……言葉のいらない事、しよう?」
こちらを向き、愛理姉が両手を伸ばして俺の両肩に手を置く。
しばらくの、姉弟二人で見つめ合う時間――口の中が甘くなり、身体が熱くなるようなひとときは長く続かず、我慢出来ないと言わんばかりに彼女はそっと唇を重ねてきた。
「んっ、ちゅ……」
口の中が温かくなると同時に、彼女のふわふわ柔らかい身体と直に触れ合った。
湯で滑らかな触り心地の背中に手を置き、胸元でつぶれるたわわな果実をしっかりと感じながら愛理姉の口内へ舌を入れる。とろとろになっていた彼女の舌を吸い、興奮で粘る唾液を優しく流し込んでいく。
「はむっ、んん、ちゅ、んっ……」
お互いの身体を強く絡ませ、時折相手の顔を確認し合いながら気持ちいいキスは続けられる。そう言う事をしている内に、緊張とはまた違った熱い気持ちが腹の中で首をもたげてきて……
「愛理姉」
どうしようもなくなり、キスの合間に一声かける。
彼女もまた衝動を抑えているようで、触れ合っている胸元から心臓の速い鼓動が伝わって来ていた。そして愛理姉は目を潤ませ、あはは、と仕方なさそうに笑う。
「そうだよね……やっぱり、お互い、そうなっちゃうよね……」
※
風呂から上がり、お互いすっきりした所で町に出る。
いつもはご飯の準備の為に買い物する愛理姉だが、今日は違う。普段なかなか行かないようなレストランに二人で入って恋人限定のパフェを食べたり、広場で行われている子供向けのイベントを見てほのぼのとしたり……
「んーっ、なんだか、すっごく楽しかったなぁ……」
外で遊び回っている内にもう夕方である。
遠い空では金色に輝いた太陽が落ちようとしており、空は黄色く光っていた。
「将君、ちょっとここで一休みして行こうよ」
「ああ、ここか。大丈夫だよ」
そうして愛理姉が座ったのは、先日一緒にいた公園のベンチ。二人で身を寄せ合うようにして座りながら色を変えていく空を見上げる。
愛理姉が着ていた白いTシャツと暗い黄緑色のキャミソールワンピース、そこへ眩しい光が当たって千変万化の影が浮く。
「愛理姉、出来ることなら手伝うから、今度からも一人で抱え込み過ぎないで」
「うんっ……えへへ、将君って優しいんだね」
こてん、と彼女が首を肩に預けてくる。
日が沈むまで、二人でずっと好きな人の体温を感じ続けていた。
母の日が近いですね。
日頃家事育児をやってくれているならその感謝を伝えてあげましょう。




