黄昏とオリーブと姉 1(愛理姉)
希さんとお話をする為、百合姉のカフェに向かった日の午後四時。皆が帰り始める時間帯の公園で一人、長いベンチに座って春の風に吹かれていた。家に帰るとさっきまでの楽しかった日々が無くなってしまうようで、動きたくなくなった俺はポケットからスマートフォンとイヤフォンを取り出す。
ジャックに端子を差し込み、理子姉の曲を流す。結構前にリリースされた懐かしい曲を聴いていると、かつて姉さんたちの家に向かう際、この公園で一休みをしたことを思い出した。
(……随分と、経つんだなぁ)
あの時は確か、重い荷物を持ってきていたものだから、駅からの道が長く感じられた。そして、あの頃はまだ姉さんたちに会った事も無かったから、今みたいに相思相愛の関係になることなど想像も出来なくて……
家に着くまで何度も見たあの手書きの地図は今でも頭に残っている。音楽を聴いていると当時の思い出が蘇るようで、うまくセンチメンタルになった俺は目を閉じて俯いた。少しぬるい風が頬を撫でていく。
そんな事をしていた夕暮れだった。
どれくらい時間が流れたのだろうか。俺の名前を呼ぶ声が聞こえて来る。
「将君!」
それにつられて目を開き顔を上げると、公園の入り口で愛理姉がほのかに赤いツーサイドアップを風に揺らしながらこちらを見ていた。
オフショルダーの白い長袖Tシャツ、イエローのフレアスカートにベージュのパンプス。肩には黄色とグレーが織りなす花柄のエコバッグが掛かっていた。中に沢山物が入っているであろう様子から、姉さんは買い物帰りだろうか。
「愛理姉、今帰り?」
「うん。将君はどうしたの?」
にこりと微笑みながらそう聞かれ、答えに困ってしまった。来た時の頃を思い出していた、そう言えればいいんだけど、格好つけたい気持ちが邪魔をする。
「歩いてたら少し疲れちゃって」
「んふふ、それじゃ、私も休憩しちゃおっかな」
風でスカートの裾を僅かに揺らし、愛理姉はこちらへ歩み寄ると隣に座って来た。露わになっている首や肩からほんのりと彼女の柔らかい匂いが漂う。胸元の布地に浮き上がる大きくも綺麗な丸みに目を奪われるが、すぐに視線を地面に落とした。
「もう春だね。この服お気に入りだから着られて嬉しいなぁ」
「とても似合ってると思うよ」
「えへへ、そう? 買って良かった……」
右肩に重みを感じて横を向く。姉さんがこちらに身体を傾け、もたれかかりながら幸せそうに目を閉じていた。すっかり気の抜けてしまった愛理姉の表情を見ている内にこちらも安らぎ、穏やかで温かい波のような幸せが心の中に流れ込んでくる。
彼女はそのまま口をぼんやり開き、こちらの肩に首を乗せながらすぅすぅと気持ちよさそうな寝息を立て始めた。そんな姿を見た俺は左手でスマートフォンを操作し、俺も愛理姉も帰りが少し遅くなるとメッセージを理子姉に飛ばした。
何の変哲もない日々の夕方。
それをこうして過ごすのも悪くはない。愛理姉がいるからだろうか。
「んにゃ……将君、好きぃ……」
本心とも寝言とも取れるような一言に動揺したが、姉さんの枕になるよう出来るだけ動かないよう努める。すると、彼女の手が僅かに動き、膝に置いていたこちらの手の上にすっと乗った。
すべすべとした女の子の手が優しく被さっている。触れられているだけでその部分が心地よい。
(まずいな、ドキドキしてきた……)
長い間受け止め続けていると、段々彼女に対する甘く痺れるような気持ちが胸中に湧き始めた。息をする度に切なさが増していき、このどうしようもない想いを隣にいる姉さんへ伝えたくなってしまう。
「愛理姉」
「ん……」
首を傾けて寝顔を覗く。
愛らしい童顔は幸せで緩み、柔らかそうな唇の間ではぬらぬらと口液が光っていた。
「駄目だよ、そろそろ起きなきゃ……」
すぐ目の前にある恋人の姿に、胸の鼓動が収まってくれない。
もう我慢出来ない――そう思った瞬間、彼女が目を覚ます。
「ん……将君?」
眠そうに、そして幸せそうにこちらを見て、姉さんがにこりと微笑む。
心を埋める幸福感、真っ白になる頭……ああ、愛理姉にガチ恋してしまった――!
「愛理姉……!」
「わっ、将君!」
少し乱暴に愛理姉をベンチに押し倒し、強引に唇をもらいにいく。胸の中にある甘ったるさを全部流し込むようにして姉さんの口内に舌をねじ入れた。同時に両腕で彼女の丸く柔らかい身体を抱き締める。
口も身体も、そして心も、全てが気持ち良くて自分ではもう止められない。
「んんっ、はあっ、駄目、んむっ、んっ……」
最初は驚いたような愛理姉だったが、唇を重ねるごとに彼女の表情は堕落していく。ここが夕方の公園であることも忘れ、お互い衝動のままに熱を重ねては痺れるような快楽に悶えてしまった。
そして気が付いた時には愛理姉がすっかり息を上げていて、自分のしたいままに彼女を蹂躙してしまった事への罪悪感で頭が覚めてしまう。
「あ……ごめん、いきなりこんなことして」
「うん、私は大丈夫……将君と、久しぶりにキス出来たから」
身体を起こし、ふと空を見上げる。
すっかり黄色になった太陽が沈む中、周囲は幻想的な夕焼けで覆われていた。
「綺麗な夕焼け……あっ、もうこんな時間。そろそろご飯作らなきゃ」
「だったら手伝うよ。俺のせいで遅れたのもあるから」
「うーん。それじゃ、お願いしちゃおっかな、将君」
先程のキスの熱が未だ冷めていないのか、愛理姉は頬をほんのり染めたまま手を繋ぎ、そのまま指を絡めてくる。遠くで夕焼けが光る中、好きな人同士でしかしない特別な行為と外でこのようなことをする恥ずかしさに胸の中をたぎらせ、二人で帰路に就いた。
※
家に着いた頃には既に空は赤紫色に染まっていた。愛理姉と二人で玄関の戸を開けると、丁度そこに百合姉が通りかかっていた。彼女は帰って来た俺たちを見ると、そのまま視線を下げて絡まっている指を見つける。
そう言えばずっと恋人繋ぎをしたままだった、俺も愛理姉もそこで気が付くが、既に百合姉は口元に手を当てながら面白そうな笑みを浮かべていた。
「あら、遅くなったと思えば、そういうこと……」
「いや、百合姉、これは」
「えっと、外で将君に会ったのは偶然で、その」
ぱっと手を離した後に慌てて百合姉に弁解したが、彼女は笑ったままくるりと背を向けるとそのまま去ってしまった。「好き」を我慢出来なかった事を悟られ、愛理姉と顔を見合わせた後にお互い恥ずかしげに頬を染めて俯く。
「……うーっ」
「ご、ご飯の準備、しようよ」
「うん、そ、そうだね」
逃げるように二人でそそくさと台所に向かう。その後、愛理姉を手伝う為に、彼女が肩に提げてきたエコバッグから冷蔵庫に入れる物を受け取っては分かりやすい所に収納し始めた。
ソーセージ、マンゴープリン、牛乳、ヨーグルト……それらをうまい具合にしまっていたら、その間に愛理姉はエプロンを着て料理の準備をひとしきり終えたようだ。
「将君、全部入った?」
ロングTシャツの上からグリーンのエプロンを纏い、腰の辺りを紐できゅっと締めた姿は幼妻の雰囲気すら漂わせる。そしてやはり、胸元は大きく盛り上がっていた。全体的には落ち着いた色……なのに、彼女の隣に立っただけなのに手が動きそうになってしまう。
「うん、結構奥の方までいったけど全部入ったよ」
「そっか、それじゃ……始めよっか」
二人でこのようなことをするのは久しぶりだ。愛理姉も僅かに顔を赤らめながらこっちを見る。息遣いの一つすら分かる距離だ。公園でしたように我を忘れないよう視線を逸らすが、心の中で彼女を求める気持ちが消えた訳ではない。
「――えっと、今日はスパゲッティとサラダだから、将君はお湯沸かしてくれる?」
「あ、そうだね、分かった」
彼女に言われるがまま鍋に水を入れ、火をかけて様子を見る。その横で愛理姉はサラダに入れるであろう野菜を切っていた。そして、彼女が切った野菜をこちらは小さなボウルへ分けていたが、二人の間に会話は無い。
険悪な雰囲気、という訳ではない。
少しでも愛理姉に触れてしまえば、もう、歯止めが効かなくなるような気がして……
「……オリーブオイル、取ってくれる?」
「うん」
今日の料理で使うエキストラバージンオリーブオイルを棚から引っ張り、それを姉さんに差し出す。その時に手が重なり、お互いに瓶を落としそうになってしまった。
慌てて掴んだ物だから二人して距離が縮まり、瓶の上下端で手を重ねながら思わず見つめ合ってしまう。駄目だ、と気が付いた時にはもう、遅かった。
「愛理姉」
「な、なに……?」
「ごめん、もう、我慢できない……」
「えっ――」
動揺している愛理姉に、抱きついてしまった。
身体を走る、暖かくも心地よい感覚。それが頭を駄目にしていく。
「将君、今はっ、だめだよっ……ご飯、作れなくなっちゃう」
「そういう愛理姉こそ、逃げる気なんてないくせに……」
背中に回っていた愛理姉の腕に、僅かに力が籠っていた。
そして、やっぱりお互いに我慢出来ず、蕩けた顔を見せあいながらキスをする。
「んんっ……将君、好きっ……」
とろとろになった時間は呆気なく過ぎていく。
鍋の水が沸いても、当然それに気が付く事なんかなくて……




