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蒼い月と檸檬と姉 2

 月を見ながら飲み食いする物を買い終わり、家に戻る。

 美香姉が先に彼女の部屋に戻った後、俺は買って来たリキュール缶を冷やす為に台所に向かう。そこでは愛理姉がエプロンを纏い、玉ねぎを細く手早く切っていた。そう言えばもうすぐ正午だ。


「あ、将君おかえり。美香ちゃんとどこか行って来たの?」

「ああ、うん、そんな所だ」

「機嫌直りそう?」

「まあ、大丈夫だろ」


 買い物の時の笑顔が頭に浮かぶ。だけどあの彼女の表情は独り占めしたい、と愛理姉への返事はややぼかす。

 彼女は切り終えた野菜をマリネ液の入ったボウルに放り込むと、フライパンにオリーブ油を垂らした。火をかけた後にこちらをちらりと見て、俺が手に持っているスーパーのビニール袋に気が付く。


「ん、一緒に飲むんだ」

「あ……うん」

「なんだかずるい……将君と美香ちゃんだけ私の分かんない所で通じ合ってる」


 そりゃ以心伝心が出来る、とか言っても愛理姉は分からないだろうなぁ、と心の中で思いながら、かと言って何かいい慰めが出来る訳でもなく、冷蔵庫を開けてそこに缶を入れる。

 小麦粉を付けたサーモンを軽く焼き、それも漬けた彼女は一仕事終えたように一息つく。両腕をぎゅぅっと真上に持ち上げて伸びをする姿にこちらも和やかになった。


「えっと、美香ちゃんは部屋?」

「寝たぞ」

「ええっ?」


 何の気なしに返した言葉で愛理姉が素っ頓狂な声を上げる。


「多分あの様子だと夜まで出て来ないな」

「うーっ、やっぱりまだ怒ってる?」

「いや、大丈夫だよ。心配しないで」


 まだ心配そうな表情の愛理姉を見て、すこし欠伸が出てしまう。

 久しぶりに外に出たせいか、買い物の疲れがやや重く圧し掛かったようだ。


「俺もちょっと寝てくるかな」

「えっ、ご、ご飯は?」

「昼は大丈夫。あ、そうだ。夜は美香姉と二人きりにさせてくれ」


 何かしら事情があるのを悟ったのか、愛理姉は眉間にしわを寄せながらもにょもにょと色々言いたげな顔になる。


「せっかく頑張ってお昼ご飯作ったのにぃ」

「え、ええと、この埋め合わせは必ずするから、だから」


 しょんぼりとした彼女は仕方なさそうに笑うと、こくこくと頷いて肩を落とした。


「……美香ちゃんの事、頼んだよ?」

「うん」

「それと、後で私とデートしてね?」


 折角の愛理姉の頑張りを少し反故にするような行いをしてしまった俺は彼女のお願いを断る事など出来なかった。彼女とデートの約束をし、夜にまた起きる為、眠気が逃げない内に俺は美香姉の部屋に向かう。


 既に部屋では、美香姉が布団の中で重い瞼をぴくぴくと動かしながら待っていた。

 中に俺が入るや彼女は布団の隅をめくりあげ、入るように誘ってくる。


「早く」

「分かってるよ」


 相変わらず無機質な空間の中、そっと滑り込むようにして姉さんと同じ布団の中に収まった。するとすぐに彼女は胸元にぴたりと張り付き、やっと安心出来た様にため息をつく。

 背中に細い腕が回り、緩やかな丘陵が胸板へ僅かに沈む。ぼんやりとした温かさが身体を包み込んだ。


(将、好き)

(ありがとう)


 少し暖かい布団の中で身を寄せて互いのことを確かめ合う。

 うっとりしたような声を心で聞きながら、彼女に引っ張られるようにしてこちらも眠くなっていく。心地よい気だるさに流されるまま目を閉じると、美香姉の猫のような寝声と共に夢の中へ落ちて行った。



 それから随分と眠った。起きた時はもう日が沈む所だった。

 心地よく後を引いた幸福感の中で目を覚まし、身体を起こそうとすると、隣で美香姉がくっと腕に絡みついたまま引っ張ってくる。


「美香姉、起きてたか」

「おはよう」


 寝起きのせいか少し震えている声で、それでも嬉しそうに彼女は挨拶をしてくれた。引かれるままにもう一度横になると、美香姉はもう一度胸元にぴたりと潜り込んでくる。いつものことだが、いつものように愛おしい。

 その時、彼女の腹がぎゅるると音を立てた。姉さんは少し恥ずかしそうに目を逸らすが、少ししてからそれに呼応するようにこちらの腹も鳴る。昼を抜いては、寝ていても腹は減るものだ。


「そろそろ夜ご飯だな。行くか?」

「……うん」

「夜になったら、一緒に月を見ような」


 二人で身体を起こし、窓に掛かっているカーテンをそっと払いのける。外は曇り一つない晴天だった。それを確かめた後、二人で愛理姉たちの待つ居間へ向かう。


 食卓には、愛理姉が今度こそはと頑張って作ったメニューが沢山並んでいた。美香姉の大好きな甘い玉子焼きを筆頭に、鳥の甘辛煮、イタリアンサラダと彼女の本気の程が伺える。また、昼の余りであろう、サーモンのレモンマリネも二人分置かれていた。


「あ、二人共、もうすぐご飯だよ」

「おお、今日も美味そうだな。いつもありがとう」

「えへへー」


 昼寝を経てすっかりご機嫌になっていた美香姉と二人、先に座る。後から理子姉、百合姉と入って来て同じように食卓に着き、最後に愛理姉が戻ってきたことで全員揃った。朝と比べてにこにこ笑顔を浮かべる美香姉に皆がほっとしたようである。


「それじゃ、いただきます」


 無言ながらも我先にと甘い玉子焼きへ箸をつけた美香姉。昼のレモンマリネを食べながらちらと理子姉の方を見ると、彼女は安堵の余りに目を潤ませてしまっている。


「ううっ、美香ちゃんが元に戻ってよかったぁ……」

「え、えっと、理子姉って今日ずっとこんな感じだったの?」

「そうよ。昼なんて部屋の隅で丸くなってたんだから」


 百合姉がそう言うと、美香姉がちらと申し訳なさそうに理子姉の方を見てこくこくと頭を下げる。無言でも美香姉の気持ちが伝わったのだろう、理子姉はうんうんと頷いた。

 口の中がさっぱりした所で、今度は鳥の甘辛煮に箸を伸ばす。とろみのあるたれがいっぱいついたそれを口に放ると絶妙な甘しょっぱさが広がり、ご飯が進んだ。


「そう言えば百合姉、うちってバルコニーあったよね」

「ええ。ここ最近はあまり使ってなかったわね」


 飲み込んだ後に尋ねると、大体の事情を察したような百合姉が返事する。まだよく分かってない理子姉と愛理姉を置いてサラダをもしゃもしゃ噛んでいると、左隣でぺたりと座っていた美香姉が足先でつんつんとこちらをつついてきた。


(そこで見る?)

(そのつもりだけど、掃除しなきゃいけないかな)


 何度か見たことはあるが、実際にそこに入ったことはまだ無い。月見の前に一仕事あるかと思っていると、甘辛煮を飲み込んだ理子姉が思い出したように呟いた。


「そう言えば愛理、一週間前辺りにあそこ掃除しなかった?」

「あ、うん。春になったから洗濯物干すときに使えないかなって」


 二人の会話を聞きながら美香姉と視線を合わせる。微かに笑っていた。


「愛理姉、夜使いたいけど空いてるかな?」

「うん、大丈夫だよ」


 しっかりと使う許可も貰った所で、夜ご飯を食べながら頭の中で準備する物を並べていく。今日買って来た酒、片手で食べられるようなお菓子、と考えていると、それが美香姉の方にも伝わっていたのか彼女が心の内で呟く。


(椅子)

(あ、そうか)

「将君、なんかぼうっとしてるみたいだけど大丈夫?」


 理子姉が何の気なしに尋ねてくる。美香姉との「会話」も程々にしなければ。そんな事を思っていると、向こうからは何やら拗ねたような声が心の内に返ってくる。難しい。


「あーええと、多分大丈夫」

「たぶん……?」

「いや、その、うん、ごちそうさま」


 美香姉以外の三人から視線を集めながらも急いでご飯を平らげ、なんとなく居づらさを覚え始めていた食卓から離脱する。そのまま廊下に出て、例のバルコニーの様子を見ようと二階に上がる。


 前に見た時はやや薄汚れた印象だったが、今夜は月光もありとても綺麗になっていた。

 先程美香姉に指摘されたように俺は、ここで使う事を想定して脇に置かれているであろうアウトドアチェアを二つ起こしてバルコニーに並べる。空に雲は無く、辺りはぼんやりと青白く照らされている。雰囲気としては十分この上ない。


「さて、後は……あー、そうか、酒とか持ってこないといけないか」


 もう一度廊下に戻ろうと振り向いたら、そこに美香姉が立っていた。

 今日のお買い物で持って帰って来た小さなビニール袋を手にした彼女は、一人でぽつりと立っている俺の事を見てにやりと笑う。肝心な物を忘れていた自分が恥ずかしい。


「後は何もないか?」

「うん」

「じゃ、美香姉もこっち来てよ」


 その言葉に応えるよう、彼女も約束の場所に足を踏み入れる。

 満月に照らされたバルコニーに二人きり。ロマンティックと言えば俗だろうか。

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