8−3 勉強会
「それより、お勉強は進みまして?」
「あ、本でも借りてこよっかな!」
「まあ、集中なさったらいかが!」
グルナディーヌの呼び声をよそに、花奏は席を立つ。教科書は高校受験で何度も勉強した化学だ。試験を終えて一年も経っていないので、まだ覚えている。
他に役に立つ本はないか、花奏は魔法の本が置いてあるコーナーへ移動した。せっかくグルナディーヌにお願いして勉強会を開いてもらっているのに、教科書が白紙ではどうにもならない。
本の背表紙を見て歩いていると、その文字がまったく読めなかった。日本語では記されていない。教科書の中は日本語だったのに。
一冊手に取ってみると、中は真っ白だ。もしかして、この図書館にある本すべて真っ白なのだろうか。
「困るなあ」
良い成績を収めて卒業しなければならないわけではないので、大丈夫だろうか。だがほとんどの科目で成績が悪ければ、留年してしまうかもしれない。
今日の授業は一限だけ。王立学園の歴史についてで、青藍から聞いた話と同じ、女神の知識を学ぶために王立学園を作ったというものだった。だがその歴史の話も深いものではなく、軽く説明されたことについて、板書されたものをノートに写しただけ。それで終わりである。
乙女ゲーで出てくる一つのシーンが、授業そのもののようだった。
「でも、二人とも白紙が読めるんだから、私だけ授業遅れちゃうよ」
花奏には見えないが、彼らには見えるものがテストにでも出てこられたら、花奏は勉強すらできない。それでは困るのだ。
「私でも見れる本、ないかなあ」
本棚を上から下までじっくり見ながら歩いていると、よそ見をしていたせいで人にぶつかった。
細目で睨んできたのは、眼鏡をかけた、緑の髪色の生徒だ。チャームが見えて、攻略対象だとわかる。
謝って逃げようとすると、緑キャラの上部の本が、なぜかするりと落ちてきた。
「あ、あぶなっ」
言ってる間に、ごつんと緑キャラの頭に分厚い本が落ちた。その一冊が落ちたせいで、雪崩式に他の本がバサバサと落ちてきた。もちろん下敷きになったのは緑キャラだ。
一列ほとんどの本が緑キャラ目掛けて落ちてきて、床に本が散らばった。
「だ、大丈夫?」
緑キャラが顔を上げると、ギロリと花奏を睨みつけた。本が落ちたのは花奏のせいではないので、睨まないでほしい。返事もしてくれないので、床に落ちた本を拾った。どれも厚手のハードブックだ。痛かったに違いない。
座って本を拾っていると、今度は、きゃっ、と別の声が届いた。座って本を拾おうとしていた緑キャラが、前のめりになって膝を突く。
「ご、ごめんなさい! よそ見していて。大丈夫ですか!?」
ローザが緑キャラの背中にお尻からぶつかったのだ。
本を探して上を向いていたから、床で本を拾っている緑キャラに気付かなかったのだろうか。ローザは謝りながら、緑キャラの手を握って立たせようとする。
その仕草、乙女ゲーあるあるだろうか。
二人目のライバル女生徒という認識で良いのかわからないが、ローザは緑キャラの目を見て離さない。ついでに手も離さない。緑キャラがツンで、払うようにその手から逃れた。
「大丈夫だ」
「本当にごめんなさい。本を探していて。あ、難しい本を読んでいるんですね」
ローザは落ちていた本を拾うと埃を払い、両手でそれを差し出す。緑キャラは眼鏡を上げて、それを受け取った。
ローザの声は少し高めだ。最初男の娘で攻略対象だと思ったのだが、このシーンを見る限り、ライバルポジションに見える。
それにしても、このシーン、いかにも乙女ゲーなのだが、後ろに花奏がいるのが見えないだろうか?
スチルにしたら、背後に這いつくばっているモブが描かれることになると思うのだが、そのまま進む気か?
ガン無視されているのも寂しいが、二人の世界を壊さない方が良いかもしれない。
花奏はハイハイのままその場を離れようとして、まだ落ちていた本を踏みそうになった。
落ちていたのは表紙が和風で、建築系の本のようだった。
「神社?」
「なぜそれが神社だと知っているんだ!」
ポソリと呟くと、緑キャラがいきなり突っかかってきた。先ほどまで一言も口を利かなかったのに。
緑キャラは緑を基調にしていて、タイ留めのチャームは建物だった。和風の家だろうか。なんとも言えない。だが、建築に興味があるのは間違いなさそうだ。
「聞いているのか?」
「見ればわかるよ。お賽銭箱はあるし、大きな鈴が吊るされているし」
「君は、日本国の人間か?」
「そうだけど?」
いや、正確にはそうではないか。否定すると説明が面倒なので、頷いておくと、緑キャラが「日本国の人間に会うのは初めてだ」と興味深げにして呟いた。
「何をされているの。本はあったのかしら? 勉強されないのならば、わたくしは寮に戻りますわよ!」
「グルナちゃん! 待って、待って。今行きます!」
グルナディーヌを怒らせてしまった。花奏に背を向けて戻っていってしまうので、本を緑キャラに渡し、急いで後を追いかける。
緑キャラは日本国の建物に興味を持つ、攻略対象ということだろうか。
その攻略対象に近付くローザ。今のシーンを見る限り、ローザがヒロインのようにも見えた。
友人の同人誌は百合もので、赤と青のキャラがいちゃいちゃしていた。だから青が主人公だと思っていたのだが、勘違いだったのかもしれない。
「でも日本国出身って、主人公ポジだよね?」
「何かおっしゃって?」
「ううん。グルナちゃん、さっきの人の名前知ってる?」
「ヴェール・アンピール君だよ」
席に着いて、グルナディーヌに問うと、後ろからローザの声が届いた。
「主席で入学したって聞いてる。すごいよね」
「へえ、主席ねえ。よく知ってるな。親しいわけ?」
「そんな、私なんかが。主席なんてすごいなって思っただけで。……勉強、一緒に見てもらえないかなあ?」
ローザはノワールに返しながら、本棚の陰に隠れて見えないヴェールを探すようにつぶやく。
あんな迷惑そうな顔をしていた人にそんな頼みができるほど、花奏のメンタルは強くない。ローザはヴェールに余程勉強を見てもらいたいのか、じっと本棚を見つめた。
「あなた方、勉強するつもりがないのならば、解散いたしますわよ?」
「集中します! グルナちゃんが描いてる魔法陣、描き写させてください!」
本がないのならば、彼らの描いているものを描き写すしかない。
「教科書に載っているものを写せばよろしいでしょうに」
「グルナちゃんの方がわかりやすくて!」
「これくらい、コツを掴めば簡単ですわよ」
ノートに描く準備をすると、グルナディーヌは文句を言いつつも、ゆっくりと魔法陣を描いてくれた。これがツンデレか。
ノワールも魔法陣を描いてくれたが、ノワールの方が芸術点の高そうなデザイン性の高い模様だった。そちらは描き写すのに苦労がいったので、集中していると、
「勉強、大好きなんですね」
誰に言うでもなく、ローザが笑顔でそんなことを口にした。視線はグルナディーヌに向いており、その視線を受けて、グルナディーヌは急に真顔になった。
「勉強好きでも、ちゃんと結果出さなきゃ。大変ですよね」
「当然じゃありませんこと? 学びが与えられるのならば、結果を出すのは当然ですわ」
「そうですよね。勉強好きなら当然ですよね。うらやましい」
グルナディーヌの成績が良いという話なのだろうか。ローザはノートを開いて化学式を描き始めた。グルナディーヌはかすかに乾いた笑いをして、再び教科書に視線を向ける。
妙な雰囲気の中、ノワールだけがその風景を描いていた。




