1 プロローグ
「名を名乗れ」
凍るような青白い瞳で冷たい眼を向けてきた男は、威圧的な態度で花奏に命じた。
上から見下ろして、下の者に発するような言葉だ。
ここは恐れるべきか、震えるべきか。
だが、その男の姿を間近にして、花奏は困惑しかなかった。
狐耳? 狐尻尾? しかも、袴姿?
どこのコスプレの方ですか!?
雀のさえずりだろうか。耳に届く声音を避けるように、花奏は寝返りを打つ。
「ちょ、ちょ」
昨今の雀は、ちょ、ちょ、と鳴いただろうか。あまりにうるさいので布団を被り直そうとすると、一層大きな声で、ちょ、と聞こえた。
「ちょっと、あなた! まだ起きていらっしゃらないの!? いい加減になさったらいかが!!」
「うわっ!」
耳元で甲高い声が響いて、花奏は飛び起きた。
一体、何事? 寝ぼけていた頭が、一瞬で覚醒する。
しかし、目の前にいた少女を見て、花奏は何度か瞬きをして、自分の目がまともに働いているかを確認した。
自分の部屋に、見たことのない、鮮やかな赤色の髪をした少女がいる。
男主人公を起こしにきた幼馴染、みたいな、両手を腰に添えて、怒ったポーズで顔を近付け、睨み付けている少女だ。
「だ、誰!?」
「寝ぼけたことをおっしゃっていないで、早くなさって! 遅刻してしまいますわ!」
赤い髪の少女は、いかにもお嬢様然とした言葉を使い、花奏の腕を引っ張って無理やり起こす。
「遅刻って」
「本当に寝ぼけていらっしゃるの!? ハートクイーン王立学園の入学式に寝坊してしまいますわ!」
「は、はーとくいーん?」
なんだっけ、そのダサい名前の学園は。
それを口から漏らす前に、赤髪の少女が布を押し付けてくる。
「さっさとお着替えになって!」
「着替え?」
渡されたのは、制服のようだった。真っ白なジャケットにプリーツの入ったスカート。白の上下とは、こぼしキャラとして友人から確立されている花奏に、飲食をするなという戒めのような色である。
差し色は金と濃い青。ジャケットはケープが一体化したような、奇抜な形をしている。
「早く着替えられて!」
「え、はい」
「早く!」
「はいっ!」
「髪も整えて差し上げます。そちらにお座りになって。お顔はこちらよ!」
ぐきりと首を真正面に向けられて、花奏は少女趣味なアンティークのドレッサーの前に座らされた。
鏡に映った自分の顔は、花奏である。他の誰でもない。
焦茶色の髪。寝癖のある髪を、赤髪の少女が編み込みをして、肩に流してくれる。顔は、いつも通りの自分であり、なんの変わりもない、変哲もない顔だ。二重で、まつ毛の長さはそこそこ。焦茶色の目。鼻は高くも低くもなく、唇は、起きたばかりか色が悪い。その口にリップまで塗ってくれる。そのおかげで顔色の悪さがなくなった。
「できあがりですわ。ほら、こちらの鏡でご覧になって」
ドレッサーの鏡ではなく、立てかけの等身大の鏡を指差されて、花奏はくるりと自分の姿を回って映してみる。
「うわ、すっごい制服。マントひらひらー。ウエスト締めすぎ。馬子にも衣装! あはははー!」
あまりに似合ってなさすぎて、笑うしかない。顔が平凡なのに、制服が奇抜すぎた。
「何を笑っていらっしゃるの。いいから、食事をなさい!」
赤髪の少女は遠慮がない。パンを口に突っ込まれ、コップを差し出されてそれで飲み下す。
ゆっくりさせる気はないと、今度はカバンを持たされる。もちろん白と金縁のカバンで、これには濃い青の差し色はなかった。
「さあ、出発しますわよ!」
一体、どこにだ? 反論する隙を与えない赤髪の少女の後をついていくしかない。
背中に流れる赤い髪は、なんと縦ロールである。どれだけ太いカーラーで巻いたのだろう。けれど、この髪型はどこかで見たことがある気がする。
たどり着いたのは、同じような白の制服を着た者たちが集まる場所。王立学園と言っていたからには、学園なのだろうが、門を通り過ぎると、どん、とハートマークの彫像が立っていた。
見覚えのある、ダサいハートマーク。
そして、校舎らしき建物が目に入り、花奏は唖然とした。
近代中世ヨーロッパふうで、歴史観ゼロの城。なのに学園。広場にある、おかっぱ頭の女神像の横を通り過ぎる。
「思い出した……」
乙女ゲーム、ハートクイーン王立学園2の世界だ。
前を歩いている赤髪の少女は、主人公のライバル。名前は、グルナディーヌ・ドゥ・ブランジェ。
グルナディーヌは高速の早歩きで校舎に入っていく。その後を走っても追い付けない花奏は、すでに息切れをしていた。なんであんなに早く歩けるのか。あくまで早歩きというところがお嬢様である。
そう、グルナディーヌはお嬢様設定だった。だからあんな縦ロールで、典型的なお嬢様言葉を使うのだ。
「夢。夢だよね?」
「講堂ですわよ。静かになさって」
開いた扉の先、同じような制服を着た者たちが集まっていた。グルナディーヌについて、舞台前の席に座る。
集まっている生徒の制服は白と金を基調にしており、色はその二色のみ。だが、グルナディーヌの制服は赤が差し色に使われている。タイの色も赤。髪の色と同じになっていた。
タイ留めには剣を模したチャームがついている。花奏や他の生徒はチャームをつけていない。特別なキャラだから、チャームがついているのだろう。
このゲームは、どんな内容だっただろうか。
高校の友人が好きで、勧められて花奏もプレイしようと思ったのだが、オープニングを見ただけでパソコンがクラッシュしてしまった。他のFPSのゲームは問題なかったので、乙女ゲーとパソコンの相性が悪かったのだろう。
代わりに、友人作の同人誌を渡されたわけだが、隣にいるグルナディーヌと主人公の百合ものだった。しかもそこそこのRが入った内容で、しっかり読めなかったという。
乙女ゲーなので、男性の攻略対象が何人かいるはずだが、まったくわからない。
「情報。情報がない」
「し、静かに」
グルナディーヌが小声で注意すると、きゃあ、と黄色い声が聞こえた。舞台にいる司会者の男性が、ゴホンと咳払いをする。
舞台袖から現れたのは、男子生徒だ。マイクの前で生徒たちを見回すように間を置き、ニコリと微笑む。
「今日から君たちは新しい生活を、この王立学園で過ごすことになる。新入生、皆の今後の活躍を心から願い、新しい門出に、祝いを贈ろう」
なぜ、あんなに偉そうな祝辞?
髪は白銀。ふんわりとした髪で、肩下に髪が伸びている。黄色い声が発せられたように、整った顔をしていて、微笑みが柔和な雰囲気をかもしだしていた。
制服は、白と金、髪色が白銀なので、差し色は別色の白。タイを留めているチャームは、花奏がいるところからでは見えなかった。
ニコリと微笑んでから舞台から降りる白銀髪の生徒を、グルナディーヌが熱心に視線を送った。いや、グルナディーヌだけではない、座っている女子生徒全員が、その後を追っている。
白銀髪の生徒は、舞台裏に隠れる前に、聴衆へ視線を向けた。その目が、花奏と合った気がした。ニコリと微笑まれて、きゃあ、と再び黄色い声援が飛んだ。皆が白銀髪の生徒と目が合ったと思ったのだろう。
隣のグルナディーヌは、拝むように白銀髪の生徒を見送っている。
あれは攻略対象だろうか。攻略対象が何人いるかも知らなかった。




